第45話 信念の……色4

「………っ、恭介……!」


闇が潮のように引いていったあとには、いつもの整った研究室の風景と、膝を折り今にも倒れこみそうな恭介の姿があった。


急いで駆け寄り、白衣の肩を支えると、恭介は微かに目を開け、柔らかな色の髪を透かしておれを見た。


「………………あや…………ごめんな………」


いつもの、優しくて温かい恭介の目だ。おれは目元に上る熱をこらえるように顔をしかめて見せた。


「何を謝られてんのか、まったくわかんないけど」


恭介に謝られることなどない。本当はおれが、この優しくまっすぐな友人に詫びなければいけないのだ。おれはいつも、ほんの少しなにかを見誤る。


見抜かれるはずがないと思っていた。自分のために苦しむ人がいるなんて思わなかった。そうやって決めつけて、人の「気持ち」の強さを、この人間の優しさを、おれはずっと、はかり損ねていたのだ。


恭介はおれの腕に抱きとめられたまま、安心したようにふっと微笑んだ。それから静かに目を閉じた。その表情があまりにも安らかで、綺麗すぎて、おれは狼狽うろたえた。


「……蘇芳、蘇芳! どうしよう、恭介が……!」


恭介を抱きかかえたままオロオロと周囲を見渡すおれを、蘇芳は隣から呆れ顔で見下ろす。


「なに動揺してんですか……。思いっきり息してるでしょうが」


「……え、あ、ほんとだ……」


おれの腕の中で目を閉じている恭介は、穏やかな寝息を立てながら眠りに落ちているようだった。白衣の肩に触れた掌から、ゆっくりとした呼吸に合わせて上下する動きが伝わる。


「見たところ他に異常もなさそうだし、そのうち目を覚ましますよ。彩さんの腕のほうがよっぽど大事おおごとだと思いますけど」


そう言った蘇芳の言葉で、おれは自分の白衣の腕を見下ろした。紅く染まった白衣の下の傷は、いつの間にかすっかり元通りになっている。さっきまで身体中を殴りつけるように走っていた熱く、鈍い痛みも消え失せていた。


「? もうふさがったみたい」


「どんな身体してんですか……」


「いや、おれもびっくりしたけど……。たぶん、さっき蘇芳が描いた不死鳥がおれの血に戻っていくときに、一緒にふさがったんじゃないかな」


「…………不死鳥、ね。じゃあおれのおかげですね」


訝しげにおれを眺めていた蘇芳は、そう言って肩をすくめた。そんなにわかりやすく恩を着せなくても、こうしてここに居られることが蘇芳のおかげだということくらい、さすがのおれでもちゃんとわかっている。


「うん。蘇芳のおかげだ。ありがとう」


おれは蘇芳に向かってにっと笑った。こいつは、おれと、おれの大切な人のことを信じてくれた。そうして、明誉がいなくなったこの世界で誰の目にも映らないはずだったおれを見つけ、あの暗闇の中でも何一つ見失わずに、おれの声に応えてくれた。


やっと見つけた、自分の中を駆け巡るあの「色」が、自分を染め変えていくような気がした。自分でもよくわからなかった自分の表情が、はっきりと動くのを感じた。自分の輪郭をはみ出しそうな熱が頬に集まる。身体の枠があることがもどかしいほど衝き動かされる。きっとこれが、本当に「嬉しい」という感覚なのだろう。


蘇芳はおれの表情を見て驚いたように目を瞬いた。


それから、可笑しそうに笑った。


「変な顔」


そう言って笑う蘇芳は、いつもどおりにスマートで、涼しげだ。蘇芳の涼しげな笑顔も、恭介の優しい笑顔も、花村の凛とした笑顔も、おれはこれからもっとちゃんと見ておこうと思った。彼らが何に憂い、何を信じ、何に笑顔を咲かせるのか、おれはこの場所に立ってこの目で見たい。同じじゃなくても、ぎこちなくても、こうしておれなりの笑顔を返しながら。

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