第4話 暴く
千代田区一ツ橋にある講集舎の記者部で、河西が憤っていた。
「しかし、知れば知るほど、官僚というのは羨ましい限りだが、俺の頭の程度ではなれんし、官僚すべてが悪しき者とは思えない。霞が関の官庁街は昼夜の区別がないと言われるほど激務で、むしろ国民のために命を賭けて国策に取り組んでいる官僚も多いのは事実だろう。けれど、全省庁で公益法人が一万法人強もあるんだから。キャリア官僚にしてみれば、天下り先なんぞことかかないって」
河西が同僚の西田に、「見てみろよ、これ」と、真面目な顔で一枚のペーパーを机上に置いた。そこに記されているのは、平成十七年六月から平成十八年五月までの、各省庁別キャリア官僚の天下り人数表だった。それも、課長、企画官以上の奨励退職者数が記されていた。
「ほら!」河西が指先で示す。
「一年間で千二百六十七人もいる。財務省の三百二十五人、厚労省の百十人、経産省で百三十一人、国交省で三百三人、四省計で八百六十九人と六十八%を占めているだろ。それに、この表にはないが、当然ノンキャリアの天下りがある。これが同期間で約二千人だ」
河西が眉間に皺を寄せる。
「それだけ、ぶら下がる公益法人があるということだ。これらの法人へ流れる資金は、特別会計という税金で賄われている。これが平成二十二年度で三百七十兆円だ。これだけ見ても、公表される一般会計予算九十二兆円とは別に、四倍の特別会計予算が各省庁の既得権益の温床として、未公開のまま歳出されている。そこに多くの税金の無駄遣いがあるとなれば、納税者としてはとうてい納得できるものではない」
「さらに、この種の人種は、渡りを繰り返しては甘い汁を吸う。最近国会で指摘された元キャリア官僚の水産庁長官は、現在七十八歳で退官後二十二年間で六つの財団や社団法人を渡り歩き、それぞれ数年ずつ勤続して、その都度数千万円ずつ退職金を受け取った。もちろん、年俸も官僚時を下回らぬ二千万円近くだ」
呆れ顔になり、「こんな汚ねえ話があるか!」と吐き捨てた。
「俺なんか、朝から晩まで働いても年収が五百万円程度で、こいつらからみれば鼻糞程だ。頭に来るな。だから詳細に調べ暴いてやるんだ」
聞いていた西田も怒る。
「それにしてもひどい話だが、俺たちのような一般人には夢物語だな。いまいましったらありゃしねえ。結局、なんだ。国交省でいえば、ガソリン代のガソリン税がこれだな。また、車を所有すれば自動車税や重量税等がかかる。ということは、奴らの懐を肥やしているのは、俺らということになるぞ」
「そういうことよ」
河西が応えると、西田はさらに憤る。
「くそっ、本当に頭にくるな。酒でも飲まなきゃやっていられねえ」
「自棄酒飲むのはいいが、お前の飲むやけ酒には、わたりの財源となる酒税が含まれているぞ」
「てやんでぇ!」やけくそ気味にほざいた。
その後、河西と西田の二人に山口が加わり、安居酒屋で焼酎のお湯割りを煽り、酔いが回り始めると、記者部での話題の続きが始まった。河西が酒臭い息を吐き、口火を切った。
「さっきの話じゃないが、この酒だって税金を飲んでいるようなもんだぜ。どうりで喉に引っかかると思ったよ」
すると、西田が口を尖らせる。
「そうは言うが、わたりは官僚だけじゃないんじゃないか。周りをよく見てみりゃ、一般企業にだって蔓延っているぜ。ほら、うちの会社だってそうだ。役員連中のグループ会社への再就職がある」
「それって民間版天下りか。俺なんかに、そんなのないぞ!」
山口が自分の状況を訴えた。すると河西が貶す。
「馬鹿野郎、万年平社員にそんなのあるかよ!」
「なんだよ。それじゃ、誰がそんな甘い汁吸ってんだ?」
「お前、脳みそが腐っちまったか。それとも空っぽなんか。ほら上を見てみろよ」
「何なん、上って?」
酔い目で煙草の煙が充満する天井を仰ぐ。
「阿呆! なにやってんだ。薄汚い天井を見たって、仕方ねえだろ」
「じゃあ、なんだよ、上って……」
「うちの組織のことだ!」
「えっ、組織……?」
「大きな声じゃ言えないが、うちの役員のことだ。お偉いさんだって、官僚のように天下っていないか? 今の社長、業績が低迷しどうにもならなくなった時に、メイン銀行から多額の資金を融通してもらい、挙句の果てにグループ化の名の下に株式の五十一%を取られ、それで早速、銀行からわたって来たんだぜ。それも行内順送りでよ」
「そう言われりゃそうだ。前社長の石黒だって、玉突きで関連子会社の役員にわたっているからな」
「そうだろ、だから、民間の会社でもあるってことさ。それが常套なんだよ」
「けど、官僚と違うのは、順送りの退職金なんかは税金で賄われていないことかな」
河西に説かれ、山口が納得する。
「なるほど、そうだ。私企業は法人税を納めなきゃならない。だから役員は節税対策と称して、交際費を使い豪遊し、手前らの利益を食い潰すわけか?」
「ああ」
「ということは、俺たちの分け前が減るということなのか?」
「そうだな。俺たちの給料は必要経費だが、それで利益が出なければボーナスが減るか、なくなるな」
すると、山口は損した気分になる。
「冗談じゃない。それじゃペイペイが割を食うじゃねえか!」
「まあ、そうなるな。俺たちのような三流大学出の一兵卒は、そんなところだ」
河西の結論に西田が不満を漏らす。
「くそっ、やる気がなくなるな。真っ正直に生きている俺たちが割を食うわけか。ろくすっぽ寝る間もなく、原稿の締め切りに追われ、ひいひい言っているのによ。そんなんじゃ、やってられねえや!」
二人は不満遣るかたなく、お湯割りを一気に干した。
「ぷへっ、腸に沁みるぜ!」
と、山口が自棄気味に空のグラスを強めにテーブルに置くと、「ごん」と乾いた音がした。
「なんだ、お前。酔ってんのか。そんな不満を吐いたって仕方ないだろ、現実なんだから。まあ、よく考えてみろよ。今の乾いた音、聞いただろ? その程度なんだ。だから今があるのさ。嘆いたところで、精々安酒を喰らって、くだを巻くのがおちだ。それ以外のことができるか? 偉くなれるのか? 役員は無理でも係長や課長、部長になれるのか?」
「……何言ってんだ、河西。役員とか課長、部長と抜かしているが、俺が偉くなれるわけねえだろう。そんなことわかっているくせに、何が言いたいんだ?」
「だから、今言っただろ。乾いた音って!」
「うんにゃ……?」
山口が空ろな眼で天井を仰ぐ。
「何、阿呆面している。これじゃ、出世なんか見込めんな」
河西が呆れた口調で言い、残り少ないお湯割りを含み、また説教を始めた。
「脳みそがいっぱい詰まった頭は、叩けば鈍い音がする。よく考えてみろ、石田専務や猪口常務の行状を覗ってみろよ、たまに恰好いいこと言うが、悪徳商人のように悪知恵働かせているだろ。それに、あっちの方だって盛んだ。キャリア官僚と同じさ」
そう言って小指を立てた。
「それに引き替え、お前なんか女の一人もいない。そんな世渡り下手じゃ、出世なんぞ見込めんし、処理もおぼつかないね」
貶され、むっとして反論する。
「そういうお前だって変わらんぞ。要領が悪いというか、正論ばかり吐いて、上司に疎んじられているじゃねえか。だから、いつまで経ってもぺーぺーなんだ」
「馬鹿野郎、俺のことはいい。今はお前のことを喋ってんだ。話をそらすな!」
そう言い返し、本題に戻そうとするが、度忘れする。
「ええと、何を話してたっけ?」
河西が聞き直して、ついと思い出す。
「ああ、そうだ。乾いた音だったな」
そう言い、山口を見据え、声高に吠える。
「よく聞け! もう一度、空のグラスをテーブルに置いてみろ。そうすりゃわかるから」
山口が怪訝な顔をする。
「どういうことだ?」
「まあまあ、言われるとおりやってみろよ。そうすりゃ話が続くから」
河西が落ち着いて促した。
「なんだか、わけがわからねえな……」
首を傾げつつ、グラスを取り上げてテーブルに置いた。
「いや、駄目だ。そうじゃない。こうだ、こう」
とグラスを取り、強めに置いた。すると、残るお湯割りが飛び散り鈍い音をたてた。
「どうだ、わかったか?」
「ふんにゃ、それがどうした?」山口はさらにい訝し気な顔をした。
「まだ、わからないのか。この鈍感野郎が!」
河西は呆れ顔だ。
「それなら教えてやる。脳みそが詰まっていないお前の頭を叩けば、こういう乾いた音がするんだ。要は、空っぽじゃ出世は無理だと言うことさ」
「なんだそうか……、って。何、俺の頭が空っぽだと、大きなお世話だ。そんなの端からわかってら! そういうお前だって変わらん、同じ穴の貉だろ」
「まあな、そう言われちゃ身も蓋もない。今も同じ釜の飯を食っているからな」
説教が虻蜂取らずになるが、それでも残り少ないお湯割りを飲み続ける。
「それにしても忌々しいな。官僚や役員連中にしても、皆同じじゃないか。特権階級面し、自分たちの欲得ばかり考えやがって、本当に頭にくる!」
吐き捨てるように言うと、空のグラスを掲げて店員に大声で注文する。
「おおい、焼酎のお湯割り頼む!」
「まあまあ河西、落ちつけよ。どうした、さっきの冷静さは。俺に説教していたんじゃねえんか。そうか、結局は自分の脳天に落ちてきて頭にきてんのか?」
「うるせえ、そんなのどうでもいい!」
高飛車に出たが愚痴る。
「くそっ、どうして俺らばかり貧乏くじ引かなきゃならないんだ。まったく忌々しい。これじゃ飲まずにいられねえや」
こんな調子で三人の呑み助は深酒で潰れ、いつ帰宅したかわからなかった。
翌朝、河西は妻の富子に起こされた。
「あなた、もう七時半よ。起きなくていいの!」
布団を剥がされ、肩を揺すられた。ようやく目覚め、起き上がろうとした途端、頭に激痛が走った。
「あっ、痛てて! うっ、気持ち悪い……」
夫の惨めな表情にも、心配顔などせず妻は急かす。
「あら、あなた。そんなところで吐かれちゃ嫌よ。お布団汚れちゃうから、早くトイレへ行ってちょうだい!」
妻に声高に浴びせられ、河西はますます吐き気を催し、背中を丸め這いずるように歩き、トイレで吐いた。
頭の芯に響く痛みは消えず、そろりと食卓に着く。
「どうするの、ご飯食べるの?」
冷やかに言われ、青い顔を振る。
「いいや、いい。それより水を一杯くれ」
「そう、水だけでいいのね」
面倒くそうに、「どうぞ」と差し出され、むかつきを抑えようと一気に飲み干す。
「ううっ」
またもや吐き気を催すが、胃の辺りを押さえのろりと支度し、青ざめた顔で出勤した。
それから、一週間が過ぎた。夕刻近く、執務中に電話が鳴り、河西はめんどうくさそうに受話器を耳にあてた。
「もしもし、河西さんですか?」
「はい、そうですが」
無造作に応じると、勢いよく喋り出した。
「俺だ、山口だ。今晩どうだ、空いているか。そうだった、この前はご苦労さん。また溜まっているんだろ。一杯やって解消しないか?」
「いいね。この前の続きでもやるか。それにしても、クソ忙しったらありゃしない。反吐が出るくらいだ」
「俺もそうなんだ。けどよ、こう忙しけりゃ息が詰まって窒息しちまう。あくせくしたって、この前の話じゃないが、偉くなれるわけでもなし、このまま安月給で終わっちまうんだからさ」
山口のトーンが落ちる。
「まあまあ、そう言うな。そんなこと言ってたら、やる気が無くなるからよ。そうでなくても忙しいんだ。締め切りは迫るし、名文は浮かばんしな。切羽詰っているから気分が悪いんだ。それでな、ちょうど今、キャリア官僚のわたり特集を組んでいるんだが、前回発表分が結構好評だったんで、第二弾をぶちかまそうと思ってな」
すると、山口が乗ってくる。
「そうか、確かにお前の突っ込み、的を突いていてよかったぞ。そうだ、この際、悪徳代官掃除をやらないか。俺たちは奴らのようにあくどいことはできない。せいぜい大衆に訴えて民意を動かすだけだ。その呼び水になれば本望だ。なあ、そう思わないか?」
「ああ、そのとおりだ。銭稼ぎはできないが、実態を暴くことはペン一本でできる」
電話口での河西の語気が強くなった。
「よしっ、やってやる。俺の細腕が折れるまで続けるぞ!」
「いやに張り切るな。けど、細腕じゃないだろ。お前の腕は丸太だ。そう簡単に折れるもんかい!」
山口が茶化すと河西が応じる。
「何言いやがる、お前だってねちっこさは同類だ。毎日安酒飲んで、黒づんだ顔してよ。よく言うよ」
間を置くが、意味深に訂正する。
「おっといけねえ、そうじゃなくて。黒光りしているんだったな、あっちの方がよ。酒の力が腕に来ず、あそこに集中しているんだろう」
「何、馬鹿なこと言ってる。まったく夕方になると、酒っ気が抜けて毒舌が冴えるんだから。それじゃ、行きますか。ここいら辺でエネルギーを充填せんといかん頃だし」
「俺のほうもいろいろ調べたものもある。参考になるかも知れないんで、酒の肴に話してやるよ」
「おお、有難いね。たいした資料じゃなくても、その心意気が嬉しいね。この際有難く聞かせてもらおうか」
「なんだ、偉そうに。まったくこれだから、お前は一言多いと言われるんだ。完全に出世コースから外れるな」
「大きなお世話だ、放っておいてくれ。それじゃ午後九時頃切り上げるから、池袋のいつものところでどうだ?」
「ああ、わかった。それじゃな」
同時に受話器を置いた。河西が壁掛け時計見ると、午後五時前を指していた。
「さっ、もうひと踏ん張りするか!」
背筋を伸ばしパソコン画面に目を移すが、直ぐに目を離し、とりとめのない思いに浸っていた。
しかし、いつまでぬくぬくと甘い汁を吸ってんだか。まったく頭にくるな。こんなあくどい奴が、まだ他に沢山いると思うと、なおさら頭に来る。くそっ、それに比べ俺たちは安月給でひいひいだ。それにこの不景気だ。会社が倒産して、露頭に迷う奴や就職浪人が巷に溢れているのが現状だ。血税に群がる悪徳官僚ばかりが蔓延り、一向に天下りがなくならない。こんなことが許されるのか。政治はどうなっている。民民党は何をしている。野党に成り下がった自弊党は、本気で改革する気概はあるのか。
政権交代前に、自弊党や公外党が長年にわたり官僚の悪徳体制を作ってきた。それを反省するでもなく、自分たちの過去を棚に上げ、批判ばかりで政争の具にしているだけだ。しかし、変わらないな。今も昔も江戸の頃だって、それ以前や現代だって、付け届けや接待、それに口利きの金品が当たり前の如く袖の下を通る。役人の上下、それに役人と商人の関係。それぞれ思惑と利権を絡めて横行している。それらが時々発覚しては、テレビや新聞紙上を賑わし、俺らの書く週刊誌で大衆の興味をそそらせるんだ。
もちろん、日本だけじゃない。世界中を見回しても、同じことがいえる。中国の歴史を紐解いてみろ。お隣の韓国でも、ヨーロッパの国々。アメリカや南米、そして中東の国々。
特に独裁国家は汚職の横行で、というか独裁者の我欲で成り立っている。また、最近起きていたエジプトでのムベラケ政権の崩壊や、己が法律だと権力を振りかざすリビアのガガフィ大佐の悪行三昧のなれの果て。力で民衆をねじ伏せ、恐怖政治を敷いていた現実がある。それに、シリアの武力による市民弾圧や、北朝鮮では銀一族が貧国を支配し、今や国は疲弊し、食糧不足が常態になり、国家は危機的状況下にある。その難民流入を防ぐため、これまた貧富の差が大きい一党独裁国家が支援し、六者協議提案などと、終わりなき駆け引きに翻弄されている。
そのうち頭の中が混乱し、苛立ってきた。
「こんなことがいつまで続くんだ。いつまで経っても俺たちの仕事が忙しいばかりで、楽になりゃしない。それで安月給とくりゃ、言うことなしだ。まったくもって、これだけ暴露してやってんだし、官僚殿から付け届けの一つも貰いたいもんだ」
落胆色の本音と恨み節が溢れていた。
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