第10話 最悪のタイミング

顔を向けた先に立っている彼に、恐る恐るこんばんはと返す。声は震えていないだろうか、ワタシは普通に振る舞えただろうか。


彼が目線を上の方に向けた。


あっ、ワタシ、身体を伸ばすために手を上げたままだった・・・。慌てて、手を降ろす。


なんで彼はいつも、こう、ワタシの気の緩んだ隙を狙ってくるのだろう。もう、嫌になってしまう。嫌いというわけではないけれど。


「親しくもない人に、こんなことを言うのは、失礼かなとは思ったのですが・・・」


し、失礼ということは、アレか。ワタシがやってしまった半笑いガン見と、転んだ時にちゃんとお礼を言わずに逃げてしまった失態のことか。きっとそうだ。ワタシは間髪入れずに謝る。


「ごめんさい。本当に先日は急に。そ、そ、その、驚いてしまったのもあって、ちゃんとお礼を言えていなくて。あ、ありがとうございました」


ペコリと頭を下げるワタシ。よし、ワタシよく言えたと思う。これで任務完了だよね。


「ああ、いえ、そのことは、はい。そうではなくて・・・」


そうではない?


どういうことだろう。ワタシは他に彼に何か失礼なことをしてしまっただろうか。もしかしてワタシの存在が・・・。 


「もしお時間があるようでしたら、ご飯でも一緒にいかがですか?」


え? 何を言っているのかよくわからない。言葉としての意味は理解できているけれど、それはワタシに言っている言葉なのだろうか。


ワタシが???という顔をしていたからだろう。


「すいません。気持ち悪いですよね」


そんなことは全然ありません! そういうことはないのです!とワタシの心は叫ぶ。


「ただ、あの小説、『この世界には僕の居場所が無い』について、少し話をする時間をいただけないかなと思って・・・」


ああ、そういうことか。そうですよねー。そっちですよねー。ワタシではないですよねー。はい。全然、全然、全然、がっかりなんてしてません!


「あのレストランに行ったことありますか?」


と彼はリプカフェの斜め向かい側にあるレストランを指差す。ずっと気にはなっていたけれど、そういえばまだ一度も入ったことは無かった。


「いえ」


「じゃあ、どうでしょう?」


どうでしょう? あっ、ワタシご飯に誘われているのだった。どうしよう。どうすればよいのだろう。


予想外の展開すぎて、ちょっと思考が停止してしまっていた。いきなり誘われて、ホイホイついて行ってしまうなんて、軽すぎるだろうか。そもそも軽いとか、軽くないとかって、何だろう。あれ、ワタシ・・・、やっぱり彼のことを意識してるのか。


それにご飯を一緒に食べるだけだし、そ、そ、そのホテル的なやつじゃないし・・・ってワタシは何を考えてちゃってるのよ・・・。


そして心の中で、またあいつが・・・ちょっと心臓のあたりが・・・手にも手汗をかきはじめていることがわかる・・・。心の奥でキュっと音がなった気がした。キュンじゃないから、まだ良しとしよう・・・。ああ、わからない。


「あ、あ・・・」


言葉にならないような声。と、その時、


グーーーー。


最悪のタイミングである。


心の怪獣が暴れる前にお腹の中の怪獣が暴れたようです。あう・・・。


彼はにこやかに


「行きましょうか」


と促してくれた。


あまりに恥ずかしすぎたのだけれど、顔から火が出るほどワタシの頭は熱でオーバーヒートしていて、何も考えられなくなっていて、軽く頷いて彼に促されるままレストランへ歩きはじめてしまった。


ホイホイとついて行き過ぎだ、あまりも愚かだと、理央の中の天使が説教していたけれど、その声はドップラー効果のように、だんだんとゆっくりと小さくなっていった。


ああ、ワタシ、何してるんだろう。


そして、心臓の鼓動はレストランに近づくにつれてどんどん高鳴っていた。

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