第3話 リセット

家に着きドアを開け部屋に入ると、ドッと汗が出た。すごく服がぐっしょりしている。走って帰ってきたから、汗をかいていたのかもしれないが、走っている時は気づかなかった。そこまで気づく余裕が無かったのだ。


改めて今日あったことを思い返すと、あまりにも恥ずかしすぎて、絶望しか感じない。


ああ、リプカフェにはもう行けないかもしれない。トラウマレベルの理央的黒歴史をまた作ってしまった。


なんであんなに、ガン見してしまったのだろう。


本当はいつもリプカフェの閉店間際までいるのだけど、半笑いガン見事件のせいで、いつもよりかなり早い時間に帰ってきてしまった。


汗もかきすぎてしまったし、今日はもう家に籠もろう。そうだ、ワタシは家に籠もって冬眠する。


まずは化粧を落とす。数時間前にバッチリと仕上げたメイクを落としていくと、素のワタシが顔を出してくる。


ああ、何であんなことをしてしまったのだろうと。自分の気持ちに手一杯で、慌てすぎていて、彼にちゃんとお礼をしたのか、覚えていない。それはそれで申し訳ないと思った。


忘れ物を教えてくれただけなのに、とても失礼過ぎたと思う。ああ、反省。でも、リプカフェにまた行くには、ちょっと抵抗がある。あんな失態をしてしまって、ワタシの中で、リプカフェが失態現場として記録されてしまった。


トラウマまではいかないけれど、それでも恥ずかしすぎて、またリプカフェ行くには相当な勇気が必要に思えた。


過去の自分。ワタシは平穏に暮らすことを信条にしてきた。昔、ワタシがいることで、多くの人に迷惑をかけた。ワタシの存在が許せないのか、ワタシの存在が嫌なのかはわからないけれど、一時期ワタシはこの世界で一人きりになってしまった。


だから、ワタシは何もしない方が良いと思ったし、ワタシの存在は世界に受け入れられていないのだ。だから、ずっとひっそりと生きることを決めた。


そう考えるようになってからは、少し落ち着いた生活を送れるようになったと思う。


人はみな平等なんて言うけれど、権利としての平等はあるけれど、実際には平等ではなくて、美しければそれだけで人生はイージーだ。ワタシのような存在は、決して幸せになどなれない。


それが現実で、だからこそ、そんなとても冷たくて無慈悲な現実だからこそ、ワタシは見切りをつけることができたし、自分の人生を作れるようになったのだと思う。


期待しない、ワタシは。そして、ワタシは誰も好きにならないし、好きになってはいけない。そう決めたし、それが現実を受け入れるということ、大人になるということなのだ。そう思う。


今日はかなり汗をかいてしまった。本来、汗っかきでもあるけれど、今日の汗は、恥ずかしさの汗。恥汗、そんな言葉あるかはわからないけど。久しぶりにこんなに汗をかいてしまったから、早く洗い流したい。記憶とともに。


お風呂のお湯はまだちゃんと張れていないけど、シャワーを浴びよう。


服を脱ぐと髪の毛が腰のあたりにフワッとして、腰のあたりがさわさわする。このさわさわ感がワタシ的にはすごく好きだ。


シャワーを少し強めに出す。少し痛いくらいだけど、その感覚が、ワタシ自身を罰するようで、そしてワタシ自身の悪い考えを無理やりひっぺがして洗い流してくれるようで、心地良かった。そういう強い刺激が、いろいろなことを考えるのを遮断してくれる。


リセット。そうリセットできたように思えて、湯船に浸かる。まだ、それほど溜まってはなかったから、お湯を継ぎ足しながら、半身浴。


ワタシは何をしているのだろう。どうして、あんなことになってしまったのだろうと思う。


欲だ。ワタシの欲がきっとあんなことを引き起こしてしまったのだ。もっと、もっと、ワタシは、もっと、仮面を分厚くしていなければならなかったのだろう。


平穏に生きると決めたのだ。誰とも深く関わらず、平穏に、好きな小説を読んでひっそりと生きる。社会の歯車というより、歯車の部品として生きる。それがワタシの道なのだ。


誰かに認識されるのが怖い。誰かにワタシを見つけられるのが怖い。ワタシはそう石ころのようなもの。道端にある石ころのような存在。花にはなれないし、雑草にすらなれない、ただのオブジェ。でも、それで良い。もうあんな思いはしたくないし、あれほどの嘲笑や侮蔑はもうこりごりだ。


親とはもう何年も会っていないし、ほとんど連絡もしていない。親もワタシの存在を疎んでいるように思うし、それは仕方がないことだととも思う。親がこうあって欲しいという人間に、ワタシはなれなかった。


親は教師で、ワタシにとても優しくしてくれたし、勉強の環境も整えてくれたし、とても良い両親だったと思う。


それでもワタシは、ワタシ自身に嘘は付けなくて、ワタシはワタシの道を歩みたくて、そして親と決別することになってしまった。他に道はあったのかもしれないけれど、でも、でもそれは、きっとワタシがずっと嘘をついて生きていくということで、ワタシにとってそれは大きなストレスでもあった。


両親にはとても感謝しているし、両親のことが嫌いになったわけではないけれど、大きな価値観の違い、世界観の違いというのは、どうやっても埋めることはできなかった。ワタシがしたいこと、やりたいこと、ワタシがワタシらしく生きていくための方法を、受け入れて欲しかったけれど、結局それは叶わず、今に至っている。


でも、両親の気持ちもわからなくはないし、もうあれから10年も経って世の中も変わってきているし、両親の考えも変化しているのかもしれないし、話をしてみたい気持ちもあるけれど、再び拒絶されたら、ワタシは本当に生きていけないかもしれない。それが怖くて、両親とはちゃんと話合えずにいる。


気づけばお湯がお風呂から溢れそうなほどになっていた。お湯を止めて、お風呂の中に頭を沈める。お湯が溢れていく。パスカルの原理。


湯船の中で両足を抱える。胎児のように。


ワタシは生まれてきて良かったのだろうか。いつもそんな疑問を抱いて生きてきた。もっと綺麗に生まれてきたならば、もっと自分に自身が持てたのだろうか。もっと綺麗に生まれていたならば、また違った人生になっていたのだろうか。わからない。


もともと両親と決別するきっかけは、学校での出来事だった。ワタシの存在がクラスメイトにバレてしまい、そこからワタシは学校での居場所を失ってしまった。


誰もワタシとは口をきいてくれなくなって、嫌がらせのようなこともしばしばあった。でもそれは「いじめ」という言葉では簡単には言い表せないとは思う。仕方のなかったことのようにも思える。


だって、クラスメイトだと思っていたら、カエルだったなんて知ったら、誰しもが嫌がるだろう。そういうものだし、ワタシもそう思う。


だからワタシは、きっと生まれてこない方が良かったとずっと思ってしたし、学校へ行くのが、とても辛かった。そして学校へ行くことを拒否してしまう。


その行為自体もきっと教師だった親にとっては、嫌だったのだろうと思う。


その時のワタシはすべてを拒絶していたし、ワタシは世界で一人ぼっちなんだと思った。生きているのが、生きていることが、間違いなのかもしれないとずっと思っていた。


そしてワタシは、すべてをシャットアウトすることを覚えた。そう、ワタシはロボット。ワタシという存在はあってないようなもの。そう自分に言い聞かせた。呪文のように、自己暗示をかけていった。


かの、マルクス・アウレリウスは


「痛いと思う気持ちを否定すれば、痛み自体もなくなる。」


という言葉を残した。そうなのだ、ワタシ自身の気持ちを否定すれば、その気持ち自体も無くなる。感情を殺すのだ。その時、たぶん、ワタシは一度死んでいるのだろう。


そして、感情を殺したワタシは、再び高校へ通うことができたし、卒業もすることができた。相変わらず、いたずらのようなこともあったけれど、全てを起こるがままに受け入れ、感情を殺してしまえば、それは単なる物理現象でしかなく、リンゴが木から落ちるのと一緒。


両親ともそれなりにコミュニケーションも取れていたようにも思うけど、その当時のことは、あまり覚えていない。いや、思い出すのを拒否しているだけかもしれないけれど。


勉強はそれほどできた方ではなかったけれど、それなりの大学に受かることも出来た。それを機にワタシは上京し、だんだんと親とは疎遠になっていく。


両親と距離がおけたことは、たぶん、お互いのためにも良かったように思う。ワタシがロボットのようになってからは、家の中に何かどんよりとした、得体のしれない、緊迫感とも違う、触れてはいけない何かがずっと漂っていたからだ。おそらく、両親も気分は良くなかっただろう。


ああ、嫌なことを思い出してしまった。


でも、そんなロボットのようなワタシを、一冊の本が救ってくれた。


それが「この世界には僕の居場所が無い」だ。


偶然書店で見かけて、ワタシがずっと感じていた居場所の無さを言い当てられたようで、何かに身体を乗っ取られたかのように、その本を手に取り、購入していた。


元々、それほど本を読む習慣は無かったのに、なぜかこの本に吸い寄せられていた。


家に帰ってすぐに読み始める。


主人公は肌の色が緑色で言葉がうまく話せない少年。どこに行っても彼はノケモノにされ、ずっと一人ぼっちで、世界には僕の居場所が無いと思っていた少年だったが、一冊の本に出会って、人生が変わっていくというお話だった。


読みながらワタシはずっと涙が止まらなかった。それは少年を哀れんでいるわけではなくて、なんとなく、ワタシ自身に重ねていたこと、そしてワタシ自身の話のように思えたからだ。そして、ワタシもこの本に出会うことで、救われた気がした。


すぐに何かが変わったわけではないけれど、でも、大学に通っていない週末に、お化粧をすることをはじめた。綺麗になることを、諦めないようにしようと思ったのだ。それは、ささやかな変化だったのかもしれないけれど、ワタシにとって週末は、本当のワタシになれる時間になっていった。


そして、週末は本を読む時間になった。本はいろいろなことをワタシに教えてくれたし、ワタシの世界がどんどん広がっていく感じがしたし、ワタシがワタシ自身を少しずつ取り戻しているようにも思えた。


それでも、リアルな世界に戻るときは、お化粧をする勇気までは持てなかった。それは過去のトラウマが原因かもしれないし、ワタシ自身の起来持ち合わせている、ネガティブな思考が理由なのかもしれない。でも一番は、純粋に怖かったというのが本音のように思う。


そんなこんなで、こんな歳になってしまったけれど、少なくとも高校時代のワタシよりは、ワタシらしく生きることができていると思うし、ワタシ自身を取り戻せているようにも思う。


まだ自分自身のことを本当に好きにはなれていないけれど、それでも、ワタシは生きることを選択できているだけで、上出来なんじゃないかなって思ったりしている。あんなことが起きてしまったのは、きっと少しだけ気が緩んでいたからだろう。


ちょっと頭がボーっとして身体が結構暖かくなってきてしまった。昔から、長湯が結構苦手で、すぐのぼせてしまう。


これでリセット完了。もういつものワタシに戻れたはずだ。とても冷静に自分を見れていると思う。きっと、問題ない。

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