15話

 議事堂は、私の自宅からは遠かった。路地裏や、汚い階段を抜けて、突き進んだ先にあった。サードイヤーが安全なルートを探してくれたのかもしれないが、歩き疲れるという感情のほうが勝った。

 吉利の事務所からはほど近いことは知っている。彼女の事務所になっている元生野菜店を通り過ぎてから、さらに歩いた。まだ、彼女が生きたまま事務所にいるような気さえしていた。覗いても良かったが、いないと知ったときの喪失を考えると、実行できなかった。

 議事堂〈マンションとマンションの間にそびえる、巨大な石柱みたいな形をした威圧的な建物 オーパーツの時代に建てられたという話もあるほど、内部は近代的で、その殆どが解析されていないらしい〉に入る。サードイヤーは、外で待っていると言った。

 エントランスを抜けると、そこには学長が待っていた。

「対崎、来たか」

「はい……」私は頷く。息を飲み込んだ。吐き気さえしてきた。「現場は……?」

「こっちだよ」

 学長〈至っていつも通りのスーツ姿 綺麗に固められた髪型 そしてなんのオーパーツなのか、常に装着している無骨なゴーグル〉は私を案内する。

 現場は、会議室だった。エントランスから正面の巨大な扉を抜けると、すぐにその会議室はあった。議事堂の設備の中で、現在のところもっとも頻繁に使用されているのが、ここだった。

 高級そうな木製の長いテーブルがいくつかあって、そのどれもが同じく木製の重量感のある椅子。それらは、一番奥の区長席に向いていた。区長席は反対に、こちらと対面するようになっていた。そこには背もたれが異様に長い椅子と、豪華な教卓みたいなものが置かれていた。

 その区長の卓の上だった。

 見たことのある四肢。見たことのある身体。そして見たことのある顔。

 なのに一度も見たことがない、彼女の姿がそこにあった。

「嘘……………………」呟いてしまった。膝から崩れ落ちてしまった。見たくなかった。

 吉利先輩の、死体なんて、本当は見たくなかったのに。



 私が落ち着くまでに時間を要したが、会議室にはすでに容疑者が集まっていた。彼らは、それぞれ距離を取りながら、椅子に座ってじっとしていた。

 知らない顔の探偵も三人ほどいた。学長が言うには、新人だという。私は、彼らから、事件の状況を聞く。

 被害者はもちろん、吉利一与。死亡推定時刻は十四時半。その時間は、私が吉利先輩の事務所で彼女と会っていた時間の、直後だった。あの時までは、普通に生きていたっていうのに、不思議なものだ。

 死体は区長席の卓の上に寝かせられるように置かれていた。

 死因は撲殺。何か重いもので頭を殴られたようだ。冗談じゃないほどの血が出ていた。血の跡には移動させた後があるらしく、殴られた瞬間は部屋の中央だったと見られている。

 容疑者は五人。全員が、発見直前まで会議室に集まっていた顔ぶれだった。

 第一発見者の草叢静羽。〈身長は高いが、やや幼い印象のある女 変に子供みたいな髪の結び方をしているが、対崎よりは年上だろう〉区のインフラ担当大臣だという。会議の合間の休憩時間に、事務室に戻っていた彼女が、再び会議室に姿を表した時に、吉利の死体を見つけたという。

 他の容疑者は、能崎学長。区長とは古くからの知り合いらしく、彼は学校のことよりも、議事堂に呼ばれて仕事をしていることのほうが多い。探偵学校が、区に重要な施設だと認められていることの裏付けにもなっていた。会議の合間の休憩は、自分に割り当てられた事務所に戻っていたという。

 次に木根淵みつお。〈ハゲた中年男性 歯が出ている 常ににやにやと笑っている〉彼はオーパーツ研究機関の重役だという。休憩時には、学長と同様、自分の事務室に戻っていた。

 そして、箭原智司。〈面倒そうに伸ばした髪 まるで似合っていない 細身でスーツを着用〉その名前のとおりに、箭原ノノコの父親だという。ツインガレネットの管理会社の中では、相当な地位だった。私のことは、娘の友人として知っているらしい。娘があんなことになっているせいか、ずっと浮ついた態度を取っている。休憩時は、他と同様。

 古殿梨沙という名の区長〈顔写真は有名 長い髪を金髪に染めた、ふざけた区長だとよく言われる 比較的若い〉も、捜査上では容疑者ということになっているが、姿は見えなかった。区長ほど多忙な人間は、殺人事件の容疑者になろうが、その仕事を止めることはできないようだった。事件発生時は、どこかに行っていたとの話が出ているが、裏は取れていない。

「事件の時は」新人探偵の男が書面を見ながら言う。「確認が取れない区長を除いて、全員がそれぞれ自分に割り当てられた事務室にいたようですね。この事務室は、ここ、会議室にある……ほら見てください、部屋を囲うようにあるでしょう。東西南北に通じる五つの扉から行けるようです。学長だけは、南の入り口から出て近いところにあるようですけど、他の人は、西に草叢さん、南西に木根淵さん、東に箭原さん、そして区長の部屋が南東にあるってことです」

「ややこしいわね……」私は頭をかく。「ようは、それぞれが個別の部屋にいたってことね」

「そうです。それで……それぞれの扉が、休憩時には、安全のために、鍵がかかっていたらしくて、鍵を開けるには、当然鍵が必要なんです。もちろん、内側からなら開けられますけど」男は唸る。「発見当時、草叢さんの扉だけが開いていたんですよ。彼女が、自分の事務所から戻ってきた時には、掛けたはずの鍵が開いていて」

「他は、施錠されたままだったってこと?」

「そうですね。発見された際に、全員が鍵を開けて入ったと証言していますし、その様子を草叢さんも見てます」

 そこまで聞いて、疑問が湧いた。

 吉利先輩の死は、私が会っていた直後。事務所から議事堂までは、十分程度で辿り着けるものでも無い。何で移動したんだろう。自動車なんてこの区の中には無い。車が通れるような公道が存在しないからだった。内ヶ島が持っているというバイクを用いれば、可能なのだろうか。

「先輩の死亡推定時刻の根拠は?」

「えっと……会議に出席していたんです。十三時から、十四時二十分の休憩まで」

「それっておかしいわ」私は顎に手を当てる。「私、殺される直前まであの人に会ってるのよ」

「そうなんですよね……」男は頷く。「吉利さんの秘書も、吉利さんが事務所にいたことは確認しています。あなたの訪問も。どういうことなんでしょう……」

「……情報が足りないわ」わけがわからない。「吉利先輩が、ここと事務所、同時に存在してたってこと?」

「まあ、そうなりますよね……」探偵はため息を吐く。「それか……休憩時間は空白ですからそこから急いで戻ったんですかね。ああ、でも距離的に言えば間に合わないか」

「なにか移動手段があったのかしら……」

「ねえ」

 突然に話しかけられる。

 声の主は草叢だった。第一発見者で、インフラ担当大臣で、軽そうな見た目の女だった。椅子に、不機嫌そうにふんぞり返っていた。

「あなた対崎ありえよね。直前まで会っていたなら、この人も容疑者じゃないの。私だけ疑うのはおかしいわ」

「確かに」木根淵、禿げた男。けらけら笑う。「その人、今話題でしょ? 決してフォーゲットを擁護して隠蔽してるとかなんとか。我々より、よほど怪しいじゃないですか」

「勝手を言わないで下さい」私は反論する。「学長に言われて捜査に来ただけです。疑われる筋合いなんか……」

「でも、事実でしょ?」

「それは……そうですけど」

 私は学長に向く。彼は「仕方ない。捜査に関わってもらうが、自分は容疑者であるという意識は持ってくれ」と私に告げた。どうして私まで疑われないといけないのか、納得がいかなかった。こんなにも、気分が落ち込んでいるというのに。



 事情聴取のため、私は容疑者それぞれの専用事務室に、本人を連れ立って向かうことにした。議事堂がどういう構造になっているのか、把握しておきたい理由もあった。

 会議室から東の扉を抜けた先は、廊下が伸びていた。いくつか部屋〈大凡が物置〉があったが、用事があるのは一番奥だけだった。

「汚くて、ごめんよ」箭原の父親が、私を事務室に案内した後に、ぽつりと漏らす。

「いえ、お構いなく……」

 机と、本棚。散らかった書類。喫煙者なのか、吉利先輩からしていた、大人の爛れた匂いが、この部屋にも漂っている気がした。

 私は彼の正面に、椅子を持ってきて座った。箭原父は、いつも使っているらしい自分の椅子に収まった。

「別に、私は何もしてないよ」尋ねてもいないのに、彼は先に口走る。「今だって、恐ろしいくらいだ、自分の近くで、あんなことがあったんだからね……本当に、恐ろしくて、しょうがないよ」

「事件当時の話を聞かせてもらえますか?」

「何も特別なことはしてないよ……」自分の両肩を抱く。あの箭原ノノコの父親だとは思えないくらいに、気の弱そうな態度を取っていた。「昼くらいに会議のために集まって……出席者は、容疑者になってる全員だよ。ああ、区長は例によって、姿を見せなかったけどね。声は聞こえた。別室で監視でもしてたんじゃないかと思うんだけど……。で、休憩に入ることになって、私は真っ先に会議室から出て、鍵をかけて、ここに来たんだよ。鍵をかけたのは、まあ、ここのメンバーとして呼ばれるようになってから、そういう決まりだから守ってくれって言われていたんだよ。それから一時間後に、悲鳴が聞こえたから、気になって見に行ったら、草叢さんと、能崎さんと、木根淵さんがもう集まってて、テーブルの上には死体が乗っていた……それだけだよ。怖いよね、ほんと。吉利さんとも、会議のメンバー以上に、特別な関係は何もなかったよ。誰がやったんだろうね……怖い」

「まあ心中はお察しします」私は、いろいろな意味を含めて、そう言った。

「……君は、娘の知り合いなんだってね」箭原父は、私の顔を覗き込むように見てから、話を変えた。「二人で活躍していたそうじゃないか……私も、あのノノコが立派にやっているようで、安心してたんだけどな……」

 仲違いをしたうえに、捕まってから面会にも行っていないことを、彼に告げる勇気は私にはなかった。私は「お世話になってます」と当たり障りのない挨拶をすることに帰結した。

「拘置所でもね」父は言う。「ノノコは……、平然と、自分は間違っていないだとか、腹が減っただとか、枕が固くて眠れないとか……そんな話をしているよ。あまり変わりがないようで安心だけど、こっちは……ずっと心配なんだよね」

 ――決してフォーゲットに殺されたい。

「娘は……まあ、不幸があったんだと思う。今拘置所にいるのはね……。黙っていられないことがあって、たまたまそれが、区のタブーだっただけなんだろう。ひょっとすれば、あの子の推理が、間違っているのかもしれない。でも、どうなろうと、私は彼女が自分を信じて、強く生きてくれれば、それで良いんだよ。無事に拘置所から出てきてくれることを、祈るだけだよ」

「…………そうですね」目を合わせられなかった。

「娘は、探偵としては、どうだった? 君という……対崎ありえという名探偵の目から見て」

「…………………………感謝しています。優秀でした」

 箭原父の部屋を後にして、第一発見者の草叢の事務室へ向かった。その場所は、会議室から西の方面にあった。

 事務室の作りは、箭原父の所とそう変わりはない。置かれている物も、大凡は同じだった。あそことの違いといえば、書類や本の類が散乱しているかどうかだった。最も異質なのは、大きな事務机に置かれているステレオコンポだった。そこから、訳のわからない音楽が流れ続けていた〈プログレッシヴ・ロック はるか昔に流行した難しい音楽 女性ファンが少ない〉。

「あの……」草叢の正面に置かれた椅子に座って、私は言う。「事情聴取なんで、音楽は消してもらえると」

「嫌よ」草叢インフラ担当大臣は、きっぱりと断った。その容姿は、年齢とは無相応に幼い。「私ね、音楽を聴いてないと、狂うの」

 私の側に立っていた、彼女の秘書なのかマネージャーなのかが、そっと耳打ちをする。

「草叢さんは、音楽依存性の気がありまして……常に何かを聴いていないと、落ち着かないんです。会議中も、小型の再生機で、耳にイヤホンを片方だけ差して出席しているほどで……」

 面倒だった私は、そのまま話を聞くことにした。

 頬杖を突きながら、草叢は自分の行動を話す。

「昼から会議があって、休憩があって……事務室、まあここだけど、ここで秘書と話してて……それで、いつも早めに入って、資料の下読みとか、音楽再生機のセッティングとかするから、時間より先に会議室に戻ったんだけど、そうしたら、鍵が開いてて。掛けたはずなのに。で、中に入ったら、吉利が死んでるのが見えて、思わず腰が抜けて、慌てて秘書を呼んで……他の人にも知らせてもらったの」

「探偵に……」秘書は補足する。「通報しようと思って、事務室に戻りました。電話を掛けて、現場に戻ると、他の人たちも全員集まっていました」

「……そうですか」疑いを、払拭するほどのものでもない。「二人では、どんな話を?」

「ずっと、今後の話よ」草叢は言う。「火力発電所〈継院枯区の電力の全てを賄う発電施設 この設備自体がオーパーツであり現代の科学力では再現不可能〉の運営と管理が今の主な業務よ。燃料費がバカにならないから困ってるの」

「長いんですか? 大臣になって」

「別に……五年ぐらいかな。区長とちょっと知り合いで、そう言う方面に精通してるのが、私だけだったって話よ。要は、コネクションよ」

「吉利さんとは、どう言う関係ですか?」

「どう言うって……まあ、個人的に調査依頼を頼んだことが何回かあるけど、でも、それ以上の付き合いはないわよ。会議では、いつもちゃんと発言してて、偉いなって思ってたくらいよ。別に、その程度の、他のメンバーと変わりない関係よ」

「調査依頼っていうのは」

「おかしなものじゃないわ。簡単な調べ物よ。別に、浮気調査とかを頼んだ訳じゃないわ。ただ仕事が多忙だから、お金を払って、ちょっと突っ込んで調べてもらいたかっただけ」そうして、草叢は俯く。「でも、頼りにしてた。あんなに有能な人と同じ会議に出られて、しかも頼み事も聞いてくれる。途轍もなく突出して優秀な探偵……メンバーはみんな、彼女が居なくなって困る人ばっかりよ。私も、そうなんだから……」

 草叢の嘆きが、後ろで流されている音楽よりも、はっきりと聞こえた。

 いたたまれない。そっと部屋を後にした。その帰りの廊下。外なんて碌に見えないのに、綺麗に等間隔に設置してある窓の枠が目につく。

〈手型のような跡 積もっていた埃がとれている〉なんの跡だろう。手を置いたように見えるが、窓なんて、隣のビルと眼下を流れる川くらいしかない。

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