第43話 信念の……色2

「…………」


「彩さん」


「…………恭……介……」


蘇芳は呆然と答えたおれの言葉を聞いて目をみはる。それからどかっと椅子に座り直し、ふーと息を吐いた。


「…………っ、でも……恭介に限ってそんな……」


仮に、人間の「闇」が色喰いを生み出していたとしても、今蘇芳がおれに言わせた名は、おれにとっては最も闇から遠い響きに思えるものだった。


おれがこの場所で出会った、大切な「友人」。いつだって優しくて、温かくて、人望がある。今まで目にしてきたどこまでも暗く、いびつで、鮮やかな色彩と人の記憶を喰らっていくあの妖怪と、おれが見てきた恭介の笑顔はどうやっても重ならない。


「…………最近、小柴先輩に彩さんのことを聞かれることが増えました」


「……おれの、こと? 恭介が?」


「彩のことで、おれに隠していることはないかって。なにか特別なことを知っているんじゃないかって。………おれは、彩のことを、なにかすごく大事なことを、忘れている気がするんだって」


「…………」


「すごく、苦しそうでした」


少し目を伏せてそう呟いた蘇芳の言葉に、おれは目を瞠る。蘇芳と恭介が一緒にいるところに、そういえば何度か出くわしていた。それでも、まさか恭介がそんなことを考えていたなんて、思いもしなかった。


「…………なんで、そんなふうに思ったんだろ……。おれは、妖力を失えば誰の記憶にも残らないはずで……恭介だって、そんなふうに悩むことも……」


「……彩さんは、自分のことも、『人間』のことも、過小評価していますよね」


「……どういう、こと……?」


「不思議なものなんですよ。なら考えられないようなことを、たまに人間はしでかします。それくらい衝き動かされるものに、出会うことがある」


蘇芳は、そう言ってから少しだけ宙に視線を遊ばせた。それはまるで、自分の言葉の響きをたしかめるようでもあり、あの日の恭介の視線を辿るようでもあった。


「…………でも……あいつは……」


いろいろな色が視界に入っているはずなのに、すべての色が剝ぎ取られたように周囲の空気が重く、暗く感じる。考えなければと思うほど、おれの思考はぐるぐると同じ場所を回り続ける。悪い癖だ。こうやって前に進めないとき、いつもおれに手を差し伸べてくれたのは恭介だった。恭介だったのに。


「彩さん」


蘇芳は落ち着いた声でおれの名を呼んだ。すっかり慣れたその温度に、微かに頭の芯が冷やされる。暗闇の色とはまた違う、深い漆黒の目がまっすぐにおれを見る。


「…………」


「この仮説が正しかったとしても、悪いのは小柴先輩じゃない。おれは責めたいんじゃなくて、心配なんですよ。……彩さんにとって、大切な人でしょう」


「……うん」


「じゃあ、たしかめに行きましょう」


「ん……わかった」


ぐっと唇を噛みしめ、顔を上げて返事をすると、蘇芳は「それでいい」というように頷いた。おれたちは日も暮れかけ、ほとんど人のいなくなった研究棟を目指して走り出した。

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