第46話 イロトリドリノセカイ1
「……できた……!」
鮮やかな緑色。チューブに流し込み、専用の器具で封入する。仕上げに、あらかじめ作っておいたカラーサンプルを印刷したラベルを貼りつけ終えると、おれは思わず拳を宙に突き上げた。
「彩人、おめでとう。ついにやったね」
実験の手を止め、背後で見守ってくれていた花村が嬉しそうな声を上げ、ぱちぱちと手をたたいてねぎらいをくれた。
「ありがとう。やっと1色、だけどね」
「その、最初の一歩が素晴らしいんじゃない。素敵な色ね」
花村が誇らしげにおれの手元を眺めながら、微笑んでそう言ってくれる。おれにとって何よりのご褒美だ。
「ん。好きな色なんだ。……強くて、まっすぐだから」
おれがこの色で描いたトカゲモドキの龍を思い出す。自分にできることを、胸を張って為し遂げた。つぶらな瞳で、「どうだ」とばかりにおれをまっすぐに見上げた、最初の相棒。
「そっか。3本あるのはどうして?」
花村がおれの手元に並んだ3本のチューブを指さして尋ねる。おれは右端のひとつを両手で持ち、不思議そうに眺める花村の目の前に差し出した。
「成功したら、大事な人たちに渡すって決めてた。だから、これは花村の」
この大学で学ぶどの人間よりも、おれの「研究」は不器用で、ゆっくりで、拙い。長い長い時間をかけてやっと掌に収まる小さな絵の具のチューブが3本。「力」を使えば一瞬で取り出せる植物の魂の「色」をこの容器に収めるのに、おれは文字どおりに四苦八苦して、だけど夢中になって、ここでの時間を過ごしている。
花村は差し出された緑の絵の具のチューブを見下ろして、表情豊かな目を瞬いた。それから、繊細な宝石に触れるみたいにそっと受け取り、最高に優しい微笑みを返してくれた。
白衣のポケットにできたての宝物を忍ばせ、いつもの定位置、木の葉のレースを通して太陽の光が遊ぶ木陰に腰を下ろす。
今日は、不思議と眠気がやってこないどころか、なんだか落ち着かない鼓動が時間の流れを急かすように響く。講義の終了を告げるチャイムが遠くで聞こえてしばらくすると、強い西日に溶けるような滑らかな黒を纏った、背の高いシルエットが視界に映った。
「おはようございます」
艶やかな黒髪を微かに揺らしながら、蘇芳はそう言ってにっと口角を上げた。
「今日は寝てないからな……」
いつもどおりといえばそうなのだが、相変わらずの失礼なあいさつにおれは顔をしかめて見せた。
「珍しいこともあるもんですね。なんか嬉しそうですけど、いいことでもありました?」
この男は、たいして興味のなさそうな顔をしながら驚くほど的確におれの心情を読み取る。逸る気持ちを噛みしめて留めるように、白衣のポケットに入れた手をゆっくりと差し出した。
「さっき、完成した。……これは、蘇芳の分」
蘇芳はおれの手から絵の具のチューブを受け取ると、漆黒の瞳を細めて眩しそうにおれを見下ろした。それから、長い指できゅっと握りこんだ。
「ありがとうございます。……綺麗な、トカゲ色ですね」
おれが初めて「力」を使ったとき、蘇芳が偶然それを見たとき、おれが
「……無駄な抵抗とわかったうえで一応言うけど、あれ、龍だから」
「いいじゃないですか、トカゲ色で。地に足がついていておれは好きですよ」
「また意味不明な理屈を……まぁ、名前はなんでもいいんだけどさ」
肩をすくめて見せ、おれは自分の手元に残ったラストひとつのチューブを掌に載せて眺める。蘇芳は青色のペンケースの中に絵の具を収めると、おれの隣に腰を下ろしてこちらを見た。
「小柴先輩の分ですか?」
「うん、そう」
「体調とか、大丈夫そうでした?」
「うん。あのときのことは忘れているみたいだけど、ちゃんと元気だったよ」
おれがそう答えると、蘇芳は「よかったですね」と言って安心したように微笑んだ。目に見えない妖力で形作られた記憶は人間の中に残らない。色喰いの妖力に蝕まれかけていた記憶を、恭介が思い出すことはおそらくないだろうと思う。それでも、おれはひとつ心に決めていたことがあった。
「……蘇芳。おれ、恭介にちゃんと話そうと思う。自分のこと」
「トカゲ色」のラベルをきゅっと握りしめてそう呟くと、蘇芳は一瞬目を瞠ったが、すぐに可笑しそうに表情を緩めた。
「いいんじゃないですか」
「あっさりしてるなぁ……」
「おれがどう言おうが、彩さんがそう決めたんでしょ」
「うん……。今はまだ、巻き込む可能性もあるから全部ってわけにはいかないけど……ちょっとずつでも、ちゃんと話していこうと思って」
自分の決めたことをなぞるように、ゆっくりと呟いた。蘇芳はおれの言葉を聞いて、黙って頷いてくれた。
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