3・人Hと人Aが信Tじ合Eう

14話

 祖母が観ているテレビ〈映像を垂れ流す装置 仕組みはオーパーツの応用で出来ている 区のプロパガンダに用いられるが、スポンサーの意向で下らない放送が行われることもある〉の音が、ぴったり閉じた扉の向こうから微かに聞こえる。

 その内容は想像通りのものだった。

 箭原ノノコ逮捕。

 探偵学校に通う、近頃は対崎ありえと組んでいた箭原ノノコが、吉利一与に対する侮辱罪で逮捕された。その詳しい内容は報道すらされないみたいだったが、私にはその理由がわかった。吉利先輩のことを決してフォーゲットだと告発したからだろう。

 当然だった。吉利先輩の影響と地位は、決してフォーゲットなんていう薄汚い殺人鬼で汚していいものではなかった。

 けれど、箭原の推理を聞いた私には、その侮辱が真実なんじゃないかという考えも、今となっては理解できるようだった。それがたまらなく、気持ち悪い。

 テレビは次に、多川が殺人事件で逮捕されたニュースを続けた。諏訪殺人事件だとは言われなかった。その事件はもう、決してフォーゲットの犯行だと結論付けられていた。今更取り下げることは、吉利先輩の失敗を意味する。

 ツインガレネットを開く。〈対崎は自室に、違法に設置したネット端末がある サードイヤーもその設置に協力した〉掲示板。箭原の話ばかりだった。

 あの女はクソ。クズ。ゴミ。吉利先輩の評判の高さが、そのまま裏返って箭原に対する鈍器になっていた。

 私の評判も書かれていた。案の定だった。私は、決してフォーゲットの正体を知りながら隠蔽したクズ女だという意見がその大半を占めていた。同時に、以前に比べて依頼の進みが異常に悪くなっているという不満も散見された。推理を箭原に手伝ってもらってから、ひとりの時よりはスムーズにいかないんだから、それはしょうがないだろう。

 ひとりだけ私を擁護する人物もいたが、相手にされていなかった〈名前はサナプラス 言っていることはまとも〉。

 ネットを閉じる。

 吉利先輩に、会わないと。私の頭には、その行動理念だけがあった。

 家を出て、吉利先輩の事務所に徒歩で向かった。来る途中に、区民に目撃され、変な注目を浴びてしまったが、私は走って逃げた。余計に怪しい行為だったと、逃げ切ってから思った。

 彼女の事務所は、区の重要施設である議事堂〈区長を始めとした、区の運営に携わっている権力者が会議を執り行う場所 学長や吉利もその一員〉から比較的近い場所にあった。こう見えて、来たことはない。生野菜店の居抜きだったのか、朽ちた看板がまだぶら下がっているし、吉利先輩の事務所であることを示すものはもの何もなかった。

 中へ入り、二階へ上がる。インターフォンを鳴らすと、秘書の男が現れて、吉利は三階にいるから勝手に上がってくれと言われた。私のことを知っているからか、薄いセキュリティだなと思った。

 彼女がいるという扉の前でノックをしようとすると、話し声が聞こえた。内容を聞いてはいけないと思って、耳を塞いだ。なにか……決してフォーゲットに関する話だったら、私はどうすればいいかわからなくなりそうだった。

 話が終わるまで待ってからノックをした。すぐに中から声がした。先輩の声は、聞く限りはいつもの様子だった。

「ごめんね、電話してて」机の椅子から動かないで、彼女は言う。「ありえちゃん、何か用事?」

 私は深呼吸をしてから、考えていた質問をする。訊きたいことは、至ってシンプルだった。

「箭原はどうなるんですか」

「……残念だったね」俯く彼女。「私は……ちゃんと話を聞いて、彼女の主張、推理を精査すべきだって思ってたんだけど、探偵協会が一方的に、私に対する脅威や侮辱だって決めつけて、今は拘置所にいる」

「実刑ですか」

「それはわからないけど……私が望んだわけじゃないけど、私に対するそういう行為は、平和を脅かすとして、わりと重く扱われるよね」先輩は、目の前にタバコがあるのに吸おうともしなかった。「今は大人しく捕まってるみたいだけど……」

「先輩は……」私は意を決する。「決してフォーゲットが先輩だって言うのは、本当ですか」

 ――。

「実は、そうなんだよ」

 平然と、先輩は頷いた。

 まるで、別に大したことのない雑談みたいだった。

「辛いよ」そして、俯いた彼女。「人を殺さないといけないなんて、辛い」

「なんで……」私はきゅっと、拳を結んだ。「なんで、人なんて殺してるんですか」

「私の意思じゃない」彼女は首を振った。「区が、私に殺人を押し付けるの。あいつを殺せ、こいつを殺せ、次はあいつ、次は、次は、ってな感じで。その理由は、わからないけど、簡単な推測はできる」

 嘘を言っている。そう思いたかった。

 なのに、そんな素振りは見せないで、先輩は話し続けていた。

「……櫛谷先輩も、殺したんですか」

「それは違う。あの子には……ストリップに出るように頼んだだけだよ。そもそも、多川くんに隠蔽の手伝いを頼まれたのは、たまたまその瞬間を目撃したから。決してフォーゲットとして、それを行うつもりはなかった。だから……………………驚いたよ、すごくね。自殺しろなんて、私が言うわけ無いじゃん。あの子のことは、私が一番必要としてるんだから……」先輩は後ろを向いた。「彼女は、決してフォーゲットの正体を自分だと示してから死ぬことで、私からその可能性を摘み取った。私が悩んでいるのは知ってたから、彼女はこの機会を利用したんだろう。疑いを被ることで、私の肩の荷を降ろしたんだよ。今が、逃げるチャンスなんだ」

「……やめるんですか、殺人」

「辞める。櫛谷に疑いが向いているうちに。その間は、次の殺人なんて、命令されないでしょうから。でも、私には、まだやることがあるから」先輩はまた、私の方に身体を向けた。「ありえちゃん。私は、君のことを応援している。だから、私みたいにならないでね」



 区民に見つからないようにこっそりと自宅に帰る。

 距離的にそれほど掛かるわけでもないっていうのに、先輩の事務所を出てから、一時間が過ぎていた。遠回りしすぎたようだ。お陰で、現在の区民は私に対して、本当に良い感情を抱えていないことを、区民同士の会話から、窺い知ることが出来た。

 ポスターまで作られて、あれだけ持ち上げられていたのに、どうしてこんなことになったんだろう。間違えたのか。こんなことなら……箭原と一緒に、吉利先輩を糾弾して、拘置所に入っていたほうがマシだったのだろうか。

 ……いや、さっき会った時に確信した。彼女がどんな罪を犯していようと、私の憧れが彼女であることは間違いはないはなかったし、私の探偵としての技術は、彼女の著書から培ったのも事実だった〈探偵心得 探偵学校の教科書にも指定されている本 曖昧な概念で書かれていることが多く、その内容を真に理解できたのは対崎くらい そこには探偵としての技量や、街のこと、殺害方法についての目録、特殊な毒物や大型爆弾についての知識も盛り込まれていた〉。ましてや区に命令されたから嫌々に殺人を犯しているだけだと吐露されれば、おいそれと突っぱねる気にもならなかった。

 玄関を抜けると、祖母が待っていた。嫌な予感がしたが、笑顔を浮かべて応対する。すると、私の予想に反して、彼女が待っていた理由は、私に繋いだままにしている電話を取らせることだった。

 私はすぐに礼を言って、受話器を取った。

「もしもし」

『私だ。能崎だ』〈探偵学校の学長〉

「えっと、どうしたんですか」

『いいか? 落ち着いて聞いてくれ』

「…………はい」

 その先の言葉を、私はなぜか知っているような気がした。

『吉利一与が、死体で発見された』

 ――。

 頭の何処かで、それだけの不幸が起きることも、覚悟はしていた。

 なのに、私はそれから何の返事もできなかった。

『私の指名だ。対崎。君に捜査して欲しい。他の探偵は、やりたがらない。議事堂に来て欲しい。場所はわかるな? それでは』

 切れた。

 ああ、行かないと。身体の力が抜けて、雑巾みたいになりそうだったけど、なんとか私は歯を食いしばって立った。

 先輩。死んだ? 信じたくない。行かないと。

 受話器を置いたのかどうかすら、よくわからないままに、外に出る。

 すると、待ち構えている一団。

「よう、対崎」大岩根だった。「悪いが、お前を、現場に行かせたくない」

「……先輩が死んだこと、もう知ってるの?」

「探偵全員に声をかけられている。誰も受けないだろうと思った。学長から電話があった時点で、俺はお前のところに向かった。お前なら受けると思ってな」

「何考えてるの」

「対崎」大岩根は手に棒を持っていた。その後ろには、何人か、区に住んでいる普通の人が、何故か大岩根を応援するように後ろで待機していた。「俺はお前が嫌いだった。恐ろしかったんだ。吉利が死んで、次にオプティマイズドになるのは、お前だ。空いた枠を、補充しないといけないだろう。お前が選ばれるのが怖い。嫌だ。これは、私怨だ。お前が俺より……俺たちより上にいることが、耐え難い苦痛なんだ」

「……そんな保証、ないでしょ」

「俺と多川の夢を壊しておいて、よく言う」

「それは……箭原の推理よ」

「お前だってあいつと組んでただろう。同罪だ」大岩根は後ろを向いて、数人いる区民に語る。「この対崎はな、殺人鬼を養護している女なのは知っているな。殺人鬼と繋がりがある。今までの殺人にだって加担していただろう」

「ちょっと……」

「さらに、こいつは、既に依頼を完遂する能力がない。やる気がない。あんたたちの依頼を請け負っているが、詐欺だ。前払いだって発生しているだろうが、それをせしめて、適当な結果をでっち上げようとしている」

「ちょっと!」

 私が止めようとすると区民は石を投げた。

「この女!」

「今まで応援していたのに!」

「詐欺師〈レッテル そう言って溜飲を下げることが出来る〉!」

「殺人鬼〈レッテル そう言って溜飲を下げることが出来る〉!」

 石が私に当たる。痛み。

「あんた……! 何考えてんの!」

「嫌いだと言った」大岩根が平然と言う。「お前が殺人鬼を庇うところを目撃したのは俺だ」

「お前が!」

 石。痛い。

 逃げるか? でもそんな隙は見当たらない。この騒ぎの中で、自宅に戻るのも、祖母になんて言われるかわからない。

 孤独。私の存在価値は、探偵としての地位に依存している。ただそれだけの人間。

 それが崩れた途端にこれ。これが、区の人間。私が守ってやりたかったはずの。

「待て!」

 声。向く。

 そこには、サードイヤー。緊張した面。出したことも無いような大声を出して、臆している。

 彼女は武器を向けていた。なんの兵器なのかわからない。〈オーパーツ 高出力ビーム砲 一発撃つと充電に二週間かかる〉

「あ、ありえから、離れて」

「あ? お前は、誰だ?」大岩根はそれでも、彼女の持っている武器に警戒を示して、区民を一度止める。

「消えて」サードイヤー。「じゃないと、この銃で、辺り一面を灰にする。それだけの力があるオーパーツだよ、これ」

「…………ふん」大岩根は更に距離を取った。

「ありえ……」サードイヤーは片手を差し出した。

「あ、ありがとう」私は礼を言って、彼女の手を握った。「ごめん、説明している暇はないんだけど、すぐに議事堂に行かないといけないの」

「ああ、事情はわかってる」サードイヤーは頷いた。「護衛する。街は、もうありえにとって危険だから。でも、お礼が欲しい」

「なによ」

「私の伴侶になって」

 そんな言葉に、頷けないまま、彼女は私を議事堂へ引っ張る。

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