第5話 壊れたプレイヤー

翌朝日曜日、寝て起きてみたら、昨日の身悶えが一体何だっのだろうと思えるほど、意外と平静になっている自分がいた。


ワタシは結構眠るとスッキリできるタイプというのもあって、仕事や私生活で嫌なことがあっても、寝て起きると、結構リセットされていることが多い。


昨夜、あんなにも取り乱していたのに。


そう考えると、あれは一時の心の乱れであって、言ってしまえば通り雨のようなものだったのかもしれない。


狐の嫁入り。青天の霹靂。


きっと突然起きた出来事に驚いてしまって、脳がバグってしまったのだろう。


あらためて、冷静に振り返ってみると、ワタシの昨日の態度は、あまりにも良くなかったように思う。


せっかく忘れ物があることを教えてくれたのに、あまりにも不躾な態度だったようにも思えた。あまり細かなところまでは覚えていないのだけれど、少なくとも変な感じにはなってしまっていただろう。


リプカフェは今のワタシにとっては、生きていくために、生きていくための、とても大切なスペース。それを失ってしまうのは、かなり痛手だ。


決して、会員料金1年分を前払ししてしまったから、お金が惜しいということではないと思いたい。まだ、半年分ぐらい期間が残っているから、その分の元は取り返したいという貧乏根性が顔を出したわけでもないと思うことにする。


一度、謝ろう。そう思った。


あまりにも失礼すぎる態度だったと思うし、チャッと謝って、後は距離を置けばそれで良い。


元々リプカフェは談笑するようなカフェではないから、距離を取って近づかないようにすれば、それ以上、何か起きることはないだろう。


遠目から彼を見るぐらいなら、ワタシにだって許されるだろうし、見ることが罪なら、アイドルファンなんてみんな罪人になってしまう。そう、ファン的な感じで考えれば良い。


ファンはあくまでファンであって、アイドルとどうこうしようなんて行動はしない、妄想はしても。ワタシだってそう。


人生のちょっとしたスパイスとして、心を豊かにする潤滑油的な感じで考えれば、それほど悪くもないように思えた。


ワタシはいつものように支度をして、リプカフェに向かうことにする。


ただ、何事も無かったかのように行くのは、ちょっと気が引けたし、ある程度、心の準備も必要に思えたので、今日は帽子とメガネをかけていくことにした。ちょっとした変装。


外からリプカフェをこっそり見て、彼がいるかどうかを確認して、彼がいたら心を整えて、ゆっくりと彼の元にいって、昨日の態度を謝って、忘れ物のお礼をしっかりする。そしてクルッと後ろを向いて、何事もなかったかのように、彼から少し離れた席に座れば良い。


頭の中で謝罪と感謝を何度もイメージしながら歩いていたら、あっという間にリプカフェについてしまった。


もともと家から歩いていける距離のカフェを探していて見つけたから、当たり前といえば、当たり前なのだけれど、まだ心がちゃんと整えられていない。ただ、大人なのだ、そんなことを言って、逃げていても仕方ないし、それほどおかしなことをするわけではないから、心がザワザワする必要もない。


それでもやっぱり気になって、リプカフェを外から覗く。リプカフェの周りは低い木で囲まれていて、遠くからは中が見えにくいので、木の近くまでいって、木と木の間からお店の中を覗いてみる。


店の端から端まで見渡してみたが、どうやら彼はいないようだ。


ふう。良かった。


「あの」


こ、こ、こ、こ、こ、この声は・・・昨夜ワタシの頭の中で何度も再生された声。


「どうされたんですか?」


恐る恐る振り返ると、そこには彼が・・・いた・・・。


あ、あ、あ、あ、あ、あーーーーーーー!


恥ずかしすぎる・・・。再びの失態。これは痛すぎる失態。


ワタシの脳は完全にパニクってしまった。一体、どういうリアクションを取れば良いのかわからない。どうすれば良いのか、何を言えばよいのか。


「入らないのですか?」


彼は入り口の方に手を向けながら言う。


ワタシは何も考えることができずに、彼に導かれるまま、リプカフェの入り口の方で歩いていく。実際にワタシはちゃんと歩けているかも、自分では良くわからなかった。手と足を動かしているという感覚すらない。


頭の中は、あー!とかうー!とかえー!とか言葉になっていない叫びがぐるぐると駆け回り、完全にひっしゃかめっちゃか、あぼあぼぼぼぼぼぼ・・・。


そして、世界が一瞬停止する。


ワタシは何もないところでつまずき、倒れそうになる。


・・・気づいたら彼の胸の中にダイブしていた。


「大丈夫ですか?」


「ご、ご、ご、ごめんなしゃい」


ワタシが絞り出した言葉は、なんとも間抜けであったが、それ以上に、ワタシは自分がしてしまった大失態に、絶望していた。


ああ、ワタシの人生は終わったのです。今日、終わりを迎えたのです。もう、ワタシは立ち直れません。


目を開けると彼の顔がすごく近くにあって、ワタシの心がギューーーーっと締め付けられる。と同時に、頭の中が追い打ちをかけるようにシェイクされ、何も判別ができない、何も認識ができないドロドロの状態になる。


もうダメだ。


ワタシは、もうダメ。


ダメなのです。


彼を突き放すようにして離れ、ワタシは駆け出す。もう、何も考えられなかったし、何も考えたくなかった。


走ることに集中することで余計なことを考えなくても良いのはありがたかった。


こんなに全力で走ったのはいつぶりだろう。家に着き、再びドッと汗が吹き出してくる。


部屋に入るなら、膝を付き、足を外側に折りつつ、尻もちをついて、へたってしまった。


ああ・・・。


その日、ワタシは抜け殻のように、完全に自分を喪失した。


頭の中でずっと「空前絶後のーーー!」というお笑い芸人の人の言葉が、壊れたプレイヤーのように、何度も何度も再生されていた。

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