第6話 トゲトゲしさ

昨日は、どうやって寝たのかも思い出せないほど、酷い有様だった。


化粧もどうやって落としたのかも覚えていないし、何をしていたのかも、あまりよく覚えていない。


ただ、動く機械のように、いつもやっていることをただ淡々とやっていたようにも思う。


本当に大失態だった。


もう、リプカフェには金輪際行けない。彼に合わす顔も無い。


本当に本当に自分が情けなかった。


ああ、またお気に入りのカフェを探さないとなあと思う。リプカフェのような居心地の良いカフェは、そうそうない。本が好きな人のためのカフェって、意外と少ないから。


リプカフェには前払いで1年分会員料金を払ってしまっていて、その分はとてももったいないが、仕方がない。


あんな失態を演じてしまったのだから。


ああ、本当にワタシは何をしているのか・・・。


寝たことで気分は少し落ち着いたものの、憂鬱な気分は抜けきれなかった。


そして、それでも月曜日はやってきて、働かなければならない。働かざる者食うべからず。


生きていかなきゃならないのだ。


支度をして家を出る。ワタシは平日にお化粧はほとんどしない。だから、かなり朝の支度は楽で時間もかからない。


お化粧をほとんどしない一番の理由は、期待しなくて済むから。お化粧をしていなければ、ワタシに寄ってくる人はほとんどいない。


だから、毎日を平穏に過ごすことができる。お化粧をしてしまうと少しだけ期待が入ってしまう。そうなると、何も起きず一日が終わった時に、がっかりする。そんながっかりを何度か経験したこともあって、平日にお化粧をすることをやめてしまった。


そもそも、ワタシごときが化粧をして何かを期待すること自体がおこがましい。そう思う。


世の中には綺麗な人がたくさんいる。そして多くの人は綺麗な人に注目するのだ。ワタシのような人間が化粧をしても、誰も見向きもしないし、綺麗な人と並んでしまえば、お化粧をしようとしまいと月とスッポンであることは変わらない。お化粧など、美しい人の前では誤差。


全員が全員、美しくなることなんてできないのだ。それが真理。


だって、全員が同じほど美しかったら、美しさを比較することはできない。醜いものがいるから美しさが際立つのだ。それが事実。


そういう現実は、今の社会では隠そうとしていて、存在しないかのように振る舞う。それがマナー。本当はみんな美しいものが好きだけど、それを言ってはいけない決まりになっている。


どちらが健全なのだろうと思う。ありのままの感情を言える社会と、本当の感情を隠して美辞麗句を並べる社会と。


わからない。


ただ、どれほど社会的にルッキズムとかLGBTQとか、平等とかを議論しても、その根っこにある感情を隠していては、本質的な解決は生まれないだろう。ワタシのような人間は、そういう誰しもが持っている裏表の裏の感情をずっといろいろな人から感じてきたし、今も目に見えない何かにずっと囚われているように思える。


いつもの時間のいつもの電車。多くの人達がこの鉄の箱に押し込められ、都心部へ移動する。日本の風物詩、満員電車。


これが許容される社会、それはワタシたちが人間として、ちゃんと扱われているのだろうか?とも思う。


東京一極集中の日本では、これはどうしもないのだろうなとわかりつつも、何か方法はないのだろうか。一企業ではどうしようもないことだから、これこそ、国が何か方策を立てるべきなのでは?とも思うが、政治家やエリート官僚たちは、満員電車の苦痛を知らないし、彼ら自身が感じる苦痛ではないから、どうでも良いと思っているのだろう。


それが今の日本で、ワタシたちは、税金を収めるための奴隷のようなもの。


マナーに縛られ、ルールに縛られ、常識に縛られ、法律に縛られ、固定観念に縛られ、身動きが取れない状態。そういう意味では、昔よりも見えないものにがんじがらめにされ、自由を失い、奴隷奴隷しているのかもしれない。


ふと、お尻に違和感を感じる。


ああ、


もう、


本当に、


止めて、


欲しい。


ワタシのお尻など貴方にとって、本当は価値なんてないのだから。


手を払い除けても良かったのだけれど、こんな満員電車の中で妙な動きをすると、それはそれで怪しまれてしまう。


手を掴んで痴漢と騒いだところで、ワタシが言っても言い訳されて終了。美しい人なら、みんな信用してくれるだろうけど。仕方ない、もうすぐ駅だから車両を移ろう。


理想的には痴漢という存在が無くなることが望ましいけれど、現実問題としてそれは難しい。人間はそれほど高尚ではないし、もし人間が本来高尚な生き物であったならば、アダムもイブもリンゴを食べなかったろう。


ワタシたちは、そういう罪を背負った、業ある動物なのだ。


だから、どれほど痴漢撲滅と叫んでもリンゴという果実に手を出してしまう人は後を絶たない。


であれば、満員電車という状況を改善すべきなのだけれど、それを解決しようという動きはほとんどない。これがきっとワタシたちが奴隷である証拠の1つのようにも思える。奴隷の生活など、上の人間にとっては、どうでも良いこと。


ああ、今日は、何だかおかしい。自分自身の思考にトゲトゲしさを感じる。


きっと土日の失態のせいだろう。眠ることで、ある程度リセットできてはいたものの、その影響はかなり大きいようにも思えた。


ふと、思う。


あの誰だかわからない痴漢はワタシを性の対象として捉えていたのだと思う。じゃあ、リプカフェで会った彼は、ワタシのことをどう考えているだろうかと。


二度ほど会っただけで何かを思うことなど、ありはしないか。そうであるならば、ワタシは道端にある石ころと大差はない。そう、きっとワタシは石ころと一緒。そう思わないと、何かがドッと溢れてきて、止まらなくなりそうで怖かった。


彼に抱きかかえられた時、とても落ち着いた香りがした。アロマだろうか、お香だろうか。あの時はとても慌てていて、そんなところまで気が回らなかったけれど、あらためて思い出すと、いろいろな記憶が蘇ってくる。


彼の顔を思い出すと少しだけ心臓のあたりがトゥクンとなる。どうして、こんなことになってしまったのだろう。


気がつければ、また彼のことを考えてしまう。


どうして、どうして、どうして。


トゥルルルー。


電車のドアが閉まる音。頭を振り、無理やり、鉄の箱に乗り込んでいく。

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