6話
現場に戻ると、箭原が店から外に出て来ていた。そうして、嬉しそうに私を呼んだ。
「対崎、見てよ。これ」
何かと思ったら、私がさっき見つけたコンクリート片だった。私の血のついたものだ。
にこにこして、箭原は立っていた。褒めて欲しいのだろうか。
「それさっき私が見つけたんだけど……」
「は? 早く言ってよ」箭原はコンクリート片を投げた。証拠を軽々しく扱うな。「で、対崎。何処に行ってたの」
「ちょっと知り合いの情報屋に話をね……」
「何かわかった?」
私は、さっき鶴居が言っていた話からサードイヤーから聞いた情報までを箭原に説明した。
それを聞いた箭原は、突然に考え込んだ。
「箭原?」
「……対崎」箭原は呟く。「多分対崎でも同じ結論を出すと思うんだけど、一応確認したい」
「なんの話よ」
「容疑者二人を除外出来るってこと」
それって……え? それって、解決じゃないの!
「犯人が……わかったってこと?」私は興奮を抑えながら訊く。
箭原は頷いた。自信があるのか無いのかはっきりとしない態度だったが、彼女は付け加えた。
「対崎の情報には信頼を置いてるから、多分ね。対崎、本当にここまでわかってても犯人の目星も付かないの?」
なんだかバカにされたような言い方だった。悔しいので、私は考え込んでみたが、脳は何も出力しなかった。まるで……靄がかかったように、頭の機能が働かないみたいだった。
「じゃあ、先に教えてあげるよ、私の考えを」
箭原は私に、推理を聞かせ始めた。
店内に戻った箭原を、私はその後ろからこっそりと見守った。
私の推理ということにしてくれ、と念を押すと、彼女はわかってるって、と承諾したが、私は彼女が口を開いて話し始める瞬間まで、どうしても信用が出来なかった。
「えっと、鶴居さんと、前波さんと、舞美」
箭原が容疑者を呼ぶと、辺りが静まり返った。不満げに話していた客が、黙り込んでこちらを見ていた。
「これから、嘘つき二人を公開処刑にするから」箭原はカンニングペーパーを読みながら、そんな事を言った。その小さい紙に何が書いてあるのか、怖くて見たくなかった。私は彼女の背中を叩いた。真面目にやれ。
箭原は咳き込んで、それでも紙を手放さないで続ける。「覚悟して」
「えっと、それって……」鶴居が手を挙げる。容疑者三人は、箭原の前に椅子を並べて座っている。「犯人がわかったってことですか?」
「そう」箭原が頷く。私が背中から「言うべきことを言ってよ」と促すと、箭原は咳払いをして付け加えた。「これから事件の真相を解き明かすけど、これ対崎が考えたものだから。文句があるなら、対崎に言って。頭を殴られて、人前に出るのが怖いんですって」
有る事無い事を言う箭原を止める間もなく、前波が口を挟んだ。
「本当にありえさんの推理なの?」
「そうだって言ってるでしょ。信頼して。ね、対崎」
私に箭原は微笑みかける。頷くしかなかった。別に、嘘をついているわけではない。
「舞美も異論はない?」
「ええ」舞美が返事をする。椅子に座って、微動だにせず。「早く始めて」
箭原はこほん、と咳払いをして話す。私にさっき聞かせた推理を。
「まあ、人が死んだわけでもなく、それほど複雑な事件でもないよ。三人も犯人を名乗る人がいたのはおかしいと思うけど……」箭原は腕を組んで、言う。「この事件の鍵は、対崎の無くなったチョーカー。知ってる? 容疑者たちは」
「知ってる」と舞美。「彼女だから」
前波と鶴居は首を振った。鶴居は、明らかに嘘を言っているが、理由はわかる。
「まあいいや、そのチョーカーが、無くなったんだよね。犯人が持ち去ったんだと推測できるんだけど、そのチョーカーが、ある筋で調べた結果、盗聴器だって言うことがわかったんだよ」
「と、盗聴器……?」前波が蒼白になる。「誰がありえさんにそんな……」
「あのチョーカーをこの女にプレゼントしたのは、鶴居さん、あなただよね」
鶴居は目を合わせなかった。
「鶴居さん。知らないと言ったことはもう咎めないから」
「……はい」彼女は、ようやく頷く。「私が、数ヶ月前に……対崎様のことを尾行して……そこでやっと渡しました」
「盗聴の目的があって?」
「そうです……」鶴居は頭を抱えて俯いた。「私は……どうしようもないストーカー女なんです……罰してください……」
「まあ別件で罪に問うけどさ……」箭原は鶴居の前に立って、見下ろす。「チョーカー、持ってないよね?」
「…………はい」鶴居は言う。「私が、倒れている対崎様のそばに近寄ったときには、あったんです……だから、頭から流れてきた血に濡れて、壊れたら不味いと思って……首の周りを、拭きました。精密機械故に、水分には、強くないので……」
「盗聴器であることを知っていたあなたは、対崎からそれを回収はしなかった。だって盗聴が目的なんだから。壊れているかを気にしていたし、今後もそれを続けたかった。そうだね?」
「…………」
「だから、あなたは犯人じゃない」
そう告げると鶴居は顔を上げた。
「殺すつもりで殴った相手のチョーカーが壊れているかどうかだなんて、そんなことを気にするのは不自然だよ。盗聴は、相手がそもそも生きてないと意味がないんだから。あなたは、対崎が倒れているところしか知らない。死んでるとは思わなかったのは、気を失っている対崎に息があったから。凶器を口にしなかったのは、本当に知らないから、変に誤魔化したくもなかった。けれど、殴られたことは明白だった。これは、対崎ありえに近づくチャンスだと思って、あなたは自分の服に血を付けた。ひょっとしたら、チョーカーを心配している時に、付着したのかもしれないけど」
「……はい」鶴居は頷く。「凶器は、思いつかなかったんです。殴ったものも見当たらないし、変な事を言って、傷口と照合したら、全く違うものだった時に、一発でバレると思ったから。服の血と、ストーカーという怪しさだけで乗り切ろうと思いました」
「そんなノリで事件をややこしくするなよ」箭原はため息を吐く。「でも、チョーカーは何処へ行ったのか知らない」
「そうです。再び、対崎様とお会いした時に、チョーカーが無くなってるのが見えて……ついにバレてしまったのかと心配になりました」
「ところでさ、鶴居さん」
箭原は横目で、前波か舞美か、そちらの方を見やった。
「どうして前波さんが話した凶器のことを知ってるの?」
前波が、げ、と言葉を漏らした。
「……盗聴器で、聞いたんです」
「だ、そうだよ、前波さん」
箭原は歩いて、今度は前波の前に立つ。彼女は、じっと、口を噛み締めながら、睨みつけるように箭原を見ていた。
「こいつと二人で話したときだよ」前波が言う。「その時に知ったんじゃないの。っていうか、お客でも知ってるよ。私が自分から言ってたんだから。当然でしょ」
「それだけ主張するなら、どうして現場に残してないの?」
「それは、その時は殺すつもりだったから、隠そうと思って。普通は隠すでしょ。その必要がなくなったの」
「なら、どうしてチョーカーを盗んだの?」
沈黙。
「……盗んだ証拠が、何処にあるって言うのよ」
「鶴居さんの言葉もそうだけど、あなたは人を殴ったことは主張するくせにそんなことは一言も口にしなかったばかりか、知らないふりをしていた。チョーカー目的の犯行で、欲しいから殴り倒した、とでも言っておけば言い逃れでも出来たのに、それもしなかった。犯人っていう主張と噛み合わないんだよ。それが証拠」
「……そんな、無茶苦茶よ。そこの海野が盗んだんじゃないの?」
「私なら」舞美が言う。「チョーカーが欲しいだけなら、別に殴り倒す必要もないよ。泊まりのデートでもして、お風呂でも入ってる時に盗めば良いし、盗聴器を仕掛けたいって言うなら、家に行ってコンセントに細工する方が確実。恋人だし」
「ふざけんな! 自慢かよ!」前波が狼狽した。「私は、盗んでない! 持ってない!」
鶴居がポケットから何かを取り出した。箭原はそれを受け取る。小型のスピーカーだった。つまりは、盗聴器の受信側だった。
「このままトイレに行って来るよ。何喋ってたか当ててみせるから、対崎、雑談でもしてて」
「そうね」私は頷いた。「じゃあ好きな映画の話でもするわ。私はねえ、逆に推理物は簡単にわかっちゃうからあんまり観なくて……」
「もう! わかったわよ!」
前波が、根を上げて立ち上がった。ポケットに手を突っ込んでから、床に投げ捨てるように置いた物は、忘れもしない、間違いなく私の黒いチョーカーこと盗聴器だった。
「……私が盗んだんだよ。ありえさんが倒れてるのを見た時に。知らない物が、ありえさんを飾ってるのが気に入らなくて……でもそれ以上に、ありえさんの私物が、欲しくなって……持って帰ろうと思って……でも、殴ったのは本当!」
「おかしいよ」箭原は指摘する。「あなた、さっき殺すつもりで殴って凶器を隠したって言ってたけど、事情聴取の時は殺すつもりじゃなかったって言ってたよね? どっちが本当なの?」
「それは……誘導されたんだよ、あんたに。本心じゃない」
「殺すつもりだった? じゃあ凶器は? 鉄パイプ? 悪いけど鉄パイプにそんな形跡は無かったよ。あなたは、やってないんだよ」
「ち、違う! 私がやったんだって!」
「そんな証拠が見当たらないんだよ」
前波は歯軋りをして、黙った。それもそうだ、今更主張を引っ込められない。その羞恥心を指先で数えてみただけで、私は寒気がして来た。
「さ、ふたり除外出来たよ、対崎」
残った者は……
「だから、私だって言ってるんだよ」
私の恋人、海野舞美だった。
舞美は、ゆっくりと立ち上がる。人を殴るような、狂った女がそこにいる。
「舞美……」私も立って、尋ねる。「なんで……、私を殴ったわけ?」
「……別れたかったからだってば」舞美は表情を崩さないで言った。「でも、別れを急に切り出したって、あなたにはなんのダメージもないでしょ。普通に、笑顔で円満に終わりそうなのが嫌だったの。ただ殴るだけでもダメだった。あなたは、笑って許してくれそうだったから。もっと……あなたに、嫌な目に遭って欲しかった。だから、あなたの得意そうな殺人未遂事件の形を取ることにしたの」
淡々と、舞美は話す。犯人だって、その前から自分で言っていたのに、その時とは付合しない、別人のようだった。
「あなたなら、犯人をすぐにでも指摘出来るでしょうけど、まさかその恋人が犯人だなんて、あなたは認めるのか、それとも私のために揉み消してくれるのか。どっちも、あなたには嫌でしょう?」
「舞美……どうしてよ。何がいけなかったの」
愛していた。そりゃ、他の女の子に目が行くことはあったかもしれないけれど、でも私は、舞美のことを一番に考えて来たし、私に出来ることならなんでもやった。それは、街で困っていそうな女の子に手を貸すのとは違って、もっと特別なものだったはずだ。
将来を考えないで、一時の感情で付き合っていたわけではない。
どうしてだろう。どうして別れたがっていたのか。私が、もっと完璧でなくてはいけなかったのか。彼女の望む対崎ありえに、私はなれていなかったのだろうか。
どうして。疑問が尽きない。どうして殴るなんて手段を。どうして。どうしてよ、舞美。
「最初は……」舞美。「死なない程度に殴って、凶器を適当に捨てて、そのまま店に戻って、誰かがありえを見つけてくれるのを待ってた。自分から名乗り出るとかは、もちろん考えてなかった。さっきも言ったけど、ありえを試したかったから、ずっと黙っててありえがどうするのかを見守りたかった。でも、この……」
舞美は憎らしい感情と共に、前波を指差す。
「不届きな女が、あろうことか自分が犯人だって名乗り始めて、私は焦った。こいつ、きっとゴシップ雑誌の取材料を欲してるんだって思って。こんな馬鹿に、私たちの個人的な問題を邪魔されたくないから、私は名乗り出ることにした。でも前波も引かなかった。良い迷惑よ。鶴居なんてストーカー女も増えるし、もう滅茶苦茶よ」
舞美は自嘲した。
私はそろりと、重い両足を持ち上げて、舞美の前に数歩かけて近いて、目も合わせられないまま、深呼吸をしてから、尋ねる。
「……何が気に入らなくて別れたいの」
「……全部よ、ありえ。私には、あなたとの時間は苦痛だったの。愛なんて重荷だったの。私はあなたから愛を向けられる度に、罪悪感に似たような感情を抱くわ。愛が……誰にでも綺麗で尊くて……素晴らしいものなんていうのは、幻想だわ」
「どういうことよ」
「私は、あなたを素直に受け入れられない人間だってこと。等身大のあなたを見ているつもりでも、私は頭の隅で、この人はあの対崎ありえなんだっていう感情を打ち消せなかった。あなたが一人の女性として私を愛してくれているのに、私はそれが出来なかった。ただ、それだけのこと。食い違いよ」
「……よくわからないわ」
「……私が愛していたのは、あなたによって引き立てられた私だったの」
トイレで鏡すら見なかった彼女が、そんなことを言う。
「さ、これでおしまいよ」舞美が切り替える。「私は対崎ありえを殴ったクソ女よ。犯人なの。探偵さん、早く捕まえてよ。私はこれで、獄中でゴシップ雑誌の取材料をたんまりと貰って暮らせるんだから」
「お前……!」
突然に鶴居が舞美に掴みかかった。同じことをしようとしていたのか、前波が愕然としていた。
「よくも対崎様! お前が殴ったのか! 許さない! 殺してやる! 殺してやる! お前も同じ目に遭わせてやる! 頭を出せ! 殴り殺してやる!」
「な……」舞美が抵抗する。「お前だって自分が犯人だって言ってたくせに!」
「やめろよ!」箭原が間に入って止めた。「舞美。とにかく厨房に。対崎は、事件解決したって、協会と学校に連絡入れて、連行する人員を呼んで」
「…………」
「対崎」
頷いた。かろうじて。
そうして、私から離れていく舞美の後ろ姿を、私は愛おしさを持ち合わせながら、見た。
舞美が振り返る。口の動きだけで彼女は何かを言った。
〈さようなら〉
抱きしめたほうが正解だと思えるくらい、彼女は悲しい顔をしていた。
翌日だった。
事件の報告、事後処理、そうして舞美の収監までを探偵協会に引き継いだ後だった。この街は犯罪が多いのか、少ないのか、そんなことは知らないけれど、とにかく犯罪の処理が早い。
私はまた、あの店に来ていた。何故か、箭原と共に。事件は関係がない。本当に、ただのプライベートだった。箭原は暇だと言ったし、今後の契約のことで私と話したがっていた。私としても、推理能力に改善が見られないため、彼女に頼るという選択肢を取らざるを得なかった。
テーブルについて、料理を注文した。昨日と変わらない様子で働いている前波だったが、私達に話しかけることは、一切しなかった。
箭原はバカみたいに食べた。腹が減っているのかと思ったが、いつもこのくらいは食べるのだという。変人だな、と私は思った。それでいて、身体は細いのだから、その栄養素が何処へ消えているのか不思議なくらいだった。
私は昨日から調子が悪く、料理もさほど食べられなかった。諦めて、酒でも飲もうと思って注文した。透明な色の酒が注がれたグラスを、傾けて口に含んだ途端に、気持ちが悪くなって水で流し込んだ。
「どうしたの?」箭原は私に気づいた。
「いえ……」
舞美とは、楽しく飲めていたはずなのに、もうアルコールを、なぜだか欲しいとは少しも思わなかった。私の中で、何かが変わってしまったのだろうか。舞美の後ろ姿が、ずっと目に焼き付いている。
「サービスです」
ふと顔をあげると、前波が微笑んでいた。私にくれたものは、きついお酒だった。先程の自分の体調から鑑みると、こんなもの、飲めたものではない。
前波は消えていった。どうしてこんな女と付き合っていたのか、まったくわからなくなった。
寒気がする。どこかで鶴居も、私のことを見てるのかもしれない。店内にはいない。でもよく見ると、客たちも、私のことを観察しているようだった。それが、言い様がないくらいに、嫌だと感じた。
箭原に断って、私は裏口から外へ出る。
ふ、とひと息を吐いて、独り言を漏らした。
「不味いわ、なにもかも」
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