06.両手に花(百合め)


 野良猫の結果を報告すべく戻っていると、生徒会室から笑い声が聞こえてきた。

 この声は泉さんだ。梨香さんと七夕について話している。昼休みに撤去しきれなかった笹が置かれていたからだろう。


 部屋を覗くと、にこやかな泉さんがいた。

 出会った頃は不適な表情ばかりだったけど、友だちになってからは爽やかな笑顔が増えていた。

 梨香さんと打ち解ける彼女の様子に、僕は安堵の息を吐く。

 僕らの前では強がっていたけど、嶋崎の事件に関する噂を耳にして落ち込んでしまったり、ふさぎ込むこともあると軽音部員から聞いている。

 今もそうなのかはわからないが、生徒会室が安息の場として役立っていることは間違いない。もちろんここは遊び場ではないけど、生徒を守る為ならこれぐらいの職権乱用は許してもらえるだろう。



「止めてよ泉さん、パールちゃんが可哀想でしょ!」


 不意に梨香さんが悲鳴をあげた。何事かと目を凝らすと、泉さんがカルルピのパールの玩具を笹に吊るそうとしていた。しかもそれは先日のお菓子の公募で当選した景品で、彼女が梨香さんに譲ることを約束していたものだった。


「てるてる坊主みたいで可愛いと思うけど?」

「泉さん最低! すぐにパールちゃんを解放して!」


 梨香さんは泉さんの首に片腕を回して拘束するや、彼女の手からパールを奪おうとしている。足を絡め、胸が重なるほど身体を密着させるも、梨香さんの手は届かない。


「ほら、あとちょっとで届くわよ、頑張れ頑張れ~~」

「そこまで言うのなら本気を見せてあげるわ!」

「ちょっ! どこ触ってんのよ、いやんっ、やめてっ……!」


 梨香さんがくすぐり攻撃をしかけていた。泉さんの脇やお腹に手を這わせつつ、決して逃がそうとはしない。

 僕はしばらく室内の光景に見惚れていた。

 小悪魔な笑みの梨香さんも、涙を浮かべて笑う泉さんも衝撃的だったし、なにより女子たちが着衣を崩すほどに入り乱れる様子に胸を射抜かれていた。しかも二人とも汗で濡れた夏服という、たいへん素晴らしい絵面である。

 だが、これ以上梨香さんを放っておくことができず、僕は飛び出していた。



「泉さん、梨香さんを虐めないで下さい!」

「根岸までひどいじゃない! どう見たって被害者は私でしょ!」

「なによーっ、最初に意地悪したのは泉さんなのに!」

「梨香さんも許してあげて下さい、本当はもうちょっと見たいんですけど……」


 僕は二人を引き剥がし、泉さんからパールを取り戻した。本当はもうちょっと見たいんですけど。あれ? 心の声が先に出てしまっている……。


「遙輝くん、野良猫の件はどうだったの?」

「なんだか汗がすごいけど、なんの仕事をしていたの?」


 梨香さんがハンカチで僕の額を拭き、泉さんが鞄からお茶を出してくれる。ありがたいことだが、その前に二人に服装を正すようにお願いした。シャツのボタンが外れていたり、スカートがずり下がっているので危うく見えてしまうところだった。

 僕は笹を鑑賞するふりをして、二人に背を向けた。

 背後では彼女たちがシャツやスカートを着直している。


「泉さんが暴れるから肩紐が取れちゃったじゃない」

「そっちこそスカートに触れるなんてとんだ変態ね」

「そ、それは偶然当たっちゃっただけだもん!」

「本当かしら? まさかここで後輩や外人の先輩にも同じ事してたりして? 今日いないのもセクハラが嫌で逃げられちゃったからじゃないの?」

「鈴音ちゃんたちも副会長も他の部屋でオープンキャンパスの準備をしているの! 私、エッチな悪戯なんてしないもん!」


 二人とも着替えぐらい静かにできないんですか?

 卑猥な考えはしたくないが、あんな出来事の直後となると妄想が制御不能になる。

 しかも、いつにも増して室内に充満する女子特有の匂いが僕の理性をかき乱していた。おそらく二人が激しく揉み合っていたからだろう。視覚と聴覚、嗅覚まで刺激するなんてとんでもない拷問だ。


「どうしたの遙輝くん、恐い顔で笹を睨んでいるけど?」

「アンタ、彦星に恨みでもあるの?」


 なんだい。二人が青少年の心を弄んだのが原因じゃないか。

 僕は深く息を吸って反論をのみ込むと、モンプチとボクシング部の件だけを伝えた。



「ボクシング部って、遥輝くん平気だったの?」

「まさか殴られたの? どこか痛いの?」


 二人が寄り添い身体をまさぐってくる。気遣ってくれるのが嬉しく、恋人と友だちの女子に囲まれて僕は夢見心地になってしまう。さっき濃いめの殿方に囲まれたばかりだったから尚更だった。


「安心して下さい。少しヒャッハーな雰囲気もあって、ヒャッハーな先輩もいましたし、そのヒャッハー先輩からヒャッハーな絡まれかたもしましたけど、根はいい人だと思います」

「え? ヒャッハーってどういう意味?」

「もしかして頭でも殴られたの?」


 説明に時間はかかったけれど、二人ともわかってくれたようだ。


「週末にも餌やりをするのね。それなら私も一緒に行くわ」


 梨香さんも餌やりを志願してきたが、モンプチと接触すればヒャッハー先輩に出会うことになる。女子に乱暴なことはしないと思うが、どうしても不安はぬぐえない。


「どうして困った顔をするの? 一緒に生徒会役員の仕事をしようするだけでしょ?」

「すみません。僕は部室に顔を出さなくてはならないので、同行すれば梨香さんたちを巻き込むことになるんです」


 いくらスポーツとはいえ、殴り合いの競技を恋人に見せたくない。スパーリングの時、僕は見事なカウンターフックに目を奪われたけど、きっと彼女たちならダウンする選手の姿に悲鳴を上げていただろうし。


「ボクシングぐらいへっちゃらよ。お姉ちゃんのジム通いに付き添ったことがあるもん」

「それとこれとは競技のレベルが違うと思うんですが……」

「男女差別なんてひどいわ、マイナ七十点!」

「えっ、また減点ですか?」


 ぶーぶーっと怒り顔で迫る梨香さん。彼女が意思を曲げることはなく、結局一緒に餌やりに向かうことになってしまう。

 どうしよう。彼女を守る為に防具でも持ち込むべきだろうか。

 いや、絡まれそうになったら、図書館のときのように僕が囮になって全力で逃げてもらうしかないか。他の運動部もいるだろうし、梨香さんが助けて求めれば匿ってもらえるだろう。


「『根岸がボコボコにされませように』と……」


 気付くと泉さんが僕の無事を祈る短冊を吊るしていた。


「そういえばアンタたちの短冊がないけど、何を願ったの?」

「「えっ?」」


 僕と梨香さんの声がハモり、顔を見合わせて赤面してしまう。

 梨香さんは夏休みの思い出を、僕は花火大会が晴れるようにという、どちらも恋人としての仲を深めることを書いていた。


「あら。さぞ楽しいことを願ったみたいね」

「泉さん?」


 彼女が声を落としたので首を傾げるも、なんでもないと言いたげに顔を反らされてしまう。

 そういえばあの事件の直後、コスプレ衣装を返したときも同じような表情をしていた。どちらにも共通点はないのだが、なにか嫌なことでもあるのだろうか?


「へぇ。図書館にも七夕が飾られていたんだ。一緒に試験勉強なんてアンタたちらしいわね」


 僕は少し引っかかりを覚えたけど、既に泉さんは顔をほころばせている。やはり、たんなる気のせいだったのだろうか。


「泉さんもあの図書館に行ったことあるの?」

「うん。練習で多目的ホールを使えるか見に行ったことがあるの」


 二人が図書館のことを語り合うなか、僕はそこで出会った少女のことを思い出していた。

 大学生たちに絡まれ、梨香さんの機転のおかげで救えた白髪の女子。彼女の忘れ物は後日館内に預けたが、はたして無事に戻っているだろうか。

 いや。見るからに図書館という静かな空気の似合う、小動物のようなあの子のことだ。あの日のことがトラウマになって家を出られなくなっているかもしれない。


「そういえば遥輝くん、言い忘れていたことがあるんだけど……」


 梨香さんに袖を引っ張られたとき、ノックの音が響く。

 振り返ると小さな人影が見えた。立花姉妹よりも少し背は高いが、肩幅は狭く、磨りガラス越しにでもわかるぐらいに挙動不審というか、おどおどと震えていた。



「君は――?」


 ゆっくりと扉を開けたのは図書館で出会った少女、瀬戸旭さんだった。


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