17話
テレビ。大岩根。
『対崎に、もはやまともに捜査するようなやる気もなにもないんですよ。ええ。今回の冤罪がいい例です。あんな単純な推理で満足して、関係ない人に罪を着せてしまうなんて、対崎も終わりです。そもそもね、最近、対崎に依頼をして、ちゃんとこなして貰ったって人も少ないんですよね。適当な調査結果で金をだまし取られたって人も増えています。箭原ノノコと組んだのは、きっと楽をしたかったからでしょう。自分の名前で、それが出来るって事を、対崎は理解したんです。詐欺ですよ』
〈受け入れろ 受け入れろ 受け入れろ〉
次のコーナー。拘置所インタビュー。
箭原ノノコ。椅子。緊縛。血。
『箭原さん。気分は? 怪我をしていますけど。それに弱っているようですが。え? 手酷い尋問があった? それは酷いですが、あなたがしたことはその程度じゃ済みませんよ。吉利さんを侮辱するなんて、不敬です。なんで吉利さんを殺人鬼だと決めつけたんです? それが推理の結果? あなたも対崎ありえと同じで、適当な推理をやってるんじゃないんですか? え? 適当で吉利を告発なんかしない? いや適当に言ってるから今こんな事になってるんですよ? わかってます? というか、殺人鬼はあなただったんじゃないんですか? 吉利さんに罪をなすりつけようとしたんでしょう。世間は、そういう評価ですよ』
私が守りたかった区民。
こんな……クソみたいな連中を守りたいんだって、本気で思ってたんだっけ。
そんな思いは、気づけば放置してた氷みたいに消えた。
あれから、〈受け入れろ〉頭の声は鳴り止まない。家に帰るのも嫌で、サードイヤーの家にいた。嫌だって言ってるのに、彼女はくだらないテレビを流し続けている。
箭原に会わないといけない。そんな気がした。私は藁に縋る思いで、拘置所に連絡して、箭原と会わせてもらえるように頼んでみたが、適当にあしらわれた。
「ねえ、ありえ」ネットから目を離さなかったサードイヤーが、私に声を掛ける。「吉利が学長を恨んでたって話が出て来たよ」
どうでも良かった。返事もしないでソファに倒れ込んだって言うのに、サードイヤーは壊れてしまったテレビみたいに話を続けた。
「投票システムがどうとか……学校で、以前にも投票で選ばれた生徒を目の当たりにした人がいて……吉利もその一人で、人生を捻じ曲げられたことを恨んでたみたい。でも、投票で選ばれた生徒は、みんなそのことを覚えてないから、吉利も人から聞いてショックだったらしいね」
「……そう」
「ねえ、ありえ」ねだるような、甘い声色。サードイヤーは時々そんな糖分を孕んだような話し方をして、私の気を引こうとする。そんな元気なんか無いっていうのに。「何か欲しいものない? なんでも買ってあげるよ。ありえ……私は、またありえが私の元に来てくれて、幸せなんだよ」
「……情報屋って、そんなに儲かるわけ?」
「え? いや、そういうわけじゃないけど」
私が気になっていたのは、さっきのニュース。
いつもはまるで信用していない報道だったが、気になる文言があった。
「ねえサードイヤー。あんた、私の名前を使ってるでしょ。私は……箭原と組んでからも、適当な仕事はしたことはないわ。数はそりゃ、減ったけど、結果をでっち上げて小銭を得ようなんて、意地汚いことをした覚えなんかない」〈受け入れろ〉
「な……、なんの話?」
「前のあなたは、そんなに羽振りがいい人間じゃなかった。私のために無理してるのかわからないけど、それより……あなたの生活水準が上がってる。着るものも変わった。食べるものも変わった。態度も変わった。ねえ。私の名前、使ってるんでしょ」
「…………ちょ、ちょっとだけ」サードイヤーは狼狽えた。「対崎ありえだって言うと、やっぱり食いつきが良くて……今の評判がこれだとしても、やっぱり吉利もいなくなった今、対崎ありえにすがりたい人間は、以前よりも増えてるくらいなんだよ。だから、私は、あなたの名前を繋ぐために、こうして依頼を引き受けてるだけで、やましい気持ちじゃ……」
ああ、こいつも、私を利用しているだけなんだ。
同じ。私に愛を求めた女たちと同じ。私に立派な夢を見せるように仕向けた人間たちと、同じ。私に身を捧げて働くように願った区民と、まるで同じ。
「ねえ。サードイヤー」私は、サードイヤーに近づく。
彼女を撫でたこともある手を、持ち上げた。〈受け入れろ〉
「私から吸った養分って美味しいの?」
振り下ろした。
吉利一与が死亡してから、街の情勢が変わったし、何よりも容疑者の身辺状況が変化した。
まず箭原父は職を失った。その理由は、吉利に頼んでいた社内の反対勢力の調査が、死亡した時点で滞ってしまったことにあった。箭原父を目の敵にする一派を、自由にさせてしまったことが、今回の失脚に繋がった。
草叢大臣は、私の学校に乗り込んできてまで文句を言った。私のせいで、大臣の職を辞めさせられることになったのだというが、詳しく話を聞くと、その実際は少し違っていた。彼女も、吉利に調査を頼んでいた。ここ数週間、何者かが、火力発電所に細工をしている痕跡を発見したため、吉利にその捜査を依頼していた。
吉利の死後、実際に細工の後は発見されたが、その不備を、草叢が問われることになって、議事堂を追い出された。そもそも細工なんて許してしまうような杜撰さの責任は、大臣にあるというのが、区の考えだった。草叢は、吉利には細工を見つけても穏便に処理してくれと頼んでいたらしかった。
木根淵は、オーパーツのテストを吉利に頼んでいた。そのテスト結果が、車内の重要会議に用いられることになっていたが、吉利の死で満足の行く結果を得られず、彼を支持していたスポンサーが撤退したため、彼は社内での扱いがすこぶる悪くなってしまったという。
学長も、吉利を失ったことで、探偵というシステム、その教育課程の問題を連日取り上げられていた。
街を歩いていたって、碌な事にはならない。
大通りの脇にある路地裏で、ゴミと一緒に足を曲げてしゃがんでじっとしていた時だった。行く宛もなかった私に声をかけてきたのは、私のことを忌み嫌っている女だった。
「対崎ありえ」
内ヶ島サナ。〈受け入れろ〉
「…………なによ」
「無様ね」内ヶ島は、笑う。「ちょっと付き合ってくれない?」
「嫌よ。何処にも行きたくない」
「いいから。従って。悪いようにはしない」
「もうそれが悪いのよ……」
そういう私を、無理やり彼女は腕を引っ張って連れ出した。抵抗する力もなかった私は、彼女の言う通りにせざるを得なかった。
内ヶ島は私を、とある飲食店に連行した。内ケ島曰く、あまり有名じゃないから、人に見られる心配は薄いのだと言った。そんなこと、私にはもうどうだって良い。
有名じゃないと言う割には、広い店内だった。椅子とテーブルが潤沢に用意されていて、もしかすれば、昼食時になればそれなりに賑わっているのかもしれない。今は、彼女の説明のとおりに、その余裕のある空間は、全て寂しそうな静寂に費やされているだけだった。
料理が来るまでの間に、内ヶ島は本題を口にした。
「対崎ありえ。私の話を聞いて」改まって、彼女は言う。「私の、お世話になってる団地が……、立ち退きを命じられてて。管理人であるお父さんがそれに従うつもりなんだけど、私は絶対に嫌なの。団地の人も、あそこを叩き出されたら、何処に行けばいいか決まってない人もたくさんいる。だから……私が買い取りたいの。早く立派な探偵になって、団地を救いたいの。でも、立ち退きまでに間に合いそうにない」
「金を貸せって言いたいわけ?」
「あんたに借りるくらいなら死ぬわ」内ヶ島はため息を吐く。「私があんたに頼みたいのは、力を貸してくれってこと」
「無理」私は首を振る。「もうこの街の人間のために頑張るなんて、無理」
「まあ話を聞きなさい」内ヶ島は私をなだめた。「最近起きた、火力発電所に対する細工事件は知ってるわよね」
「よく知らないわ」
「爆弾が仕掛けられてたの。一種のテロリズムよ。その爆弾は全部回収されたと思うんだけど、その犯人は捕まっていない。その調査を吉利さんが請け負っていたわけだけど、殺されて、有耶無耶になってしまった。で、その依頼主である、あんたがクソみたいな推理をして冤罪をかぶせた草叢さんが、私を見込んで、その犯人を探してくれって頼んできた。彼女、大臣は辞めさせられて、議事堂を追い出されたけど、テロリストだけは絶対に見つけ出したいみたい。その報奨金が、莫大ってこと」
「ふうん……」私は鼻を鳴らして思ったことを口にした。「もはやそんなテロ事件、個人の依頼どころじゃないでしょ。区や協会がなんで動かないわけ」
「探偵なんて、他の区に比べれば不完全な組織よ。簡単な調査や殺人事件の捜査にしか向いていない、特殊な存在なわけ。それはこの区が普通じゃないから成り立ってるにすぎないけど、外の区や大昔のこの国と同じように、テロ用の組織も編成すべき何なんだけど、区長の判断が甘いのか実現に至ってないってわけ。つまり、区や協会は自分の管轄外だと思ってる。この爆発で人が死ねば動くだろうけどね」
「軍はなにを?」
「外の区に対する防衛に忙しいって表向きは言ってる」
「は。それで暇な探偵志望が駆り出されてるってこと」私は笑う。「私になんのメリットもないじゃない」
「お願いよ……」内ヶ島は頭を下げた。「対崎ありえしか、もう頼れる人間はいない。報酬の半分は渡す。それで私は貯金と合わせて、団地を買収するのに足りる。お願い」
「……もうあんたの信じる対崎ありえなんかいない」
「……箭原でしょ」
沈黙。
「ここ最近は、箭原ノノコが、表向きにあんたの代わりに推理をしていた。その理由はわからないけど、楽をしようとしてたわけじゃないんでしょうね」
「……まあいろいろあって」私は、もう隠す意味なんかないと思って、彼女に、私が推理能力を失ったことと観察眼〈受け入れろ〉だけは生きていて、それで得た情報を箭原に伝えることで推理させていた事実を伝えた。
内ヶ島は別段意外そうな顔も見せないで、ふうんと呟く。
「まあ、おかしいと思ってたわ」彼女は言う。「その役目は……私じゃ無理よ。私、あなたのことそんなに好きじゃないもの」
「面と向かって言うかこの女」
「それでも、その観察眼で協力して欲しい」
「無理だよ。自信無い……あの日から、頭の中で、声がするのよ。観察眼だって思ってたものが……他人の声だったの。観察眼で事件を解決してたわけじゃないの。きっと……その声に導かれてるだけなのよ」
「……あんたの観察眼は残ってるわ。私は、そう思う。箭原だって馬鹿じゃ無い。あなたの集めた証拠に変な偏りが無いことはわかっているはずよ」
「…………」
「あんたにメリットを用意します」内ヶ島が言った。「私のコネクションを使って、箭原とあなたを面会させる。そして、もう一度推理をしてもらうの。吉利さんの事件について。そうすればあなたの不名誉は消える。決してフォーゲットのことも、私から改めて協会に伝えてもいい。そうすれば箭原も出られる。だから、私に協力して」
箭原……。私には、もう箭原しかいない。テレビでの姿は、傷ついていた。面倒くさそうにしていた。相変わらず死にたがっていた。そのくせに私には協力してくれた。
その理由だって、いまいちよくわかってないじゃない。
「……報酬は箭原にあげて」
「対崎……」内ヶ島は両手を合わせる。「じゃあ……」
「まずは……箭原に会いたい」
数日時間がかかる、と内ヶ島は言った。私はそれを聞いて承諾をしてから、家に帰る覚悟を、腹の底に決めた。
帰ると祖母に文句を言われたが、お金をつかませると大人しくなった。それ以上なにか言うなら、また出ていけば良かったし、この老婆を養わなくてはいけないという思いが、以前よりも薄くなっていることを実感した。
内ヶ島が家に訪れたのは、本当にあの日から数日後のことだった。祖母に見つからないように、息を止めてこっそりと私の部屋まで彼女を招いた。
内ヶ島を、仏壇の前の綺麗な座布団に座らせた。
「ごめん、ちょっと箭原への面会の話はまとまってない」開口一番に、彼女は期待外れなことを言う。「でも、あんたに関係する話を、星田から聞いた。あいつは、今、拘置所にいるんだけど」
「元気だった?」どうでも良かったが尋ねた。
「まあ、前よりは大人しくなってるし、私が行くと嬉しそうにするわよ」内ヶ島は咳払いをして話を変えた。「星田から聞いたのは、投票の話。以前にも……志鷹とか、そのあたりから、あんたも聞いたことあるでしょ」
「まあ……吉利先輩も、ほのめかしてたんだけど、いまいちよくわかってないのよね」私は自分のベッドに座った。「あんたは知ってるわけ?」
「私は、そういうの嫌いだったから、参加してないのよね。箭原も面倒くさいと言って、関わらなかった」内ヶ島は思い出しながら話す。「そもそもこの投票……学校の養育プランに誰を差し出すかっていうものだったのよ。それに選ばれた人間っていうのは〈受け入れろ〉学校の好きに、みっちりと教育を受けさせられるって言われてる」
「そんな記憶ないわ」私は首を振る。「おかしいわよね。私自身に、なんの記憶も無いなんて」
「その記憶矯正すら、養育プランの一環なんじゃないかしら」
「記憶矯正……」
「この区にはオーパーツが無数にあって、その全てがそれぞれどれだけ文明のかけ離れた機能を有しているかなんて、私たちはほとんど解明できていないんだから、記憶矯正機能があるオーパーツだって、存在はするでしょうよ。あんたはきっと、知らない間に養育に出されて、その記憶を失っている。投票は、本来は、落ちこぼれの生徒に対する施しとかいう意味もあったらしいんだけど、私達の時は違った。大岩根が、あんたのことを嫌っていた。あいつ、自分の姉から投票システムとその真相を聞いてたみたいで、クラスの連中を巻き込んで、あんたを投票で選ばせるように呼びかけた。そうして出来たのが、異常なほど高性能な探偵の対崎ありえってわけ。あんたは、もともとそれなりに出来ている探偵だったんだけど、養育を経て、ここまでの超人に仕立て上げられたのよ」
私の能力は、私個人で得たものではない。そんなことを言われて、足元が揺らぐ。影から手が伸びてきて、吸い込まれそうな気分になった。しかも、大岩根が私を売った。
お前は売られた、という志鷹の言葉も思い出す。
海野舞美も、私に同情のような視線を送っていた。その理由を、全て理解した。
「箭原のお姉さんも」内ヶ島は、私の様子なんて気にしないで続けた。「この投票で選ばれたらしいわ。探偵には、投票の後から頭角を現し始めたらしくて、最終的に相当な実力者と言われるまでになっていたようね。どういうわけか、決してフォーゲットに、殺されてしまったのだけれど」
〈受け入れろ〉さっきから、頭の声が、鳴り止まない。
気が狂いそう。私の幻聴なのか。
〈受け入れろ〉この声の主にとって、この話に都合が悪いのか。
〈受け入れろ〉この声の主が、養育プランを仕掛けている張本人なのか。
「対崎……?」内ヶ島は、心配そうに私の顔を覗き込んだ。「大丈夫?」
「…………多分」
「……なら続けるわよ」内ヶ島は、座布団に丁寧に戻る。「拘置所に行った時に、海野にも会った。彼女、箭原と仲が良かったの。知ってた? ずっとふたりで、あなたのことを話してたのを知ってる。それでおかしいと思って、気になったことがあるんだけど、あなたが殴られた時、って、このふたりは現場にいたのよね」
「ええ……」
「海野が、あなたに会いたがってた。別れたくなかったって、ずっと言ってた。それで、おかしいと思ったわけ。だって、別れたくて殴ったっていうのが事件の真相のはずなのにね」
「あの子の考えてることは……よくわからないわ……未だに」
「私は、そのときあなたが推理能力を失ったっていうのも、おかしいと思ってるわ」内ヶ島はちらりと窓の方を見た。「対崎、これから予定は?」
「無いけど」
「なら、海野に会いに行きましょう。何か話してくれるかもよ」
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