第14話 蒼天の露草色7

おれは、この世界に溢れる色とりどりの、「魂」の色が羨ましい。羨ましくて、眩しくて、いつだって強く、惹きつけられる。そうして、その色に心を寄せ、記憶を託し、同じくらい鮮やかな表情で誰かを想える「人」の姿にも、どうしようもなく惹きつけられる。だから、こうしてここに立っている。水を吸って重くなった、白衣の裾をぐっと握る。


「……おれは、『色』を守りたい。あの子にも、思い出の景色を描かせてあげたい」


振り絞った声は、おれたちの身体と地面を打つ雨音にかき消されてしまいそうに頼りなく響いた。けれど、蘇芳は満足げに漆黒の目を細める。


「おれには、あなたの背負っているものの意味はまだよくわかりません。けど、あなたの取り出す『色』で、描きたい。とりあえずの利害はちゃんと、一致してますよね?」


「してる……か?」


ぺしゃりと額に貼りつく、金色の髪を透かして蘇芳を見返す。蘇芳はいつもの飄々とした表情で、小さく肩をすくめてみせた。


「してますよ。ついでに言っておくと、おれは描きたいと思ったら、描かずにいられない性分なんです。だから、端的に言えば妖怪やらいわくつきの筆程度に、邪魔されたくありません。もちろん、彩さん、あなたにも」


「……蘇芳らしいな」


「そう思うんなら、いい加減観念したらどうですか。勝ち目ないの、知ってますよね」


次から次へと注がれる、色喰いが溶け込んだ雨の線。それでもおれたちの足元では、さっき蘇芳が見つけた露草の花が、凛とした涼し気な姿で、この時期地上では忘れられそうな青空の色を湛えて咲いている。蘇芳、という名とは対照的な色を持つこの花は、どことなくこの男に似ている気がした。


「……呼吸を、合わせるんだ」


「え?」


「この筆は、呼吸する。色を見る。おれたちと同じだよ。感覚を澄ませばわかる。呼吸を合わせれば、拒絶されない」


そう言って、白衣のポケットから取り出した朱塗りの筆を差し出す。蘇芳はためらうことなく長い指でそれに触れた。ばち、っと電気が走るような音が響くが、蘇芳はその涼し気な表情を崩さない。完全に掌に収めた筆を握り込む。それから、満足げに口角を上げた。


「……おれがおまえに合わすか、おまえがおれに合わすか……。まぁ、おいおい決めればいい」


「……いや、怖いんだけど。何者なんだよ、おまえは……」


おれが言うのもなんなのだが、異形の力まで圧倒しそうな蘇芳の迫力におれは思わず後ずさった。とんでもない奴に相棒を任せてしまったような気がするのだが、今さら後の祭りだ。けれど、蘇芳の手に収まった筆は心なしか生き生きとして見えた。居場所を見つけた、みたいに。


「ただの学生です。そんなことより、早く『色』」


「……はいはい」


こいつはもう、他のことなんて考えていない。その強く鋭い眼は、目の前の空間に、自分がこれから描くものだけを見る。蘇芳の姿を見ていると、必要なものを選び取る強さは、その他のものに惑わされない強さと同義なんだと思う。おれがそんな風に思いながら見ていることも、こいつにはきっとどうでもいいことなんだろうけど。


『明誉の、名のもとに命ず』


唱えると、雨に濡れた露草の花が揺れた。こんなに小さな花なのに、その色は凛として、背筋を伸ばして、現れない青空をひたむきに待っている。


『汝の魂の色、涙に染まらぬ尊厳、蒼天を貫く群青を現せ!』


小さな花弁からにじみ出た深い深い青が、待ちかねていたように蘇芳の持つ筆の穂先に吸い込まれる。蘇芳は雲に覆われた空を見上げ、それからゆったりと筆を持つ手を動かした。波間に揺られるような柔らかな動きで、滑らかな曲線を次々に繋いでいく。すぐに、美しい青色の、輝く鱗を身に纏った大きな魚影が二匹、蘇芳の前に姿を現した。

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