第28話 見えない色 ー蘇芳sideー
筆が滑ったところから美しい色彩が滲み出る感触。
心をとらえた風景がもう一度目の前に蘇る感覚。
そして、描き上げたときに気づくのだ。おれの目に、心に映った風景は、もっと瑞々しくて、鮮やかだったと。
それは、失望であり、同時に最高の高揚だった。描ききれない、だから描く。夢中でキャンバスに向かっていたときのおれはそうだった。どう足掻いても描ききれないほどの鮮やかな景色に囲まれていることが幸福で、じれったくて、どうしようもなくおれを駆り立てた。
自分の絵の違和感に気づいたのは数年前。正確に言えば、自分の「見え方」の違和感に気づいたのが、高校2年の終わり頃だった。視神経疾患による、軽度の後天的色覚異常。黄色と白色の識別が曖昧になり、青色が黒に見えることがあった。発見も早く軽度で進行は止まっているため、日常生活にはほとんど支障がない。しかも後天的ということは、元々の色の見え方を知っているのだから、「今の見え方の特性」を頭に置いて、差し引いて考えればいいだけの話だ。
日常的に支障がなくとも、絵描きとしては致命的だというのはそのとおりだった。けれど、おれはそういう意味で落胆したわけではない。おれを失望させたのは、その「新しい見え方」で見た自分の絵が、ひどく貧相に見えたことだった。
「繊細で、どこまでも鮮やかな色彩」だと、人はおれの絵を評価した。おれも少なからずそう思っていた。それなのに、自分の目に映る自分の絵は、単に色褪せた一枚の絵にすぎなかった。曖昧で、アンバランスな色合いに戸惑うように、ただただ怯えた表情で佇んでいる、そんな風にしか見えなかった。そして、気づいた。おれが描いていた色彩は、所詮はうわべの美しさだけを剥ぎ取ったものにすぎなかったと。目に映る色以上の、衝撃やエネルギーを、そこに渦巻く熱のある感情を、色に込めて写しとってきたと思っていたのは、単なるちっぽけな思い上がりだった。そしてそのことを誰よりもはっきりと知った以上、それまで自分が進んできた道を、そのまま何も気づかぬフリをして歩き続けるのは嫌だった。
それでも、描くことはすでにおれの一部であって、それ自体を捨てるつもりはなかった。色の見え方をどこか冷静に計算しながら描く、自分のためだけの絵というのも新鮮で、決して悪くはなかったが、やはり心のどこかではいつも探し続けていた。もう一度、「描けるかどうか」などと考える余裕すら持てないほどの、駆り立てられるような「色」との出会いを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます