第8話 東京公演②

「えっと……十四ゲートですね、こちらです」


 案内された十四ゲートからは自然光が差し込んでいる。ゲートは上り階段になっているからゲートに入らない限り中は見えない。なんだかこういう階段を見るとワクワクしてしまう。

 階段を上るにつれて球場の内部が段々と出現してくる。


「うわ、すご」


 そこには野球場の姿を少し残したまま、Forceのイメージにあったオシャレでかっこいいステージが作られていた。


 すごい……なんか違う世界に来たみたい。


「こちらです」


 シトラスは雪菜に連れられて指定された席にたどり着く。

 メインステージの真正面、そして最前列。メンバーの顔が肉眼でわかるほどの特等席だった。


「ここ、Forceの関係者席なんです。親族やお偉いさんを招待する席ですね」


 親族……その言葉でふと聞いてみる。


「てことは黒川さんの親とかも来るんですかね」

「……いや来ないですね、忙しいらしいですから」


 一瞬だけ空気が凍ったのを肌で感じとった。

 黒川彩乃は黒川崇の娘だ、という情報は当然公にはされていない。だから試しにカマをかけてみたのだけど、どうやら雪菜さんは黒川崇のことを知っていそうだ。だからといってこれ以上深追いするわけにはいかない。


「本来ならここまで丁寧にご案内しないんですけど黒川さんから直接お願いされましたので。これも渡しておきますね」


 雪菜さんは話を逸らしながら手際よく右手に抱えていたバッグからいくつかのものを取り出す。


「……これは?」

「ペンライトとタオル、そしてスケッチブックです。ゆずさんはライブ来るのが初めてと聞いたので。必需品です」


「ペンライトとタオルと……スケッチブックですか?」


 貰ったタオルには大きく『黒川彩乃』と書かれていた。


「はい、これは推しタオルです。是非ライブ中に掲げたり、曲に合わせて回したりしてくださいね。とても盛り上がるので。あ、掲げる際は胸の高さでお願いします、頭の上にタオルあげちゃうと後ろの方に迷惑なので」


 少し聞きなれない言葉が聞こえてきた。


「あの……推しってなんですか」

「あ!すいません。そうですね……明確な定義はないんですけど簡単に説明すると『好き』という言葉じゃ表せないほど『好き』になってしまった、応援したい人に対して使う言葉ですね」


『好き』という言葉じゃ表せないほど『好き』?

 何を言っているのか、話に全くついていけない。


「ふふふ、今は分からなくても大丈夫ですよ。推しは理屈じゃなくて感情で見つかるものなので。きっとゆずさんにも『あぁ……推しだ』と、推しが見つかる瞬間が来るはずですよ」


 難しい。難しいことは言っていない気がするけど話の次元が違いすぎる。


「ちなみに可愛いの上『尊い』や、さらにその上『てぇてぇ』という言葉もありますよ」

「あ、あのこのスケッチブックは何に使うのですか?」


 もう話についていける気がしないので元の話に引き戻すことにした。


「はい、ここに『指ハートして!』とか『投げキッスしてー!』とかかいてレスを貰うようですね。是非有効に活用してください」


 なるほど?

 うん。スケッチブックを使うことはないんだろうな、と思いつつも作り笑顔でそれを受け取る。


「では、私は予定が詰まっているのでこの辺で失礼しますね」

「あ、すいません最後に!」

「はい、なんでしょう」

「黒川さんがセンター、もしくは一番目立つ曲ってなんでしょうか」

「本当はセトリ言っちゃダメなんですが……センターの曲は何曲かありますがその中でもやっぱり『ラストライフ』ですかね。ラスサビのソロパートは鳥肌モノですよ」

「なるほど、ありがとうございます」

「いえいえ!曲のコールとかペンライトの振りとかは知らなくても意外と何とかなるもんなので!……あ、でもまだライブまで時間があるので調べたらもっと楽しくなるかもしれないです!是非楽しんでくださいね!」


 楽しむ……ね。ライブがどういうものかは分からないけど、果たして私は楽しめるのだろうか。


「絶対、楽しませますので」


 言いきった雪菜さんは自信に満ち溢れた目をしていた。


『絶対後悔させない』


 その目を見て思わずフラッシュバックしてしまう。今の雪菜さんの雰囲気はあの時の黒川と似ている気がした。


「それに、せっかくのお祭りなんですから楽しまなきゃ損ですし!」

「……ふふ。ですね」


 私の返事に満足したのか、雪菜さんは手を振りながら去っていった。マネージャーだもんね、忙しい中ありがとう、と心の中で感謝する。

 まだライブには十分と言っていいほど時間があった。だから少しだけ頭の中で今の状況を整理する。


 ……今私は殺すべきターゲットのライブに行っている。

 先日の『霧雨』の件から黒川の守りはさらに固くなっていた。だから『ナット』も攻めあぐねている、と思っていたけどそもそも攻める気がないんだと思う。

 ライブ中ならいやでも隙が出来るし、ナットについて調べると『派手な殺し方』ばかりだった。これが霧雨の言う好きな殺し方、と言うやつならば……狙われるのは恐らく黒川がセンターのラストライフが終わった瞬間、のはずだ。

 事前にひと通りMVは見たんだけど、その中でもラストライフはとても激しい踊りだったので踊ってる最中に狙うのはなかなか困難だろう。

 だからこそ曲が終わった瞬間、黒川が決めポーズをする瞬間に狙ってくる。


 勿論私はそれを止めるつもりは無い。私と黒川の約束はが手を出さない、ということだけだからね。

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