第31話 ボイトレ

 お昼ご飯を食べ終えて、二日目も後半戦に入る。午前中は特に何か事件があった訳でも無く、平和にダンスレッスンを行っていた。

 そして午後からは午前中のダンスレッスンに加えボイストレーニングも始まる。このトレーニングには少し自信がある。

 何を隠そう、春風さんに言われた通り、カラオケに通って歌の練習をしたのだ。なんかあの男の言いなりになっているのは少しムカつくけれど。彼が実力者なことに間違いはない。

 実際、最初は地声で歌うと六十点にも満たなかったのだ。そこから必死に練習をして九十点台を数曲取るレベルまでは上達した。ちなみに魔が差して一度黒川さんの声帯模写しながらForceの曲を歌ったのだけど、その時は九十八点が出た。


「じゃあ早速だけど山月さん。歌ってみようか」

「はい!」


 ボイストレーニングの先生はダンスレッスンに変わって船橋さんが担当する。なんだろう……昨日からずっと名前が千葉の地名なんだよね。もういちいちツッコまないけどさ。

 当然歌う曲は『昨日とは違う明日』。昨日から何度も聞いているから自信もある。


「――はい。ありがとうございました」


 一番を歌い終える。上手く歌えた気がする。終わったあとは拍手喝采……というのを想像していたけれど……


 ……あれれ。

 船橋さんの表情は想像以上に固い。それに、杏紗も幸音も……あれ?


「はい。では総評ですね。音程……は良かったです。ですが……心に響きません」


 ……こ、ころ?


「音程を無理に合わせようとして感情が伝わってきません。パッションが欲しいです」


 なる、ほど。感情……パッション。確かに音程を合わせることに必死でそういったことは意識できてなかったかもしれない。


「では、続いて宮凪さん」

「は、はい」


 幸音は自信なさげな表情で歌いはじめる。

 ――綺麗。

 表情はやっぱり自信なさげだったけれど、歌声は上流のように澄んでいて艶やかだった。


「はい。ありがとうございました。上手です」


 船橋さんも満足そうにメモを走らせる。


「だけど、自信なさげな表情だけは気になる、かな。せっかくいい声なのに声がか弱く聞こえちゃう。上手いんだから自信をもって」

「は、はい!」

「じゃあ次は……田村さん」


 そしてやっぱり杏紗は自信気な表情でマイクを持つ。


「よろしくお願いしまっす!」


 力強い歌声。だけど決して適当に歌ってる訳じゃなくて、一つ一つの音が芯を持った、真っ直ぐな歌声だった。


「表現豊かで良いですね。だけどずっと力強いとサビの盛り上がりにかけます。強弱をもう少しかけてみてください」


 そして船橋さんは私には気づかないようなところを的確にアドバイスする。さすがプロだ。


「さて、それではボイトレを始めていきましょうか」


 こうして私たちのボイストレーニングが始まった……!


 □□□


「――やっぱり、心に響かないね」


 ボイトレは基礎的な発声練習から声の表現力上げまで多岐にわたった。たった数時間とはいえ目に見えて……いや耳に聞いて上手くなった二人に対して、私は少し伸び悩んでいた。


「何がダメなんでしょうか……」


 自分では気持ちよく歌えているのでアドバイスをされてもそれを自分の課題点だとは実感出来ずにいた。


「うん。じゃあ一回録ってみようか」

「録る……?」

「うん。そしてリピートして自分で聞いてみるの。そしたらだいぶ違うよ」


 言われた通り、スマホで録音をしながら一通り歌ってみる。


「え……なにこれ」


 そして再生してみてびっくりした。自分が思っている以上に機械的な歌声だったのだ。


「これがみんなに聞こえてる声ってわけ。どう?自分で聞いてみて」

「ひど……いです」

「うん。そうだよね。どうやったら改善するか。それは自分で考えてみて。明日、いいものになっているのを期待してます。じゃあ今日のボイトレはここまで。ありがとうございました」


「「「ありがとうございました」」」


 音程を合わせるのに必死で歌っている自分を全くイメージ出来ていなかった。それこそ頭の中で黒川さんや優花ちゃんをイメージすれば簡単なんだろうけど、歌に限っては声帯模写じゃなくて自分の持っている声で歌わなくちゃダメだ。


「うーん、難し」


 休憩中ではあったけどなかなか上手くならない歌に頭を悩ませていた。


「苦戦してんねぇ」


 頭を抱えてた私に先程まで席を外していた杏紗がそっとお茶を差し出す。


「なんか、でも安心した」

「安心?」

「柚乃ってなんでも出来ちゃう感じだったから。こう、苦戦しているところを見るとやっぱり同じ人間だったよかったーって」

「え〜なにそれ」

「ということで私からアドバイス。柚乃、ダンスと違って歌う時誰のこともイメージしてないでしょ」

「え、あ、うん。そうだけど」


 でもそれは……自分の声で歌うためで仕方ないことなんだけど。


「歌上手いメンバーのさ、真似してみればいいじゃん。別に私の真似でもいいよ!」

「でも真似をしたら……私の個性が無くなっちゃうって」

「え」


 私の返答が想定外だったのか杏紗は口を開けて驚く。


「いやいや。そんなわけないじゃん。たとえ誰かを真似ても自分の個性は消えないよ」


 ……確かに普通の場合はそうだけど。


 私の場合個性を消して完全にその人になってしまう……あ。


「……ありがと杏紗。何となくわかった気がする!」


 難しく考えすぎてた。もっと簡単な話なんだ。


「へへ、どういたしまして。ほら、歌ってみなよ」


 イメージするのは歌い方だけ。表現の仕方だけ。具体的な声のことは考えない。

 そして肩の力を抜いてからもう一度歌ってみる。


「――よくなったんじゃない?」


 杏紗のアドバイスで何とか形になりそうだった。


「うん、うん!なんか掴めた気がする!」

「へへ、良かった」

「いやほんと、ありがと。このまま沼にハマるところだった」

「どういたしまして。あ、アドバイスしてたら伝え忘れてたんだけど、さっき先生が柚乃のことを呼んでたよ」

「私の事?」



「うん。シトラスを呼んでって」



 ……え?

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