第5話 ゆず
椅子と全身にくっついたトリモチを引き剥がしてから二人は向かい合って普通の椅子に座る。
「それでお願いってなんですか?」
「その前に、助けてくれてありがと!」
「いや、黒川さんを助けるためにやった事では無いから」
「ほら、私からのお礼はいつも撫でて上げてたでしょ?ほら、顔を近づけて」
……そんなことしてたのこのマネージャー。
真面目な顔して意外な一面があるものだ。こういった情報は変装するための資料からは読み取れない。
殺意は一切感じなかった上、謎の包容力に逆らえずそれに従って頭を預ける。
……あれ。
私を撫でている黒川には明らかにおかしい点があった。
「……あの、普通頭を撫でるもんじゃ」
何故か黒川は頭ではなく頬をすりすりと撫でていた。
なんかこそばゆいんですけど!
「いつもはここ撫でてたじゃん」
「そ、そうでしたね」
……どんな趣味してんの。
「おりゃ」
「え」
ビリッと頬を思い切りつねられる。するとその力でマネージャーに変装していた特殊メイクがウィッグごと剥がされてしまった。
素顔が黒川の前で晒されてしまう。
……あまりにも不覚すぎた。
何をやっているんだ私は。明らかにいつもの調子ではない。
「やっぱり、今日最初から違和感あったんだよね〜、いつもの雪菜さんな感じしないっていうか」
「さ、最初から気づいてたんですか?」
「ううん、体調悪いのかなぁってくらいだったから。でもあの動きを見て確信した」
ターゲットに素顔を暴かれるのは初めての経験だった。気が緩んでしまっていた、というのもあるけど、何故か黒川の前では自分のペースになれない。
「でも、可愛いじゃん!中身がおじさんとかだったらどうしようかな、とは思ってたけどまさかこんなに若い子だったんだ。今何歳?」
殺し屋を前にしているというのに先程とは違い、焦っている様子は全くない。
「十七歳です。多分」
全く答える義理はないのだけどなぜか答えてしまった。ほんっとに黒川の前では調子が掴めない。
ちなみに年齢はボスからそう伝えられていたってだけで本当の年齢とは限らないけどね。
もっとも確かめるすべはどこにもないんだけど。
「私、殺し屋に狙われるのは別に初めてって訳じゃないんだよね」
「え?」
「私を殺せ、って依頼だよね?」
「……はい。助けてくれって言うのは聞きません。いつでも殺せます。別に今でも」
正直私はもう心の中では彼女を殺したくないと思ってしまっている。しかしそれだけだ。感情を責務で抑え込んで殺しを行うことなんて今まで何度もやってきた。
「殺されるのはいいよ。でもさ、二週間だけ待って欲しいの。具体的には八月いっぱいまで」
八月いっぱい。丁度殺しの依頼の締切日だ。
「ライブがあってね。それを、……名前なんて言うの?名前なんかない?コードネーム?」
偽名ならいくつも持っていたが、物心ついた時からシトラス、というコードネームを与えられた私に名前なんてものはなかった。実親も知らないため、本当の名前を知る由もない。
「言えません」
「えーじゃあ偽名でもいいから!呼び名に困る!」
偽名……シトラスって確か日本語に直すと柚子って意味だったっけ。
「……ゆず」
「え、可愛い!ゆずちゃん!」
一度も呼ばれたことの無い偽名だったが、何故か『ゆずちゃん』という呼び名がしっくりと来た。
「ごめんごめん話が逸れちゃったね。一週間後のライブ、それまで待って欲しいの。それが終わったらゆずちゃんに殺されにいくからさ」
「それを聞く必要は?」
「特別にチケットもあげるから見に来てよ。倍率すごいんだからね。プレミアムだよ。しかも神席だよ」
全然理由になってない。
「だからそれを聞く必要は???」
「絶対後悔させない」
先程までのふわふわした黒川はその一瞬で消失した。
その一瞬に私は圧倒されてしまう。
「わかり……ました」
依頼の締切日には間に合ってるから。そういう判断だった。
元の弛緩した空気に戻り、黒川は太陽のような笑みを浮かべて喜ぶ。
「ほんと!やった!今丁度チケットがあるから渡すね!絶対来てね!」
ニコニコと笑う黒川は胸ポケットからチケットを取り出した。たしか今回のインタビューの企画でライブのサイン入りチケットが一名様に当たる、みたいなのがあったはずだからそのチケットなのかもしれない。こうなっては当然企画倒れだろうしね。
「ただ……それをやり終えたら殺しますからね。約束を破ったら黒川さんだけじゃなくてForceのメンバーの命も危ないと思ってください」
「うん。ライブが終わったらここに来て。絶対行くから」
黒川はメモ帳に場所を記して私に渡す。
殺害予告めいたことを言われたにも関わらず黒川は明るかった。
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