9話
軽く短時間で現場を調べた吉利先輩は、そのまま担当教師に現場保存と協会への連絡を頼み、空いている教室を貸し切って、事情聴取を始めた。
狭い教室だった。何に使うんだろう。四方の壁には、防音素材も埋め込まれている。用意された簡素なパイプ椅子に座っているだけで、どことなく息苦しい。
私と箭原は隣に並んで腰掛けているが、吉利先輩は立ったまま私達を見下ろすように話し始めた。ぷらぷら揺れる一つの電球が、死にそうなクラゲ〈標本と図鑑でしか確認できない謎の生物 生息しているとされる海は遠い〉みたいに見えた。
「あんたたちは探偵志望だけれど」先輩ははっきりと言った。こんなときでも、櫛谷先輩はいなかった。必要がないらしい。「今回に限っては容疑者。余計なことは知らなくて良いから、今日の行動だけを説明して」
「えっと……」私が説明を始める。自信はなかった。箭原が不貞腐れたような態度だったのもあった。「九時前には登校して、全員揃ってるのを見ました。私が、一番最後に来ましたから。そこから九時を過ぎてリハーサルとしてあの部屋に入りましたけど、その時にはもう試験人形が死体だったのかは、確認していません。そんなこと、考えもしませんから……。九時の時点で鍵は、掛かっていました。昨夜の二十一時に全部の鍵に掛かるオートロックから、誰も入っていないと思います。そして、十時に試験が始まって、最初は私達の番だったので、箭原に実行は任せて、私は教室の外から見ていました。それで……出てくるのが遅いなと思ったから、中へ様子を見に入ると、死体と、箭原が……」
「対崎、それじゃ私が犯人みたいな言い方じゃん」箭原は口を尖らせている。
「だって、そのまま説明するしかないでしょ。あんたはどうなのよ」
「それより吉利先輩」箭原は手を挙げる。「現場は、きちんと調べたんですか? 死体は誰だったんです?」
「現場は、今他の探偵が調べてるよ。後でちゃんと話を聞くつもり。死体は……まあいずれ知ることになるから、後でね」こんな箭原に対しても、吉利先輩は親切に答えた。「箭原さんの流れを教えてほしいな」
「私は別に」箭原が、不満そうに腕を組んで説明する。「対崎と同じようなもんですよ。十時に中に入って、いざ試験人形を刺そうと思ったら、どうも様子が違うんで、よく見てみたら、死体だったから唖然としているうちに、対崎が来ました。それだけです」
「まだ刺して無いんだね?」
「ええ……」箭原は頷く。「じゃあもしかして、死因は?」
「そう。刺殺だった。腹部を一突き。とにかくあなたの証言の上では、あなたは試験人形と人間を間違えて刺したわけではないということがわかったわ」
「そもそも先輩ならわかるでしょう。あんな状況で、人なんて殺すわけないんですよ。一発で怪しまれますから。今だって、やってないのに星田とかに犯人扱いされてて。私が犯人なら、もっと上手くやります」
「事情聴取での受け答えとしては、不適切だね……」
先輩は苦笑いをする。懐からタバコを取り出して、吸おうとして、止めた。こんな場所はきっと禁煙だったから。
「母校で、こんなことが起きるなんて、考えもしなかったな……」
代わりに先輩は、愚痴ともつかない独り言を、タバコの煙みたいに吐いた。
「……ありがとう。聞きたいことは、とりあえず、今はこれだけだよ」
開放されて、廊下に出た途端に箭原が口にする。
「よし。対崎、現場を調べるよ」
「あんた吉利先輩の話聞いてたわけ? 余計なことするなって言われたでしょう」
暇にはなったが、帰宅する許可は下りていなかった。昼時だったが、死体を見た後に、食事をするという気分にもなれなかった。まあ私としても、現場検証は本懐だった。吉利先輩に余計なことはしなくて良いなどと言われたけれど、やっぱり少しでも、この頭脳もとい観察眼を彼女のために使いたい。
「……ちょっと見るだけなら良いわよね」
「悪いやつだ」
現場には協会から派遣された捜査員が立っていた。〈男性 対崎ありえの大ファン 捜査員も探偵の部類に属するが、その仕事は雑務ばかりで志望者が少ない〉
「つ、対崎さん」男は狼狽えながら、私を見た。「現場検証は、ちょっと。一応、あなたたちも容疑者ですから、理解してください」
「証拠隠滅を危惧してるってこと?」私はにっこりと微笑む。「安心してください。ちょっとだけね、捜査資料を見せてほしいな、なんて。現場には、ただの一歩も踏み入れませんから」
「ああ、まあ……それだったら、良いか」デレデレしながら捜査員はそばの机に置いてあった資料の束を、私に渡した。「こちらにまとめてあります」
「ありがとう」
箭原が側で「きゃぴきゃぴして気持ち悪い」と小言を言ったが無視をして、渡された捜査資料に二人で目を通した。
被害者は、諏訪なるみ。探偵学校教員。アリバイ工作専門探偵。
「ああ……」私は頷いた「写真を見て思い出した。あの人か」
「確かに授業受けたことあるね」箭原が言う。「私のこと、目の敵にしてるんだよ。私は優等生だって言うのに、やる気が感じられないとかで」
「この人の目は正しかったようね。惜しい人を亡くしたわ」
諏訪なるみ先生は、スタイルが良いことばかりが取り上げられる女性だった。身長もあって、まあ私ほどでは無いけれど、顔も可愛らしい。箭原の言うように、やや陰湿な部分もあるようだが、それでも授業も簡潔で、一定の評価はされていた。
死因は刺殺。これは吉利先輩の言う通りだった。
凶器は包丁。それが何故か、大岩根たちの教室で発見されたらしい。どういうこと? その意味が、文面だけではわからなかった。テーブルの下に、転がっていたという。
死亡推定時刻は、夜中0時。それもおかしい。二十一時には学校全てのドアが施錠されるはずだった。それ以降の時間帯に、あの部屋で死んでいるのはどう考えてもおかしい。0時だとする根拠は記載されていなかった。
不可解なことばかりで、眩暈がする。
そして、最も目を引く一文。内ヶ島たちの教室では、壁面になサインペンか何かで書かれた文字。
「絆」。そう書き残されていたものが発見された。
これには覚えがあった。いや、今この継院枯区に住んでいる人間の中で知らない者は存在しない。
「この文字……」箭原が真っ先に呟く。「あいつだよ。連続殺人鬼の……」
「あの変な名前の殺人鬼……『決してフォーゲット』だったわよね」
それは、この街を定期的の恐れさせている殺人犯。名前は、発端はよくわからないながらいつの頃からか、ネット上でそう囁かれるようになった。現場に絆という文字を残す意図も、よくわかっていないし、その正体も不明のまま長い時が過ぎていた。
「あいつが……」箭原の表情がいつの間にか変わっていた。
「……箭原?」
「あいつが、この事件に関わってるっていうのか」
「……まだわからないじゃないの」私は、捜査資料を閉じる。「過去には模倣犯だって何人かいたでしょ」
「そうだけど……本当の場合もあるじゃん」
「……堂々巡りよ、やめましょう」
「私は、本物だって信じたいよ」
箭原の様子がおかしかったが、どこか恐怖みたいな緊張感を覚えた私は、それ以上なにも口に出来なかった。
廊下には容疑者の全員が集まっていた。もう事情聴取は済んだのかもしれない。
私を待っていたのか、内ヶ島ともう一人、大岩根博康〈探偵志望の男子生徒 変に長い髪が特徴 売れないバンドマンのような風貌とも言える 潔癖症らしく、他人から距離を取りがち〉が二人して声を掛けて来た。
「現場、調べた?」内ヶ島が興味津々にそう尋ねる。大人しくしていろと言われても、やっぱりこいつは頭の中まで探偵らしい。私もそうだけど。
「隠滅でもして来たんじゃねえの」大岩根が、私に喧嘩を売るように言った。
「バカ」私は一蹴する。「現場には入れなかったわ。容疑者は大人しくしててって、あんたたちも言われたでしょ。でも、捜査資料は見せてもらった」
私はとりあえず、この二人に現場の状況を軽く説明した。話していると、いつの間にか残りの三人も私の言葉に聞き耳を立てていた。仲のいいクラスのように、今は見える。
「それぞれの部屋に……」口を開いたのは多川英明だった。〈大岩根の相棒 男性 常に変な帽子を被っている それ以外に特徴的な部分はないが悪い生徒ではない〉「死体と、凶器と、殺人鬼のサインがあったってこと? どういうこと?」
「さあ」私は首を振った。わかったら苦労するか。「不可解よね。全部が現場に残されてるならともかく」
そうして私は内ヶ島を見た。彼女も、その事実に困惑しているのか、神妙な面持ちを見せていた。
「ねえ、内ヶ島」訊く。「昨夜から今日にかけて、自分たちの教室をどう使ってたか教えてくれる?」
「は?」口を開いたのは、内ケ島ではなく星田だった。「私達を疑ってんの?」
「殺人鬼のサインがあったってことは、あんたたちの誰かが殺人鬼って可能性もあるからよ」
「そんな程度で、決してフォーゲット扱いされてたまるか。対崎、箭原。あんたたちの教室のほうが死体が見つかったんだから、ずっと怪しいでしょうよ」
「まあ、星田」内ヶ島は、妙に牙を剥いてくる星田を止めた。「説明するわ。この対崎なら、きっと私達じゃないって証明してくれるわよ。だってやってないんだもの。対崎ありえの評判にかけて、まさか誤認逮捕なんて出すわけ無いでしょうし」
嫌味たらしくそんなことを口にしてから、内ヶ島は言う。後ろの志鷹久美子〈内ヶ島グループ 三人でよくつるんでいる 金髪の派手女でよく笑顔を浮かべるが、緊張に弱いのか試験期間はいつもより大人しい〉にも確認を取った。志鷹は頷く。
「実は、今日はあの教室にまだ立ち入ってない。『絆』〈人と人の間に発生する、不確かなつながり〉って書き残しも、自分の目でまだ見てないくらい」
「リハーサルは?」疲れたのか床にしゃがんで、箭原が訊いた。「しなかったの?」
「ええ……。ぶっつけ本番でやろうと思ってたけど、あんたたちが死体を見つけたから」
「なんで?」
「そこの久美子……志鷹がね、遅れてきたの。対崎よりも後……十時前とかに」
そういえばいなかったっけ。全員いるものと思っていたが、確かに私の目は志鷹がいないことは認識していた。
「うん……」志鷹は申し訳無さそうに、頭を下げた。「えっとね、ごめんね。朝、用事があったから」
「まあそんなわけで私たちは、未だあの教室に入っていないの。志鷹が来てからは三人ずっと一緒にいたし。施錠時間ギリギリまでね。あんたたちもそうだったでしょ? あんたたちよりも、十分ぐらい早かったかな。顔を合わせたくなかったし」
「そもそも」星田がまた噛みつき始めた。「私達に殺す動機なんて無いわよ! あの諏訪先生には、お世話になってるんだから……今だって……悲しいもの。泣けるほどの、深い付き合いではないけど……ケロッとしてる箭原のほうが、どうかしてるわ」
「昨日は」箭原は無視して、内ケ島と志鷹に向いて尋ねた。「教室に絆って文字はなかったの?」
「うん……」志鷹。「全部確認したわけじゃないけど、あったら気づくと思う。どんな感じで書かれてるのか、知らないけど、無かったよ、きっと……」
施錠時間から朝の試験まで、完全に誰も立ち入りできないとされているのに、どうやったら文字なんて書けるんだろう。昔の私なら、こんなことは簡単だったのだろうけど、今はやっぱり頭が働かない。
私は諦めて、大岩根と多川の方を向いた。二人は隣に並んで、楽しむように私達のやりとりを聞いていたようだが、いざ呼び止めると舌打ちを漏らした。
「なんだよ、名探偵」大岩根が言う。〈対崎たちの話を聞いている間、ずっと動物の写真を眺めているほどの、動物愛好家〉「俺たちこそやってないぜ」
「そうだよ」多川。大岩根に同調する。「対崎と箭原だって容疑者だって言うのに、なんで率先して捜査してるんだよ。吉利先輩に任せたら良いじゃん」
「あんたたち、それと箭原にはわからないでしょうけど」私が言うと、箭原が義手を振り上げて私を睨んだ。「ゴホン……あんたたちにはわからないでしょうけど、私と箭原はね、探偵としての血が騒ぐのよ。吉利先輩も、自分に任せろって言ってるでしょうけど、私達が動くことは理解してるわ。質問をしても教えてくれなかった、ってことも無かったし」
「まあ」多川が苦笑いをする。「吉利先輩に疑われたら、自分たちでどうにかするしかないってことだね」
なんだか失礼なことを言っているような気がしたが、私は二人に昨日の様子を尋ねた。その間、少し離れた位置で、今度は内ケ島たちがずっと私達の方を見ていた。
「昨日は……」多川が答えた。大岩根は、どうでも良さげに、ずっと黙っていた。「僕が準備をしてたよ。大岩根は、用事があるからって。施錠時間の、少し前には帰ったかな。まだ内ヶ島たちもいたから、それよりは早かったかな」
「ひとりぃ?」私は大岩根を睨む。「あんた、なんて薄情な奴なの」
「ほっとけ」大岩根は言い返す。「多川に任せるのが、一番効率的だったんだ」
「凶器があったって言ってたけど」箭原が訊いた。「あの部屋ってそもそも、凶器みたいなものってあるの?」
「部屋の様子?」多川。「まあ、事務室の再現みたいなところだから……さすがに今回見つかったような包丁はないよ。ペンとか、ダクトテープとか、ダンボールとか簡単な日用品はあったけど。九時に鍵を開けてリハーサルしたけど、その時には凶器なんて無かったと思うけど……どうだろ。変な場所にあったんなら、気づかないかな。どこにあったっけ」
「テーブルの下」私が言う。「そう書いてあった。テーブルはどこに?」
「それなら入り口からすぐのところにある。パーティションで区切られてるけど、今回の試験では使わないから、確かめてないね。もしかしたらあったのかも……でも、昨夜は無かったよ」
「確認したの?」
「確認っていうか、使った後は毎日掃除して帰るから。学生として当然だよ」
それでも、施錠されていた部屋に、突然凶器が現れたという現象を否定できる要素はなかった。ますます意味がわからない。一体何が起きたっていうんだ。
「それで」私は訊く。今度は大岩根にだった。「あんた、昨夜は何やってたっていうの」
「トイレ」
「は? トイレなんか誰だって行くでしょ」
「違う。今の話だ。俺はトイレに行くから、多川に訊いてくれ」
そう言って、大岩根は慌てる様子もなく廊下の先にあるトイレに向かって、歩いて消えた。
「な、なんなのよあいつ!」私は激昂する。「絶対犯人よ! 箭原! 義手で取り押さえて!」
「推理もクソも無いじゃん……」
「まあ、待ってよ」多川が苦笑いをしながら言った。あんたも苦労してるのね、あんな大岩根と友達だなんて。「大岩根は、多分犯人じゃないよ」
「なんでよ」私は突っかかる。「あいつが昨夜何してたか知ってるってこと?」
「それは知らない。遊び歩いてたんじゃないかな」
「あんたよく納得できるわね。自分は作業を押し付けられてたんじゃない」
「良いよ、好きでやってるし」多川は本当に、嫌な顔を見せなかった。「でも大岩根は、人を殺して満足するような人間じゃないよ。もっと、先を見てる」
「先?」
「大岩根は……親が探偵になれなかったんだよね。だから、彼の姉と二人で、その期待に応えようとしてる。それは間違いないよ。姉さんと二人で探偵になるんだって、普段から言ってる」
「意外に家族思いなのね」その話が本当であれば、だけれど。
「そうだよ。だから、人を殺して台無しにするような人間じゃないんだ、大岩根は。僕が、昔から見てきたんだから、わかるよ」
「付き合い長いの?」
「ああ……あいつとは、昔……一緒に探偵を志したんだ。今も、それに向かってるんだ。まっすぐにね……」
多川は、現実にいる私達なんて、見えていないみたいに、どこかの虚空を見つめていた。
それを、お前の思い込みだろう、なんてハエみたいに叩き潰す勇気は、私にはなかった。
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