2・夢はI必MずP叶OえSよEう!
7話
探偵学校の試験がある、と私は目の前の箭原に向かって口を開いたら、何を思ったかこの女は首を傾げて「え? そうだっけ」と言った。
私こと世界が羨むスーパー超絶美人名探偵志望こと対崎ありえは、今この嘘クソ優等生の箭原ノノコと一緒に、探偵学校の教室で時間を潰していた。放課後だった。他に生徒は見当たらない。さっさと各々の試験対策に身をやつしているのだろうから、私達だってそうするべきなのに、箭原は何も覚えていなかった。
対崎ありえ殴打事件から数週間が経っていた〈この間に、対崎と箭原はいくつかの事件を、前述の方法で解決しており、コンビとしての知名度を上げていた〉。まだ私の推理能力は回復の兆しすら見せなかった。今日に至るまでの授業は、肝を冷やすような思いをしたが、箭原の協力でなんとか評判を落とさないで済んでいた。
教室は長机が四つほど置いてある、さして広くもない空間だった。窓はない。あったところで隣のビルの壁面が見えるだけだろう。天井からぷらぷらとぶら下がるオレンジ色の蛍光灯がいくつかあるのだけが、明るさを作っていた。ところどころ剥き出しになった鉄筋が、いつも薄ら寒さを感じさせた。
「あんたが言ったんでしょ」私は教卓に立っていた。一度そうしてみたかっただけだった。「あんたがそもそも試験対策に困ってるからって、推理が出来なくなった私を無理やり脅しつけて、契約を結んだんじゃない……そりゃ、助かってるけどさ」
「寝たら忘れた」箭原は机に顎を置いている。このだらしがない姿を教師陣にも見せてやりたい。「そういえば、そんな理由もあったっけ……」
「あったわよ。よくそれで優等生で通ってるわね、あんた」
「まあ、要領が良いのが取り柄だから……」
「なら試験対策よ」
私は教室前方の壁面、つまり教卓の後ろに張ってある巨大なホワイトボードにマジックで、文字を書いた。「試験に向けて」。〈探偵学校では、定期的な試験があり、その結果をもとに探偵としての将来的な地位や扱いが変わってくる 課題は毎回変貌する〉
「それで、試験の内容って?」
「あんた、そんな事も聞いてないわけ? 卒業する気ある?」
「出来ないなら出来ないで良いかな……」
「ダメよ。契約したんだから卒業まで私と働くの」
「……なんか面倒くさいのと契約しちゃったな」
「だからあんたが言い出したのよ!」私は箭原の顔にマジックを近づけて落書きをしようとしたが、箭原が義手を使って抵抗するので怖くてやめた。暴力的な女だ。
私はホワイトボードに更に書き加えた。
「試験の課題はこれ。『密室殺人現場を作ろう!』よ」
「なんでそんな楽しそうなタイトルなんだよ」
「公式よ。レジュメにも書いてる。去年も『消失トリックを解いてみよう!』とかあったじゃない」私は言う。「チームに分かれて、密室殺人の現場を作って、先生に精査してもらうの。そうして、他の生徒も交えて、推理してもらうんだけど、真相が誰にもわからなかったら、それだけ高評価を貰えるってことよ」
密室殺人〈出入りが不可能な場所で人が殺されている事件のこと 多くは見掛け倒しか目眩ましでしかない 自殺に見せかけるのが定石〉を探偵に再現させることは重要な教育課程らしい。優れた探偵は、優れた犯罪者でもあるのだろう。
それでも、今まで密室殺人を構築させるなんて試験が行われたことはないらしいが、本当に効果があるのだろうか。けれど、試験として出されたからには、きちんとやる以外には、私達に選択肢はなかった。
「へえ。じゃあ対崎、密室の方は任せたから……」
私は箭原を蹴り飛ばした。箭原は綺麗な顔からは想像できないような声を上げて床に転がった。
「なにすんだよ……」箭原はしかし、寝転んだままで答える。「私、そういうの向いてないんだよね。対崎、推理は出来ないけど、密室は作れるでしょ。他の生徒の密室作品を推理するのは私がやりましょう」
「それだって私が現場見て証拠を集めんのよー!」
日に日に、何故かこの箭原と打ち解けているのか、腹が立ってきたのか、よくわからない距離感になってきた。
落ち着けるところに行こう、と私は箭原を誘った。箭原は嫌そうにしていたが、私には取って置きの場所があった。
私の家の近く、その裏路地からコンテナを積み上げている場所を抜けて、登って、巨大家屋の屋根なのか、せり出している部分に乗った。
そこからさらに奥へ直進すると、微かに見えるものがあった。
青空だった。〈現在時刻は十六時 日が陰り始める頃〉首を持ち上げて、真上を見ると、真っ青な空が、建物と建物の間から、微かに確認できた。ここからだと、私の手のひらくらいの隙間しか見えないが、確かに、光が差し込んでいた。
「どう? 綺麗でしょ」私が、隣を面倒くさそうに着いてきていた箭原に言う。彼女は、珍しく感心したように、空を見ていた。
「これが空……」箭原が呟く。「初めて見た。こんな街にいると、空なんて見えないし。外に出る用事もないし」
「探偵をやってたら、外に出る機会だって多くなるわよ」私は笑う。「でも、ここから見上げる青空が、私は好き。なんだか、人より先に、余分に給料をもらってるみたいな気分になる」
「なんか……喩えがロマンチックじゃないな」箭原は座る。まだここは屋根の上に分類され、足を踏み外せばそれなりの高さから落ちる。
「私は、リアリストだから」私も彼女の隣に腰掛けた。
今日も青空は変わらずそこにあった。どういう仕組で青くなっていて、どういう仕組で光が差し込んでいるのかは、基礎知識として知っている〈探偵学校入学前の段階では、一般的な学校で適切な義務教育を十年ほど受けることになっている 他の区に比べれは、大した学力はない そこから探偵学校へ進む人間は少ない〉。宇宙に存在する、太陽という馬鹿みたいに大きな天体が、この地球に光を届けているからだった。私は大自然のめぐり合わせに感謝した。
私たちは、そのまま試験について話し始めた。結局、教室でもホワイトボードは殆ど使わなかったから、ここで話そうが不便は感じなかった。
箭原は本当に、推理能力以外に探偵に向いていないらしく、密室殺人について何のアイデアも出せなかった。一応、過去に私が解いていた問題は理解しているようだが、そんなものは私以上の知識ではなかった。結局私が手主導して色々と方法を考えている間に、箭原がしたことといえば適当な相槌だけだった。
この女は、こんなにもやる気がないのに、一体何を目指しているのだろう。聞いたことはない。けれど、気にはなる。
「私はね、この街の女の子を、全員守ってあげたいの」試験の話もある程度まとまってきたので、雑談に時間を潰していた。私は自分のことを話した。「そのために、最も優れた探偵になりたいの。だから、手を抜く訳にはいかない」
「守るのって、女の子だけ? 差別主義者だなあ」
「違うわよ。男も……興味ないけど、女の子の中には、好きな男がいるっていう子もいるでしょ。だから、その子達が悲しまないように、私は男も守ってあげるの。合理的でしょ?」
「なんで守りたいんだよ。結構犯罪とかが多発はしてて危険みたいだけど、別に対崎がいないとダメになるわけじゃないし」
「それは私の前に私がいなかったから。私という存在を知った住民は、私のいない時代にもう戻れないの。だから、私が頑張って……私が生きてる間に、この街に貢献したいの」
だというのに箭原は私を侮蔑みたいな表情で見た。
「優等生、キモ……」
「黙れ似非優等生」私は箭原の顔を掴んで引っ張った。「あんたはどうだって言うのよ。何か夢はあるの?」よく伸びるな、こいつの顔の皮。
やめてよ対崎ー、というので私は手を離した。箭原は頬をこすって、言う。
「夢か……」彼女は呟く。「別に、なくはないけど、面白いもんじゃないよ」
「教えなさいよ」
「嫌だよ。言いたくない」毅然とした声。「秘密だよ。まあ……いずれわかるよ」
「……本当かしら」
「…………多分ね」
私たちはお気に入りの場所から戻って、通りに出た時に、意外な人物に遭遇した。
それは、人だかりの中心にいる、一人の女。彼女は、彼女を慕う複数人に囲まれて身動きが取れなくなっていた。
遠目でもわかる。私は、彼女のことを知っていた。というか、憧れていた。恋愛感情ではなく、尊敬の念として慕っていた。
私は箭原に断って、彼女の方に向かう。
私だって、名のある探偵志望だ。ファンたちは私にも興味を示し、彼女と二人で対応していくと、満足して場を離れて帰っていった。
「ありえちゃん、ありがとう」彼女はにっこりと、私に笑いかける。その柔和な声を聞いているだけで、ああ、失神してしまいそう。「おかげで、助かったよ」
「いえ、先輩のためなら」私は返事をする。右手で敬礼のポーズまで出してしまった。
彼女……吉利一与は、私達、いや区民全てが期待をかける、歴代随一とも呼ばれる、私なんかでは足元にも及んでいない、とてつもないほどの名探偵だった
吉利先輩は、相棒の櫛谷先輩と行っていた出張の帰りだと説明した。櫛谷先輩が店で買物をしている間に、ファンに巻き込まれたのだと言った。しばらくしたら、櫛谷先輩も戻ってきた。私は箭原も呼んで四人で話がしたいと頼んだら、吉利先輩は承諾した
箭原が吉利先輩の顔を見てもあんまり表情に変化がなかった。もしかして、彼女のこと知らないのと耳打ちをしてみると「知ってるよ、ほら、あの人。見たことはある。えっと……」と呻くだけで、名前は出てこなかった。私が吉利一与先輩だと説明しても、いまいちピンときていないようだった。私は箭原の無知さを呪った。
街の壁面には、吉利先輩のポスターだって大量に貼ってある〈真っ白い背景に、ただ吉利が佇んでいるだけの簡素なポスターが、どうしてこんなに目立つのかは不思議だ〉。私なんかの比じゃない。そりゃ、自分で言うのも何だけど、在学中というフックが私のスター性を上げているのか、昨今の注目度は私のほうが高いみたいだけれど、でも探偵としての能力で吉利先輩に勝てているところなんて、実際は一つもなくて……。
「うちの吉利が」櫛谷先輩が私に頭を下げる。「世話になったわね。ファンがずっと目をつけてるのかしら、一人になった途端にこれだもの……」
櫛谷先輩〈吉利の相棒 マネージャーのような役割 髪はショートで髪飾りが可愛い 対崎の好みではない 菩薩とも呼ばれる人格者 身長もあり、スタイルがいい〉は、はあっとため息を吐いた。吉利先輩のポスターが貼られた壁にもたれかかった。
「出張先でも、応援してもらってるしね」吉利先輩は、ファンの行為に対してそういったやんわりとした表現で説明した。なんていい人なんだろう。好き。愛してる。「ホテルでも落ち着かなかったよね。サインするだけで、深夜になったりさ」
はは、と吉利先輩〈完全無欠の歴代最強名探偵 髪はポニーテールを振り回している 大人っぽく身長も高い モデルとしての仕事もあるとかないとか 美人ながら対崎好みの顔ではないが、憧れの先輩というバイアスで対崎は恋愛感情にも似た思慕を生み出している〉は笑った。
「オプティマイズド探偵って、大変なんですね」私が言う。「私も、早くそうなれるように頑張ります」
「うん、期待してるよ」
「ねえ」後ろから、無粋に箭原が訊いた。「オプティマイズドってなに?」
「ちょっとあんた……そんな事も知らないの?」
「まあね」箭原は胸を張った。
「……自慢なんかならないわよ」私は呆れて、彼女に説明をする。「まあ簡単に言うと、探偵協会に正式に所属している探偵の中でも、最も優れた探偵がそこに分類されるの。つまり、吉利先輩は、めちゃくちゃすごいってこと」
「へえ。上位何%くらいがそうなるの?」
「私の代だと……」先輩がこんな女のために補足をしてくれた。「まあ、探偵学校時代には十人くらいいて、探偵協会まで行けたのが五人くらいだけど、オプティマイズドは私だけだったかな。そうだよね、颯季」
吉利先輩は櫛谷先輩の名前を呼んだ。この二人のコンビネーションは、吉利先輩個人の活躍に次いで有名だったりする。櫛谷先輩のファンだって、それなりに見たことがある。
「そうね」櫛谷先輩は頷いた。「確か、数年に一人出るか出ないかくらいだったかしら」
そこまで説明してやると、箭原の方も吉利先輩の凄さをようやく理解したのか、やや距離を取り始めた。自分のふざけた態度が、ようやくいけないものだとわかったのかもしれない。このまま学校での態度も改めて欲しい。
「まあまあ」吉利先輩は照れくさそうに言う。「そんなに良いもんじゃないよ。特権は与えてもらえるけどさ。劇薬の使用許可とか、何に使うんだってものもあるし。現場の再現とかに使うことはあるけど、そこまでするか? って話」
「あ、去年解決した事件ですね!」私は両手を合わせてはしゃいだ。「記事、読みました。相変わらず、鮮やかで綺麗な手際だと思いました」
「もう、そんな褒めないでよ」これだけの実力者だというのに、なんて謙虚〈対崎にはあまりないもの〉なんだろう。私はますます好きになった。「事件は確かに悲惨だけど、それで区外に出られたのは、良かったかな。殺された人には悪いけど、植えてあった桜が綺麗で、楽しかったよ」
「そうだったわね」櫛谷先輩が相槌を打つ。「あの街に一本だけあるっていう桜〈気候変動により大昔に比べればごっそりと数が減った樹木 綺麗な半を咲かせるが一瞬で散る〉だったわね。もう周辺の区にも、桜なんかあんまり残ってないって。それで見に行ったら、廃墟の裏庭みたいなところに、仰々しく囲いがしてあって、その桜がぽつんと中心に立ってるの。近づけたけど、なんだか可愛そうだった」
「そうだったね」吉利が頷く。「私たちは区外では疎まれがちだけど、良いこともある」
「良いですね」私はうっとりとする。「今度、連れて行ってくださいよ。私、まだ外に出たこと無いんですよ。あと、学校で授業してください。サボりたがるふざけた生徒がいるんですよ」
「ははは。考えておくよ」吉利先輩が微笑んだ。「まあでも、私は高いよ」
「えー、いつから守銭奴になったんですかー」
「社会に揉まれたんだよね」
そう言いながら吉利先輩は、懐から取り出したタバコ〈嗜好品 その間、気が落ち着くが身体には悪い〉を咥えて火をつけた。
先端から放出される白い煙が、どこか甘みを含んだ匂いを漂わせていた。気だるそうに、先輩が吐く息は、もう少し違う感触だった。その姿は、格好良いというよりも、なんだか、悲しそうにも見えた。
「一与、吸いすぎ」櫛谷先輩が小言を言うが、吉利先輩は謝るだけで吸うのをやめなかった。
「私を目指してる人、何人くらいいる?」先輩は私に尋ねる。「その、同級生でさ」
「全員目指してますよ。同級生は、えっと……八人、いや七人になったっけ。とにかくみんな、吉利先輩に憧れています」
「私の同級生は、卒業できても、半分は区の外に出ていっちゃった。探偵になることも捨ててね。探偵になれたって、嫌になって辞める人もいる。そういう人も、区から例外なく区から出ていくんだよ。もう同級生で残ってるのは、私達だけなんだよね」
「…………なら、早く助力出来るように、私、頑張ります」
「ありえちゃんは、この街、好き?」
「好きですよ。楽しいと思います」
「そうなんだ。じゃああなたは向いてる」
煙を吐く先輩。
「私はね」タバコの灰が、溢れていく。「外に出ていった人の気持ちもわかるんだよ」
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