16話

 木根淵は何処か人を馬鹿にしたような、気味の悪い態度を取り続けていた。

 彼の行動は、他のふたりと全く同じだった。休憩中は一人でここにいたという。

「吉利ちゃんとは」木根淵は言う。「まあ依頼はよく頼んでたよ。いろいろな調査とか……紛失物の捜索とか、そんなのが多かったかな。殺人事件は流石に遭ったことがないから頼みはしなかったけどね。惜しいな。殺す動機なんて、この会議メンバーの誰にも無いんじゃないの」

「メンバーに選ばれた経緯って言うのは」

「単に知名度さ」身も蓋もないことを彼は言う。「区で慈善事業に注力してたら、みんなが応援してくれて、そうしてるうちに、みんなが私を会議メンバーに推してくれて、それを区長が認めたってだけ。別に、吉利ちゃんもそう変わらない経緯だろう?」

「……そういえば区長は?」私は気になっていたことを何故かこの男の前で口にする。「姿が見えないんですけど。多忙っていうのは聞いてますが」

「いつもだよ。忙しいからって、会議も別室で回線を繋いでいる。議事堂から何年も出たことがないんじゃないかって噂もあるくらいだよ」

 腕を上げて頭を掻く木根淵。そのスーツの隙間から見えている、ダサい服〈防弾チョッキ 銃弾を受けても致命傷にならずに済む保険 この区の日常で身につけるのは過剰〉。

 彼は、辺りを急に見回すと、一転して真剣な表情で私に近づく。

「ねえ、ちょっと話したことがあるんだがね」

「なんですか」私は顔を顰めて、身体を離す。

「いや……聞いたんだよ。ここ、会議室から、南西にあるだろう? その……草叢ちゃんとは、廊下こそ違えど、部屋としては隣に面してるんだよ」

「そうですね」

「だから、聞こえたんだ。あの女が、秘書と話している所が……。吉利ちゃんがどうとか言ってたよ。その時は、なんとも思わなかったんだけど、その後に、吉利ちゃんが殺されただろう? 怪しいと思ってね」

「……具体的には?」

「吉利ちゃんを殺したいみたいなことだよ」

 それは……、

「本当、なんですか?」さすがの私も動揺を隠せない。それが本当なら、証拠の一つになるんじゃないのか。

「ああ……嘘なんか言って、なんのメリットがあるんだ。他にも、慌ただしく物を片付ける音とかね……きっと凶器を処理してたんじゃないかな。あの女……怪しいよ」

 考え込む。草叢が犯人なのか? それともこの木根淵が、何かの目的で嘘を言っている?

 わからない。私のこんな頭では、もうその判断もつかない。

「……参考にさせてもらいます」とにかく私は、立ち上がって部屋を去った。

 木根淵は、「あの女の正体を暴いてくれよ」と私に背中に向かって、ずっと祈る〈何も出来ない人間が、優秀な他人に全てを任せること〉みたいに言い続けた。

 煮え切らない気持ちを抱えたまま、木根淵のもとから、学長の待っている部屋へ向かう。これで一通りの事情聴取は最後だった。

 彼の事務室は、会議室の大きな入り口から出て、そのすぐ脇にあった。堅牢な扉をノックをして、私は返事も待たないでノブに手を掛けて中へ入った。

 待っている、と彼は言っていたのに、そこには誰もいなかった。空虚な机。さっきまで使われていた、手の熱すら持っていそうな筆記用具。重ねられた資料が、倒壊しそうなビルのように積まれていた。

「学長?」声を掛けてみたが、返事は無かった。

 待っていようかと思い、私は手頃な椅子に座ろうとしたが、珍しい物に目が止まる。

 机の上に置かれているのは、学長がいつも付けている謎のバイザーゴーグルだった。

 大袈裟な機械が積んであるらしく、いつも重たそうだと思って見ていた。手に取ると、その冷たさに手を引っ込めてしまいそうになった。想像よりも重たく、首が凝らないか心配だった。

 覗いてみた。これだけの物を、常に装着しているからには、何か重大な理由があるんじゃないかと思った。

 けれど、私の両目に映し出された景色は、肉眼のものと何も変わらなかった。疑問符が浮かんでくる。何故学長はこんな物を……。まるで、筋トレをするために日常的に付けているに過ぎないみたいに、そこからの景色にはなんの添加物も無かった。

「すまんな」

 扉を開けて、学長が戻って来た。

「ああ! すみません」私は慌てて、学長にゴーグルを返して、自分の椅子に戻った。

 思ったよりも普通の顔つきをしていた学長の顔を反芻しながら、彼がゴーグルを装着するのを待った。

「首尾はどうだ」

 いつもの感じになった学長に対して、私は答える。

「まあ……ぼちぼちです」正直なところというより、少しだけ誇張して言う。「学長の行動も、教えてもらいたいんですけど」

 彼は話す。講義を受けている時のことを思い出すくらい、いつも通りの口調でしか無かった。

 彼の行動も、他の容疑者と相違ない。ずっとこの部屋にいて、騒がしいから入り口の鍵を開け、中の様子を見ると吉利先輩の死体が目に入った、という。

「残念だよ、吉利が殺されたのは……彼女の死は損失だ。殺すくらいなら……不謹慎かもしれないが、殺すくらいならもっと利用価値を、考えてくれても良かったんじゃないかと、思わずにはいられないね」

 学長は懐から大事そうに、なにかキラキラと輝く物を取り出した。それはペンダントだった。

「……区長からの預かり物だ」私が不思議そうに見ていただけで、彼はそう説明する。「困ると、こうして祈る〈他人に全てを任せる〉。彼女は知り合いだからね。その縁で、私は探偵学校の学長にもなれたし、ここにも呼ばれてる。私は元々、区の軍にいたんだが、その洞察力を買われて、探偵学校で教鞭を握るように頼まれた。同時に、探偵としても仕事を始めたよ」

「区長は、今どちらに?」

「それが私にもわからない」彼は首を振る。「議事堂にいることは確かだが、長らく外に出た公的な記録はない。私も、肉眼で見たのはかなり昔だ」



 これからどうしようか、と考えながら廊下に出た途端に、私の頭に閃きが降りて来た。

〈犯人は〉

 どういうことだ。私の頭はおかしくなっていたんじゃないのか。治った? そうとしか考えられない。だって、箭原無しでも、この事件の犯人がわかったからだった。

〈犯人の名は〉

 私は、あわてて学長室に戻った。



 私が、頭に降って湧いた事件の概要を学長に告げる。

 犯人、つまりは草叢インフラ大臣は、すぐさま逮捕された。

 私の頭に湧いた推理は、そう難しいものではない。

 草叢は第一発見者。始めから不利に疑われる立場ではあったが、彼女の犯行を裏付けるものが二つあった。

 それは木根淵の証言と、窓枠に残った手型。

 木根淵の言ってた話から言えば、疑うのは当然だし、凶器の処理も当然この時の物音がした際に行われていた。そして窓枠。この手型は、外の川に返り血のついた服を投げ捨てた際のものだろう。これも裏付けになる。いずれは探偵が、その証拠品の現物を発見するだろう。

 なんてことはない。これは、突発的な衝動殺人だ。秘書の手も借りて少々の隠蔽をした程度で、大した事件ではない。推理と言うほど、頭を回転させる必要もなかった。けれど、吉利先輩の仇を取ったという満足感が、私の胸に、連続殺人を解決した時に比べて何倍にもなって、湧き上がっていた。

 あとは、吉利先輩の遺体をどうするか。そのことを確認するために、私は彼女の事務所に訪れて、秘書の人に話を聞こうとした。

 なのに、彼は何処にもいない。不自然なくらい、鍵を開け放して。



 二日後のことだった。

 草叢大臣の冤罪が確定し、彼女は釈放された。つまり、私の考えは間違っていたということだった。

 私は草叢のもとへ謝罪に出向いて、そのあと再び現場、つまり議事堂に向かった。なぜ冤罪だとわかったのか、現場を調べていた探偵に、話を聞く必要があったからだ。

 現場の探偵は、私に問う。

「対崎さんの言っていた、窓枠の手形が見つからないんですよ。それでおかしいと思って……」

「嘘……そんなはず……」

 私は、会議室から草叢の事務室の方面へ抜けた。そこにある窓。場所は覚えている。はっきりと、ガラスに穴が空くんじゃないかっていうくらい、凝視したから覚えている。

 なのにそこには、何の手形も無く、

「後……」探偵が言いづらそうにしている。「木根淵の証言も……その……草叢さんは音楽を常にかけてますから、木根淵が壁越しに彼女の話を聞けるとは思えないんですよね。あの対崎さんが信じてるから、鵜呑みにしてましたけど、そもそもおかしいですよね」

「……あ……」その通りのことを、なんでもっと早く気づかないんだろう。

 どういうことだ。手形が消えるはずがない。綺麗に掃除されたわけでもない。埃が、同じように短期間で積もるわけでもない。

 壁に手をつく。おかしい。私の頭はおかしかったが、何故そんな結論を、急に出してしまったんだ。

 そうだ。箭原がいないと、犯人の名前なんて、湧くはずがない。

 何故。〈自分の観察眼に従ったから〉

 そうなのか?〈間違いはない〉

 あくまで観察眼は、犯人の名前なんて割り出せないんじゃないのか。〈割り出せる〉

 これは、観察眼なんかじゃない。〈優れた対崎ありえの観察眼だ〉

 誰か……

 ――誰かの都合で、私は踊らされていた?

〈受け入れろ〉

 観察眼で得ていた情報のはずなのに、それが声になって響くみたいに、大きくなっていた。

 観察眼なんかじゃないんだ。これは、他人。他人の意思だ。

〈受け入れろ 受け入れろ 受け入れろ〉

 やめて。誰? 誰なの?

「私を操っていたのは……誰……?」



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