第七章

帰りの新幹線でも俺たちは無言だった。ただ、険悪な雰囲気ではない。単純に何を話していいのかわからなかったのだ。凛が通い婚をするとか言い出すから、変に意識してしまったというのもある。この沈黙を破ったのは凛だった。

「南雲」

「なっ、何だよ」

 動転してしまった。まさか凛から声をかけてくるとは思っていなかった。

「さっきの言葉、嘘じゃないから」

 恐らく通い婚のことだろう。ただ、そのことを口に出すと拗ねそうなのでやめた。

「……そうか」

 会話はそれっきりだった。小田原駅に着くまで、無言の空間だけがそこにあった。

“まもなく、小田原です”

 そのアナウンスがあってやっと、俺たちは荷物をまとめて動き出した。そこからの流れはスピーディーで、新幹線が停車した後降車し改札を出た。時間は夕暮れ時で、通勤客がせわしなく動いている。小田原なんて田舎もいいところだから、人数はさほど多くはないが。

「俺は家に帰るけど、凛。お前はどうする?」

 凛は一瞬呆けた顔をした後、我に返ったように顔を引き締めて

「勿論、今日は帰るわ。でもそのうちまた会いに行くから」

 と、東海道線の方へ歩いて行った。

「あ、忘れてた。これ、伊波くんに届けなきゃいけなかったのよね。今日は伊波くんの旅館に泊まろうかしら。南雲、車出せる?」

「家に帰れば出せるけど」

 肝心なことを忘れているのは、凛にしては珍しい。熱でもあるのだろうか。とりあえず、「ついてこい」と俺の家の方へ歩き出す。凛は大人しくついてきた。

 俺の家に着いたら、鍵を開け車のキーをとる。鍵を閉め、車を開ける。俺が運転席に、凛が助手席に座る。

「安全運転してよね」

 凛がいきなりそんなこと言うもんだから

「俺、普段そんなに危ない運転してたか?」

 と返してみた。凛は「別に」と言葉を発した。

 熱海までの道は、近い様で遠い。トンネルだらけだし、伊波の経営している旅館は熱海の奥地だ。尚更遠い。車内では音楽をかけられるので、無言の空間も少しは緩和されている、気がする。一時間半ほど無心で運転していると、伊波の旅館が見えてきた。純日本風の旅館だが、古臭さはない。関係者専用の駐車場に車を停め、凛と共に玄関へ向かった。

「おい、南雲だけど」

 大声で叫ぶと、ドタドタと足音が聞こえてきた。

「南雲! 待ってたよ。お宮さんは?」

息を切らして伊波が現れた。顔が青白いので、まだ本調子ではないのだろう。ぱっつんにしている黒い前髪も崩れているし、着物の着方も雑だ。

「伊波くん久しぶり。お宮さん、修理してもらったわ。どうぞ」

「ああ義姉さん、久しぶりです。お宮さん、ここまで綺麗になって……出会ったときみたいだ」

 伊波はお宮さんの包装を外し、取り出す。新品同様に修理されたお宮さんに、ご満悦みたいだ。

「とりあえずお宮さんをしまわないとね」

 そう言うが早いか、伊波は腕にお宮さんを突き立てた。何故か着物が破れず、血も飛び散らないまま妖刀は伊波に吸い込まれていった。この不思議な光景も、お宮さんが何か特別な刀だからなのだろうか。それとも妖刀というのはこういうものなのか、俺にはわからなかった。凛の方を見ると、心ここにあらずという感じだ。

「お帰り、お宮さん。またよろしくね」

 伊波は誰の目も気にせず、愛おしそうに腕をさすった。お宮さんも何か話しているのだろうか、我が弟ながら全くわからない。しかし刀と一心同体というのは本当らしく、伊波の顔色は普段通りになっていた。

「ところで、二人はこれから帰るの?」

 伊波は俺たちに目線を向け、問いかけてきた。黒目がちな瞳がこちらを見つめている。

「そのつもりだけど」

「折角久しぶりに会えたんだから、泊まっていきなよ。宿代は要らないから。河奈もおもてなしの料理作っててさ、まぁ良かったらなんだけど」

 良かったらなんだけど、とは言うが確実に泊まらせようとしている。それがひしひしと伝わって来たので、

「まぁ、いいけど」

「私も。伊波くんのお宿、雰囲気良いから楽しみだわ」

 俺よりも凛の方が乗り気なのは、少し意外だった。伊波が居るから断れなかったのか、それとも……考えつくことはあったが恥ずかしいので思考から追い出した。

「部屋、分ける?」

「一緒でいいわ」

「えっ」

 今度は伊波が驚いていた。そりゃそうだ、伊波は俺たち夫婦の仲の悪さをよく知っている。今までの凛だったら確実に分けるだろうし、伊波もそれを想定していたはずだ。伊波は再び腕をさすり、「あぁ、そうだったんだ」と中のお宮さんと一言二言交わしていた。お宮さんには、俺たちの旅の記憶があるということか。それはそれで恥ずかしい。

「じゃあ、部屋の準備し直してくるよ。少し時間かかるから、客間でゆっくりしてて」

 伊波は慌ただしく旅館に戻っていった。俺たちは顔を見合わせ、玄関から客間に入った。

「お邪魔します」「邪魔するぞ」

 客間には、ちゃぶ台とふかふかの座布団。そして生け花と、割と簡素なスペースだ。俺たちは向かい合って座り、しばらく無言で見つめ合う。

「……どうして、一緒の部屋で良いんだよ」

 先に沈黙を破ったのは俺だった。どうも凛の様子が変だ。通い婚なら良いとか、共に一夜を明かして大丈夫だとか。今までにない態度の軟化具合に混乱している。

「アンタは違う部屋が良かった訳? 散々私と付き合いのある男を叩きのめしてきたのに。それに言ったじゃない、見直したって。……これ以上、言わせないでよね」

「言ってくれよ」

凛は急に顔を赤らめ、目を逸らした。そして一呼吸置き、

「アンタ、バッカじゃないの⁉ 惚れた男と同じ部屋に泊まって何が悪いのよ!」

 と叫んだ。あまりにも声が大きかったので、厨房に居る河奈や部屋の準備をしている伊波に聞こえたのではなかろうか。案の定厨房の方から、ガシャンと皿の割れる音がした。「きゃっ!」という河奈の悲鳴もセットで。俺はと言えば、何も返せなかった。ただ、自分の顔が赤くなっているんだろうなとはまともに機能しない思考回路でも考えついた。

「……あの、お取込み中のところ悪いんだけど……夕飯出来たよ」

 やはり凛の声は伊波にも聞こえていたみたいで、バツが悪そうな表情で客間に入ってきた。

「ああ、すぐ行く」

「私も」

 俺たちは立ち上がり、伊波についていった。内心、あの会話を聞かれていたことが恥ずかしくてたまらなかった。凛も確実に同じ気持ちだろうが、こんなシンクロは勘弁してほしい。


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