第12話 我武者羅に走る

溢れた涙をハンカチで拭き、少し冷静になってみたら、ワタシはまたやってしまったと思った。それでも、すべてを出し切ったからか、心はスーッと澄んだ湖のように、滑らかな水面のように落ち着いていた。何かから解き放たれたような解放感。


「食べましょうか」


彼はミートソースパスタを食べずに、ワタシの話をずっと聞いてくれていた。


「ごめんなさい。話しすぎました」


「そんなことは無いです。そうですね、とても、嬉しかったです」


そう言いながら、彼はパスタをフォークに巻きつける。ワタシもフォークとスプーンでパスタを巻き始める。


すごく美味しい。


何だろう、心の奥にある、何かつっかえが取れたからかもしれないし、このお店の味がとても良いのかもしれないけれど、めっちゃ美味しくて、もしかしたら人生で一番美味しいかもって思うぐらい美味しくて、がっつくように食べてしまった。


食後のコーヒーが運ばれてきて、彼はそれを一口飲む。


あれだけ一気に話してしまったこともあって、ワタシの緊張は、かなりほぐれていた。だから、聞いてみたいことを聞く。


「あの、読んでみて、どうでしたか?」


彼があの本を読んだ感想を知りたかった。彼は少し逡巡しているようだ。何かを話そうとしているようにも見えたし、何かを思案しているようにも思える。


「僕は・・・、あの小説が嫌いなんです」


は? どういうこと? 嫌いな小説なのに何で手に取ったのだろう。


・・・。


ちょっとした沈黙の時間が流れる。そして彼は口を開いた。


「あの小説、書いたの、僕なんです。」



こ、こ、ことばがで・・・。


「出版社に持ち込んだら、なぜかあれよあれよという間に出版まで行ってしまって・・・。でも、いざ出てみたら、全然で・・・」


確かにWebでの評価は☆2〜3ぐらいだった。ワタシ的には☆100だったけれど。


「自分に実力が無かったといえば、そうなんですけど、それでも結構、キツくて。だから、あそこに自分の小説が置かれているのを見た時、救われた気がしたんですよね」


そういうことだったのか。か?


え?


今、ワタシの好きな小説の作家先生が目の前にいる?


え?


作家先生の前でぶちまけてしまった?


そして、彼は滔々と話し始めた。


小説の評価で自信を無くし、それ以降、小説が書けなくなってしまったこと、そんな自分にリプカフェのマスターが声をかけてくれてリプカフェで働いていること、お気に入り棚に自分の小説を置いてくれる人がいることをマスターに教えてもらったこと、ずっと自分の小説と向き合えていなかったこと、ようやく踏ん切りがついて、勇気を出して声をかけてみたこと。


彼の話を聞いてはいたものの、まだ状況が飲み込めていなかった。そもそもペンネームは恋々花梨れんれんかりんでずっと女性だと思っていたから、男性だったことにも驚いたし、リプカフェで働いているというのも驚きで、パニックケイゾク中。


「今日、彩川さんの話を聞いて、ここまで熱く語ってくれる人がいて、とても感動しました」


彼は優しい瞳でワタシを見る。


いやいやいや、感動を与えてくれたのはあな〜た〜。じゃなくて、完全に状況に脳が追いつけていなかった。


「ありがとうございます」


そう言って微笑み、そして彼は頭を下げる。


待って、待って、待って〜! そんなことされても困るんですけど。えっ、ワタシ、どうしたらの良いの?


「ど、どういたしまして」


良く分からず、これが正しい対応なのかもわからなかったけれど、ワタシもペコリと頭を下げた。


「彩川さんのお陰で、すごくすっきりしました。初めて小説を書いてよかったなって感じました」


彼の素直な感じがすごく伝わってくる。


「実は、すごく、緊張してて。よく知らない人にこんな感じで声をかけるなんて、初めてで。家で50回ぐらい練習したんですよ」


最初に見たときは、少しキリッとした印象だったけれど、今の彼は、なんだか憑き物が落ちたような感じで、すごくにこやかで少し眩しかった。


その後、コーヒーと紅茶を追加でオーダーして、彼といろいろなことを話した。好きな小説の話、リプカフェの話、映画の話、ドラマの話。


彼と話すのがとても楽しくて、笑って、はしゃいで、こんなに感情を表に出して話をしたのはいつぶりだろうと思う。そもそも二人きりでこんなに話をするのは、人生ではじめてかもしれない。


ウキウキが止まらなくて、ウエイターの方がラストオーダーの注文を取りに来て、もう21時が近いことを知る。気づいたら数時間話していた模様。あっという間すぎるだろ、時間。


一応奢ってくれるとは言っていたものの、お財布は出してみる。そこはね、やっぱりね。彼がそれを制して、ワタシはペコリと頭を下げてお店を出る。


もう夜だ。月がとても綺麗。


彼が店を出てきて、笑顔で言う。


「今日は本当にありがとうございました」


「ワタシもすごく楽しかったです♪♪♪」


♪を3回付けたくなるほど、楽しすぎた。今まで生きてきた中で、一番楽しくて、幸せな日だった。ワタシの人生で一番の笑顔ができていると思う。人生ってこんなに楽しいんだね♪知らなかったよ、ワタシ。


「僕はこっちなんですけど、彩川さんは?」


「ワタシはこっちです」


と逆の方向を指差す。


「それでは、また」


と彼は言って後ろを向き、歩きはじめた。


彼が歩いている背中を見つめる。


さっきまでの楽しさがフッと消え、急に心が寂しくなってしまう。


アレだけ心を賑わしていたオーケストラが退場し、静かな時間が流れる・・・。


心の中の喧騒が無くなって、気づいた。ああ、心の中で一緒に怪獣が暴れていたことに。


「あの!」


気づけば、ワタシは大声で叫んでいた。振り返る彼。


「好きになってもいいですか!」



えっ?



心の中の怪獣の暴走を、ワタシは止めることができなかった・・・。


ああ、終わった・・・。


なんてことを言ってしまったのだ。


ダメだダメだダメだ。


恥ずかしすぎて、気づいたら、後ろを向き走り出していた。


彼が何か言っていたようにも感じたけれど、耳には入ってこなかった。


本当にワタシは何をしているんだろう。


目から涙が溢れてくる。


それでもワタシは我武者羅に走った。

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