18話

 拘置所。区の端から端まで歩いたような感覚すらあったくらいに、その距離の遠さを感じた。

 外観は箱みたいに四角かった。何処にも窓はない。左右の建物はよくわからなかったが、おそらくは拘置所と同じように区に関連した施設だろう。バカでかいビルに囲まれるように拘置所は建っていた。〈受け入れろ〉

 実刑が確定する前の容疑者が、一度ここに収監される。刑が決まると刑務所に移送されるが、そこは区の何処にあるのかも教えられていない。案外、家の隣にあるのかも知れなかった。

 入り口で、受付に内ヶ島は話を通した。この間来た時に、既に今日の分の許可は取っていたらしい。拘置所なんて普段は来る用事がなかったから、そのあまりにも普通の雰囲気に、私は奇妙な感覚があった。こんなオフィスみたいなところに、犯罪者を多数閉じ込めているのか。

 海野舞美は、地下五階にいると言う。私たちは階段をひとつひとつ降りて、その目的地を目指した。照明がなく、真っ暗で、鬱屈してしまいほど長い階段だ。歩いている間に、嫌な疲労感が増して行った。息苦しい。〈受け入れろ〉

 各階には面会室がひとつづつ供えてあり、看守に許可証を見せて頼むと、そこへ収監者を連れてきれくれる。私たちは、そこで、海野を待った。この拘置所の何処かに、箭原もきっといるんだろうけど、そのことはあまり考えないようにした。

 海野舞美は、ガラス板の向こうに現れた。服装は、想像していた物と違って、普段着と同じだったが、顔はやつれていた。箭原みたいに怪我をしているか心配だったけれど、そんな様子はない。元気そうでもなかったのに、その事実だけで、私は胸を撫で下ろす思いだった。

「連れてきたわ」と内ヶ島は挨拶もしないで言う。「対崎に話したいことって?」

「ありえ……」舞美は私の顔を見て、泣きそうな目をした。「ごめんなさい……」

「な、なにがごめんなのよ」私は訊く。「別れたかったから殴ったって、言ってたでしょ。それだけじゃない」

「違うの…………本当は……ノノコ……箭原に相談を受けてて」舞美は俯いた。「ありえが、可哀想だって、投票に選ばれて、あんな風に持ち上げられて見てられないって……私も同じ考えだったから……私も、あなたが可哀想だから、付き合って……自分の投票したっていう罪を潰そうとしてたの」

「…………そう」私は顎に手を当てた。「箭原……どうして私なんか気にかけたの。別に、喋ったことも無かったっていうのに」

「それはきっと……ノノコのお姉さんが、同じような扱いだったから……。だから、あの計画を、ノノコは練った」

「計画って?」

「あなたを殴る計画」

 ――。

「本当は……」舞美。「私、あなたを殴ってなんか、いないの」

「……………………嘘」

「嘘じゃないわ」舞美は首を振った。激しく。「ノノコが、何かをするっていうのは聞いてた。それに協力を申し出たの。だったらふたりでやったほうが良いって。ノノコは反対したけど、私は、彼女の罪を被ることにしたの。ありえを、殴ったってことにして……。でも、私がやったのはそれだけ。ノノコが具体的に何をしてたのかは知らない。私…………あなたと別れたかったなんて、嘘だったの。別れたいわけないでしょ……あなたみたいな、素敵な人」

「…………ごめん」何故か、謝ってしまった。

「でも、別れたほうが良かったのよ、きっと」

「どうして」

「私に、恋愛は向いてない。お守りをたくさん買っても、何の意味もなかった。別れたくなかったけど、続かないと思っていたのは、真実」舞美は自嘲気味に笑う。「結局、あなたを、有名な探偵の対崎ありえとしてしか見れなかった。それが、苦しくて、もう耐えきれなかった」

 それだけよ、と舞美は言い残して、そのまま俯いて、何も言わなくなった。



 舞美の居る拘置所を後にして、私達が次に向かったのは、木根淵の所だった。

 彼女の言葉を思い出す間もなく、私の気分が落ち着く間もなかった。

 全ての落ち込みや、気の滅入りや、絶望は箭原に会ってから、勝手に感じれば良い。今はとにかく、何も感じないことに徹した。

「箭原はあんたに何を施した」歩きながら内ヶ島は断言した。「それがあんたを養育プランから救ったんでしょうけど、その結果が推理能力損失なんだとしたら、考えられる可能性がある」

「それが、木根淵?」

「ここが何処だか覚えてる?」

 建物を見上げた。

「オーパーツ研究機関よ」

 区が出資している公的な機関。区に所有権があるオーパーツの全てをここで研究し、その機能や使用方法を調べることが、ここの主業務だった。

 木根淵はここの偉い人間だと聞いた。機関の長という程ではないらしいが、その地位とコネクションと支持者の支援で議事堂の会議に参加するまでになっていることから、相当な権力者なのではないかと思うが、その全ては吉利の死で失われてしまった。

 現在の彼の、機関での立ち位置は、新人よりも下だと噂されている。

 内部に入る。受付には誰もいない。来訪者がほとんどいないような場所なのだろうか。私たちは、事前に内ヶ島が、どういった方法かで調べていた木根淵のオフィスに向かった。

 そこは地下二階。倉庫への扉と共に、木根淵のオフィスがあった。かなり不衛生で、暗い。物が散乱していて、何処を歩けば良いのかすら、よくわからなかった。おそらくは、吉利の死ぬ前はもっと荘厳で立派な場所で仕事をしていたのだろうが、木根淵は失落してからこんなところに追いやられたらしい。同情を覚えないでもなかったが、それ以上に私の中では、この男の惨状を笑ってもいいという感情が浮かび上がっていた。

「な、何だ君たちは」部屋の隅で、じっとしていた木根淵が、慌てて立ち上がって、私達の姿を見つけた。「誰の許可で入った!」

 内ヶ島は木根淵に近づくと、胸ぐらをつかんで、そのまま顔を一発殴る。

 木根淵はうめき声を上げながら転がった。

「ごめんなさいね」内ヶ島は殴った方の手をひらひらさせた。「これは個人的な恨み。私達が訊きたいのは、簡単なことよ、木根淵さん」

「クソ…………なんだよ……」彼は、殴られた顔を押さえている。殴ろうとも刺そうとも、会社の中では一切騒がれないような地位となっている彼の姿は、死にかけている虫みたいだった。

「吉利さんにその運用テストを依頼していたオーパーツ……それの機能は」

「教えん……」

「また殴るわよ」

「…………肉体を……」木根淵は身を起こして、正座をした。「別の場所に、映像として投影する機能だ……投影先の光景も音声も見える……そこに存在しているかのようにな……」

「ありがとう。もういいわ」

 内ヶ島は踵を返したので、私はそれに着いて行く。

 その機能で、吉利はなにをやったんだろう。答えの出せない頭で、私が悩んでいると、内ヶ島は呆れて説明し始めた。

「あんたねえ、これがどれだけ重要な証拠なのかわかってないわけ? 良い? あんたは、吉利さんが殺される直前まで会ってた。議事堂と彼女の事務所の距離は、その時間から死亡推定時刻までに間に合わない。でも、あんたが会ったのが、そのオーパーツで投影された映像だったとしたら」

「ああ、そうか……」私はようやく納得する。「私は映像と喋っていた……吉利先輩は、何処かから自分の映像を投影して……」

「その何処かっていうのが、議事堂よ」



 展望が見え始めた時に限って、急落するのはどうしてなんだろう。

 内ヶ島と別れて、彼女は再度、箭原との面会を取り付けるためにいろいろと働きかける、と言い残したので、私は家に戻った。

 祖母のことは無視して、電話があって、私は受話器を耳に当てて返事をする。

「はい、対崎ですけど」

『対崎? 私、内ヶ島……』

「どうしたのよ。さっき別れたばかりじゃない」

『……テレビ、観てる?』

「観てないけど……うちの婆さんが点けてる」

『……そう』内ヶ島はそれからわざとらしいまでに深呼吸をする。『私も……その、なんて言ったらいいか……』

「何よ」

『知り合いに、拘置所に連絡を入れてもらった。箭原と面会させてって。そうしたら……』

「…………」

『箭原……』

「うん……」

『拘置所の中で、死んでたって……』



 何も覚えていない。泣いたのか、激昂したのか、何を感じたのかももう覚えていなかった〈受け入れろ〉。

 気がつけば、私の身体は、知らない建物の前にあった。箭原の自宅のある高級マンションだという。その高層に彼女が一人で暮らしていた部屋はあった。

 インターフォンを押すと、箭原父が出迎えてくれた。私に、この場所を教えてくれたのも彼だった。精神的な余裕があれば感謝もしたかったが、今はお互いが限界だった。彼の様子は、既に正気が抜けたような、見ていられない表情を浮かべていた。

「拘置所でね……」それでも箭原父は、リビングにあるソファに座って、細かい説明してくれる。「ノノコが死んでいるのが見つかって。死体は霊安室に移された。綺麗だったよ。何が原因で死んだのかは教えてくれなかったけど、状況から見て自殺だろうって拘置所の人はね……」

 私は、テレビに映っていた彼女の様子を思い浮かべる。本当に自殺なのだろうか。あの怪我は? あの状況は? 煮え切らない。

 区民が、殺した。そうに違いない。そう思って、溜飲を下げたい。

「……ご愁傷様、です」それだけ捻り出すのが、精一杯だった。

「後で……会ってやってくれないか。君が霊安室に行けるように、許可は既にもらってるんだ。君は……ノノコの友達だったから」

 次に案内されたのは、箭原の自室だった。

「私も」箭原父は、部屋の前に立ち尽くして、ノブも触らないで言う。「ノノコと仲がいいわけじゃなかった。姉を失って、あの子も私もおかしくなっていたのは事実だった。そこから、私たちの間には、大きな溝が出来てしまったように思うよ。どうすればよかったんだろうね」

「…………お父さんは、お父さんなりに頑張っていたんじゃないんでしょうか」月並みな言葉しか口から出てこなかったが、それが正解なのか不正解なのかはわからなかった。

「……君は友達だったんだろう。ノノコの、遺品整理を頼みたいんだ」

「そんな……私だって、知り合ってから、そんなに時間は……」

「時間が物を言うのなら、楽だったんだけどね」

 言い残して、箭原父は姿を消した。

 断るまでもなく、そうするのが当然であると、私は心の何処かで感じていたのかもしれない。不思議なほど、彼女の部屋に足を踏み入れるのが、自然に思えた。けれど遺品の整理なんて、具体的に何をするんだろう。〈受け入れろ〉学校で、そんなこと、習った覚えはなかった。

 部屋は、まあ彼女らしい様子といえばそうだった。あまり生活感を感じない程度にしか物がなかったが、数少ない彼女の私物らしいものは、どちらかといえば変な部類だった。

 眠る場所は壁際からどういうふうになっているのか、吊るされているハンモック。ここで眠っていたらしい。中央にある机は炬燵で、そこにも枕がセットしてあるし、机の上にはお菓子の袋がいくつかあった。男女を問わない卑猥な写真も並べられていた。本棚も無く、学校の教科書は、玄関の付近に置かれていた。家に持って入る価値はない、ということだろう。三大欲求を満たすことしか、普段は考えていないようだった。授業中も、ずっと眠っているかあくびをしているかだった。

 箭原…………あんなに元気だったのに、なんで死んじゃったの。

 急に、こらえていた涙が溢れてきた。

 殺されたの? 自殺? 自殺をするにも、きっとなにか理由があったんだろう。

 何を悲しんでいる。バカ。彼女は、初めから決してフォーゲットに殺されたいという歪んだ夢を抱えているだけの狂人だった。どうせ早死していた。それだけのことだ。その短い人生の間で、私に何故か関わってきただけのことだ。

「箭原……」

 私物に触る気にもなれなくなった。何も動かしたくない。彼女が死んだことを、首を縦に振って肯定するような行為なんじゃないかと思って、私はその場から動けなくなった。

 ふと、部屋の隅に目が止まる。そこには、大きめの箱と紙切れがいくつか。それを盗み見るくらいなら良いだろう。そう思って私は、その箱に近づいた。

 紙。高機能汎用型先進義手。そんな仰々しい名前が、表には記されていた。文字に目を走らせるだけで、何のことなのかを、私は理解した。これは彼女の義手の取扱説明書だった。仕込んだ、とか彼女は言っていたが、いろいろな機能は、初めから搭載されているらしい。このオーパーツの所有者は、箭原父名義になっていた。区で所有するはずのオーパーツだったが、ある程度の金を積めば、個人で持てないこともないし、発掘された場所が私有地だった場合は、基本的には土地の所有者にその所有権がある。

 もう一枚の紙を見た時に、私は箭原という女が一体なにをしたのかを理解した。

 義手とは別に、もう一つ、オーパーツの取扱説明書があった。

 そこには、

「脳に機能障害を与える機能」

 それこそがきっと、私が推理能力を失った原因に違いはなかった。

 怒りもなかった。悲しみもなかった。

 そんな事実を知ってさえ、箭原が死んでしまったという喪失だけが胸の内にあった。

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