2話
店の方へ出るとそこには客たちが暇そうに雑談に興じていた。一ヶ所に集まっていると、これほど人数がいたのかと気付かされた。
「あ、ありえ」
私の恋人、舞美が座っていた席から立ち上がって言う。
「うん、大丈夫……」心配されるとどうも痛みが気になってくる。「箭原、容疑者はこれ全員?」
箭原は首を振ってから言う。
「いや……ふたり」
「ふたり! 適当にしょっ引いても二分の一で正解じゃないの」
「それが……」
舞美の後ろから、もうひとり、女が姿を見せた。
私は彼女のことを良く知っていた。前波美月という名前で、かつての私の恋人だった。
その前波は、クラスの発表みたいな場違いなテンションで手を挙げ、耳を疑うようなことを口にする。
「私がやったんです! 箭原さん、わかってくれましたか?」
「もう解決じゃないの!」私は叫んだ。推理能力が無いことなんて足枷にもならないなと思った。「良い子ね。罪は軽くするように言ってあげるわ」前波の手を握って店の外に連れ出そうとする。
「待ってよ対崎」箭原が口を挟む。「実は厄介なのはここからで……」
「何よ。犯人が名乗り出たんだから解決でしょ」
箭原は言いづらそうに、舞美を見る。
そうして私の今の恋人は、綺麗に指先を揃えて、ゆっくりと手を挙げた。
「嘘よ、ありえ。殴ったのは私。前波さんは嘘を言ってる」
一体どういうことだ。なぜ、恋人の舞美が私を……?
なにか、私がいけないことをしたのだろうか。彼女を、いつの間にか不幸せな目に遭わせてしまっていたのだろうか。女たらしだと思われていた。それが原因だろうか。けれど浮気なんて、誓ってやっていない。それでも彼女を不安にさせていたのは事実かもしれない。
腹でも切るか、と私は服〈学校の制服 箭原や舞美も同様 スカートに簡素な上着 別段デザイン的に特筆すべきところはない〉でも脱ごうと思ったが、おかしなことに気づく。
いやそもそも、どうして犯人だと主張する人間が二人もいるのだろう。推理能力だけでなく耳までおかしくなったのかも知れないが、箭原の言っていたことをそこでようやく実感した。
混乱するな。とはそう言うことか……。通常の事件であれば犯人が名乗り出ることはほぼ無いのだが、どうして今回は二人もそれが存在しているのだろう。
「それで、対崎……」箭原は私の肩に手を置いて、尋ねる。「前波さんって、対崎の元カノだって言うのは本当? 彼女がそう言っているんだけど」
「え、ええ……」
私は頷いて、前波の顔〈短めの髪、童顔、対崎よりは年下 中学生に間違われることがある〉を見た。目があって、彼女は恥ずかしそうに視線を逸らした。
記憶違いでは無い。確かに付き合っていた過去はある。それほど長続きはしなかったが、少なくとも前波とは険悪になっていないし、だからこそこの店に気軽に出入りしている。
前波は、この店の従業員だった。いつでもこの店に来てもいいと彼女は言っていた。そりゃ、今の彼女を連れて行くのは、人間としてどうかと思う部分もあるのかもしれないけれど、殴られるようなことなのかは私にはわからなかった。
「舞美は」箭原は言う。舞美に向き直った。「手紙を見つけたんだったよね。どう考えても犯人からの手紙なんだけど、これはあなたが書いたわけ?」
舞美は、まっすぐに私を見据えて、頷いた。
「ええ。呼び出すには、手紙しか無かったから。私が直接言ったらバレバレでしょ」
「どういう状況だよ」箭原がついに呆れ果てて頭を掻いた。黒髪がぶわぶわと揺れた。「なんでそうまでして犯人になりたいかな、お前たち。対崎、なにか知ってるんじゃないの?」
そう言われても、と顎に手を当てて考え込んだ。
ああ。思い当たるフシは、あった。
箭原を容疑者たちから離れた場所に連れ出し、そっと私は耳打ちをする。
「……ゴシップ誌よ」〈世間のくだらない噂話を元に書いた記事のみで構成される、程度の低い雑誌 それを望むのは大衆〉
「ゴシップ誌?」箭原は眉をひそめた。「あなた、そんなのと関わりが?」
「向こうが追ってくるのよ」私は言う。周囲を見回す。「そうだ、トントンマクートとかいう雑誌よ。あいつら、私の身の回りの情報なら何でも欲しがるわ」
「つまり、どういうこと?」
「私を痴情のもつれの末殴った女とあらば、どれだけの大金を積んでもインタビューするわよ、あいつら。犯人だって言ってるどちらかの嘘つきは、きっとそのお金が目当てね」
「舞美はそういうタイプなの?」
「違うわ。愛してるもの」私は首を振る。
「じゃあ前波ちゃんはそういうタイプなの?」
「違うわ。私の元カノにそんな子はいない」私は断言した。
「じゃあなんでふたりとも犯人だって名乗りあげてるんだよ」
私は何も言えなくなって俯いた。
「……対崎」箭原はため息を吐く。「まったく。こんな事件、どうしろっていうんだよ」
私には、どうしてお前がここまで首を突っ込んでいるのか不思議だった。
「良いわよ別に」私は箭原に告げる。「あんたは帰っても良い。この事件は、私が解決するわ。全部、私が招いたことだと思う」
「意気込んでるけど対崎、推理できるの? 学校とか協会〈探偵協会 偉い組織〉に頼んで応援も呼んだほうが良いんじゃない?」
「ダメよ。推理は出来ないみたいだけど、やるしか無いわ」私は拳を握った。「私は……対崎ありえなの。私に解決できない事件はない。ここでほかの探偵共に弱みを見せたくないわ。私は、最も優れた探偵になりたいのよ。それに、推理が出来ないと言っても、目が生きてる。大丈夫よ、箭原。あんたがおせっかいを焼かなくても」
おせっかいじゃないんだけどな、と箭原が不満そうに呟いてから、ぎゅっと腕を組んでしばらく考え込みはじめた。学校ではまったく話したことのない相手だったが、こうして見ると顔立ちが整っていて、なんだかムカついてきた。こんな女だったのか。
箭原は急に顔を上げて、それから吹っ切れたような顔をして、私に言う。
「じゃあ契約しよう。取引だよ」
「何よ。金出せっての……?」
「違う。脅迫」
「は?」
「ほかの探偵や学校にバラされたくなければ、私と取引しなさい。私の口は封じたほうが良いと思うよ」
なんだこの女、冗談じゃない、なにか手頃な棒で殴ろうかと思ったけれど飲食店にそんなものはなかった。
箭原は、尋ねてもいないことを構わず続けた。
「私ね、面倒くさがりなの」〈サボタージュをせずにはいられない性分のこと 部屋も汚い〉
知ってるわよ、と口に出して言ってみたが彼女は意に介さなかった。
「授業もまともに受けてないんだよ、こう見えて」
見えるわよ。無視。
「で、いつも対崎の事を見てた。対崎が見てる場所には、いつも答えがあるから。私ね、観察眼がさっぱり無いんだよ。現場検証とかするでしょ? 何見たら良いかさっぱりなんだ。だから、対崎には助けてもらってる」
私はいつの間にか、こんな女をここまで生かしてしまっていたのか。今度からサングラスでもかけようと思った。
「だから対崎に失脚されると私も困る。対崎の双肩には私ものしかかってるわけ」
「あんたよく平気な顔して自分はクズですって言えるわね」
「まあ、事実だし……」箭原は照れ笑いをする。「今度の試験も困ってたんだよね。どうしようかって。でもこれで対崎に借りができたら手伝って貰えるでしょ? ありがとうね、対崎」
「誰が手伝うか」
「じゃあみんなに教えようかな」
この女……! 私はどうしようもなく頭を掻きむしった。数本の毛が抜けた。
悶えて黙っている私を無視して、箭原が言う。
「あなたはまだ観察眼が残ってる。それで現場とか、容疑者とかを見てもらって、それで拾った情報を教えてくれれば、代わりに私が推理するよ。もちろん学校には、対崎の手柄ってことで報告しても良いよ」
「……………………はあ。断る選択肢はないのね」
「諦めてくれた?」
「しょうがないわ……」私は泣きそうな思いで声を振り絞った。「人に喋るんじゃないわよ」
「よしじゃあ契約完了だ。報酬も頂戴ね。大丈夫だって、ちゃんと、対崎のために本気で頑張るからさ」
私はたまらず箭原の肩を殴った。箭原はカエルが潰れたみたいな声を上げた。
「……契約も良い。報酬も、用意しましょう。口封じという面も確かにありますし、助かることも助かります」そうかしこまって言って、私は箭原の腕を睨んだ。「それで、その物騒な腕はなに? 入学したときから気になってたけど」
「義手だよ」
彼女はくるくるとその義手には見えない、鉄製なのかよくわからない無骨なようで繊細な造形の物体の手首を回した。その動きは、人間のものと遜色がない。
「もしかしてほら、なんだっけ、あれ」推理が出来ない弊害で、私は単語が出てこなかった。
「オーパーツ?」
「そうそう、それよ」
オーパーツ〈失われた文明の作った遺産 時々発掘される 現代文明では追いつけないほど遥かに高度な技術が用いられており、どんな性能なのかは予想もつかない 専用の研究機関で管理されているが金さえ出せば個人でも所有できる 一般には危険な未知の物体〉か……。そんな物騒なものを学校に堂々とぶら下げているこの女のことが、怖くなってきた。良く無事で済んでいるものだ、こいつも、私達も。
「これ、お父さんの所有物なんだよね」箭原は腕を眺める。そこに、愛おしそうだとか、愛着があるとか、そんな眼差しはなかった。「本物の腕を無くしたときに着けてもらった。ちょうど、お父さんが持ってたからって」
「それ、どんな機能があるわけ……?」恐れながら、私は尋ねる。
「ふふ、これにはね、探偵七つ道具が搭載されているんだよ」珍しく、楽しげに笑いながら、彼女は言った。「人に危害を加える機能はそんなに無いけど……」
そんなに、という部分に引っ掛かりを覚えて私は距離を取った。
「……例えば何が出来るの」
「ああ、蘇生可能な仮死薬とか入ってる」
「近づけるな! そんなもの!」私は震えた。「何に使うのよ、仮死薬なんか……」
「うーん、悪戯とか? 対崎の家で死んでおこうか? 驚くでしょ」
「バカ、誰があんたなんか家に入れるか」
少し離れていた場所から容疑者たちのいるテーブルの方へ戻ると、騒ぎになっていた。
また私を巡って争いでもしてるのか。やれやれ、なんて思っていたがどうやら違うらしく、前波が私を見つけると血相を変えて駆け寄ってきた。
「ありえさん! 外で! 外から、物音が!」
「外?」
「誰かいるんですよ!」前波は裏口を指している。扉はぴったりと閉じられていた。
「ゴミ業者とかネズミとかじゃないの。それか探偵の応援?」
舞美を見たが首を振った。応援なんか呼んでいない、と言う意味だろう。
じゃあ誰が……。
「真犯人?」箭原が耳打ちしてくる。「確かめようか」
「ええ……」私は箭原の背中に隠れる。「先頭、行きなさい」
「なんでよ……」
「その義手なら戦えるでしょ」〈恐らくは巨大な野生動物並の筋力はある〉
「まあ、そうだけど」
容疑者や客にここにいるよう命じて、箭原と私は扉の側に近寄る。
「開けるよ」
「ええ……」
箭原が生の手を使って、ノブを捻る。扉が、軋みながら開いていく。
裏路地。建物と建物の間にある、薄暗い空間だった。ゴミ箱や壁面には何かが漏れ出しているパイプが幾らでもある。
私が倒れていたと思われる場所に、女がひとり。
「誰」箭原が声を掛ける。
女は、驚いて何の躊躇いも無く表通りの方へ駆け出した。
「待て!」箭原は走った。私は、走るのが得意じゃないので諦めた。
しかし箭原は運動能力も優れているらしく、ものの数秒で怪しい女に追いつき、その義手で地面に叩き伏せた。
「箭原……」私は近づく。女の姿が見えてくる。「どんな奴よ、そいつ」
「至って普通の子」
箭原がそう言うので正面に回って顔を確かめた。
その相貌に、見覚えがある。誰なのかはわからないが、知っている気がする。
女はそのままの姿勢で口を開く。
「対崎様! 愛してます!」女は喚き出した。言っている意味はよくわからなかった。
押さえつけながら、箭原が訊いた。
「……あなた、犯人?」
「犯人……? そう! そうです!」女が両足をジタバタさせた。「私が殴りました! 愛する対崎様を! だから、逮捕して下さい!」
箭原は捻り出すようなため息を、十秒ほども吐いてから、女を解放して立ち上がった。
「なんで対崎の周りはこんな奴ばかり集まるんだよ!」
「し、知らないわよ」私は首を振った。「交友関係はちゃんとしてるつもりよ」
「なんで犯人を主張する彼女、元カノ、おまけにストーカーなんか増えるんだよ……」箭原は頭を抱えた。「頭痛がしてきた」
女は立ち上がる。逃げ出すのかと思ったが、あまりにも礼儀正しくお辞儀をした。
「鶴居きさら、と申します」
鶴居〈対崎よりは年上 ツーサイドアップ 落ち着いた服装には血がついている〉という名前を聞いてもピンと来ない。けれど顔は知っている。この歯に詰まったカスみたいな気持ちの悪さは何だろう。
というか、服に血……?
「箭原! そいつ、服に血がついてる!」
何! と箭原は急に嬉しそうな顔をしながら、引きちぎる勢いで鶴居の服を引っ張った。
べったり、という程ではないが、裾や肩の方に、ところどころ粒になったような血痕が付着していた。白っぽい服だから、余計に目立つ。これで外を歩けば、通報くらいはされるだろう。
「それは?」箭原が目で指し示しながら訊いた。
「はい、対崎様を殴った時に……」鶴居は、大切なプレゼントでも抱えるみたいに、服を二の腕ごと抱いた。「私が、犯人なのです……。対崎様、申し訳ございません、一ファンの身でありながら、このような……。逮捕してください、罪は、罰は甘んじて受けます」
「とにかく……」私は鶴居をなるべく眼中に収めないようにして、箭原に言う。「放っておくわけにはいかないわね」
「なんで容疑者が増えるかな……」
箭原は義手で鶴居の腕を引いて、あの女達の待つ店内へ連れて行った。
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