第2話 ワタシの人生終了
ピーン。
リプカフェの入り口が開いた音が鳴る。それほど大きな音ではないけれど、そもそもリプカフェは会員制で人を制限しているから、お店の端にいても音が聞こえやすい。
そしてワタシ的には、やっぱりお気に入り棚の本を手にってくれないかなーって思ってしまうので、ついつい入店の音に敏感になってしまう。
あまり露骨にしちゃうと変な人に思われちゃうから、ほんの少し顔を動かして横目でカウンターを見る。リプカフェに来る人は、ほぼほぼ100%、飲み物を頼むからだ
もちろん、見てませんよオーラを全開にするため、本の方向も少しずらしつつ、あくまで自然に自然に。
入店してきたのは、たぶん男性で、スーツを着ている。結構珍しい。週末の休日にスーツというのは、それだけでも目立つし、リプカフェのような場所でスーツというのは異質な感じがした。ワタシが通い始めてからは、スーツを着ている人を見たのは初めてな気がする。
スラッとした感じで、歳は斜め後ろの背中姿しかわからないけれど、ヘアースタイルが丁度よいショートで、20代〜30代くらいだろうか。顔を見てみないとわからないけど。
そして、定番のお気に入り棚へ。さあ、ここからが勝負。期待しすぎると良くないから、期待は厳禁だけど、でも気になっちゃうのが人情。
おっ、最初に手に取ったのは、有名ミステリ作家のベストセラー小説。そうですよねー。やっぱり、そうですよねー。そうなっちゃいますよねー。うん、ワタシでもそう思います。だって、めちゃくちゃ面白かったもん。読書カウンターというサービスでもすごく高い評価だったし、気になっちゃうのはわかります。
はあ。今回もダメかなあって思ったのだけれど、彼はそれを棚に戻す。おおっ、まだチャンスあるかも♪
そして、ワタシのお気に入り「この世界には僕の居場所が無い」のあたりに・・・。はあ、どうしよう。いやあ、どうしよう。
自分のお気に入り小説って、ある意味、自分自身の中身を晒してしまっているという面もあるから、心の中でちょっとした葛藤もある。手にとって欲しいけど、それはワタシの心に触れるという感覚もあって、気恥ずかしさもあるのだ。
ああ、ダメ・・・だけど手にとってほしい。そんなアンビバレントな状態。
そして彼は、逡巡したように、そこで立ち止まっていた。それはもしかすると一瞬だったのかもしれないけれど、ワタシにとってはすごーく長い時間のように感じられた。
目線だけお気に入り棚の本を見渡しているのかもしれないけど、顔が動いていないように思えるから、たぶん、ワタシのおすすめの本を凝視しているようにも思える。
逆に時間が長すぎてドキドキしてしまった。なんだか、ワタシ自身をジッと見られているようで。
そして彼はゆっくりと、ワタシのお気に入りの小説に手を伸ばしていく。ああ、ダメっ、でも手にとって欲しい。ああ、ダメダメ!でも嬉して、ちょっと悶えてしまった。
彼は小説を手にとり、そして振り返りながら、テーブルの方へ歩いてきた。
!!!
ついに、ついに、ついにーーー! ワタシのお気に入りが選ばれました♪
それはワタシ自身が選ばれたような歓喜。心が体がジュンジュンしてしまう。この2ヶ月、誰も手にとってくれなかったからこそ、余計に喜びが溢れてきて、口元が緩んでしまう。
!!!
がっつり目が合ってしまった。あっ、あまりの嬉しさに、ガン見してた。めっちゃ気まずい。ああー、ヤバイヤバイ、ヤバすぎる・・・。ああーーーーーーーーーーー。
恥ずかしすぎる・・・、恥ずかしすぎて、死にそう。いや、すでにワタシは死んでいるのかもしれない。社会的に抹殺されたのかもしれない。
ああ、ダメ、ダメ、ダメ。
顔から火が出そう。いや、出ているぐらい、赤くなっている気がする。半笑いのガン見。もはや、ワタシは変人以外の何物でも無い。
あまりにも、恥ずかしすぎて、全身から汗ががにじみ出てくるのがわかる。
どうする、どうする、どうする、どうする・・・。
気がつくとワタシはサッと本を閉じ、そして何事もなかったかのように、テーブルを立つ。
そうです。ワタシはちょうど今、時間が来たので、帰るところなのです。たまたま、たまたま、貴方とは目が合っただけなのです。偶然。全ては偶然の為せる技。半笑いだったのは、小説が面白かったからなの。そういうことにして。
ワタシは何事も無かったかのように、コーヒーカウンターの方へ少し足早に向かい、コーヒーカップを返す。そう、ワタシは颯爽と立ち去ることで、半笑いガン見を無かったことにしたいのだ。
このままスマートに立ち去れば、この黒歴史はなかったことになる。そう信じてワタシは疑わない。
「あの・・・」
後ろから声をかけられる。声からして、先程の男性のように思われる。まさか、半笑いガン見の件を指摘されてしまうのかもしれない。ああ、ごめんさい・・・。
「スマートフォン忘れてますよ」
!!!
この瞬間ワタシの人生は終わった。すべて終わった。ああ、ワタシが築き上げてきた半笑いガン見という黒歴史を無くすためのエレガントな立ち去り方は、すべて無意味になり、気泡とかした。
恥ずかしすぎる。あまりにも恥ずかしすぎる。恥ずかしすぎて、もう死にたい。いや、もう死んでいるのだ。
ワタシはテーブルに忘れたスマートフォンをサッと手に取り、駆けるようにリプカフェを出ていく。
何か言葉を発したような気もするし、頭を下げたような気もするし、何もしてないような気もする。そのあたりの記憶は、すべて曖昧で、ただただ、その場所から逃げたい一心だった。
ダメすぐる。
もうダメだ。終わったのだ。ワタシの平穏な週末は終わってしまったのだ。
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