05.両手に殿方(濃いめ)


 放課後になった。

 校内は久々の部活に張り切る生徒や、試験明けの週末にむけて嬉しそうに下校するグループなど様々だ。

 僕はというと、校庭の隅を震えながら歩いていた。

 グラウンドにいる運動部員がちらちらと見てくるが、こんな状況では無理もないだろう。


「おい新入部員、ボサッとしてないでさっさと歩けっ!」

「す、すみません! でも僕、入部するつもりはないですけど……」

「あぁっ? てめぇ、部長の誘いを断るつもりか!」


 凶悪な顔が迫り、思わず仰け反ってしまう。

 目の前にいるのはボクシング部の三年生。髪型こそ健全なスポーツ刈りだが眼光が鋭く、大きな口から伸びた舌が常に宙をうねっている。なんだか『ヒャッホー!』とか言いながら襲ってくる漫画の悪役みたいな人だった。


「やめろ、コイツをいじめると予算を減るぞ」と、声をかけたのは同じくボクシング部の部長さん。こちらも強面な顔だが、穏やかな人だった。


 この人たちが野良猫の出没ポイントまで案内してくれているのだが、運動部の、それもボクシングの先輩なんて今まで接点がなかったから僕は緊張していた。


「なんか野球部の連中が睨んでくるが、てめぇ恨みでも買ってんのか?」

「いえ、それはないと思います」


 きっと心配してくれているのだろう。実際、恐喝現場のような光景に見えるだろうし。



 話は一時間前に遡る。

 僕は聞き込みをつづけ、餌付けをしている人たちがボクシング部であることを特定し、部室を訪ねたのだ。

 正直、恐かった。

 ボクシングって荒っぽいイメージがあるし、しかも所属している人は三年生ばかりだという。もし機嫌を損ねたら殴られるんじゃないだろうか。

 それでも引き受けたからには僕が対処しなくてはならない。

 梨香さんたちに迷惑をかけない為にも、僕は意を決して部室の扉を開いた。



「失礼しみゃす」


 不覚にも噛んでしまったけど、幸いなことにスパーリングの音が僕の声をかき消してくれた。

 中央に設置されたリング上で二人の選手が戦っており、セコンドにいる人たちが檄を飛ばしている。なんだか話しかけてはいけない空気だったので、僕はしばらく試合を見守った。

 試合は膠着しているように思えたけど、不意に空気を裂くような音がなり、その直後に青コーナー側の選手が膝を屈した。僕には見えなかったけど、相手のカウンターが入ったらしい。


「そこのお前、入部希望者か?」


 練習が終わり、セコンドにいた人が声をかけてきた。でも返事ができなかった。目にも止まらぬパンチと、それから生じる胸を衝くような衝撃音に僕は度肝を抜かれていたからだ。


「今のすごいな、全然見えなかった……」

「お~~い、そこのお前。聞こえてんのか?」

「しかもスリムな人ばかりだ。てっきりボクサーって筋肉モリモリなのかと思っていたのに」

「こら、俺を無視するつもりか?」

「なんだか練習風景を見ていると鍛えたくなってくるな」

「てめぇ、返事しろやこらぁ!」

「うわ、すみません! 野良猫の件で連絡があってうかがいました!」


 つい見とれていると、一人の先輩が長い舌を出しながら僕の胸ぐらを掴んできた。


「野良猫だと? まさかモンプチのことか?」

「え? モンプチ?」


 こんな反応をするということは、餌付けしているのはこの人かもしれない。

 まさかそんな可愛らしい名前をつけているとは予想外だが、それと同時に不安にもなった。野良猫を捕獲する際、愛着をもっている人から反発されることが多いからだ。


「なんだと、モンプチを奪おうっていうのか! 理事長がなんと言おうと、休憩中の天使を渡すつもりはねぇぞ!」


 案の定、反対された。

 こちらの悪人顔の先輩は猫との触れ合いを楽しんでいるらしく、居場所についても絶対に教えないという。

 弱ったな。場所の特定を自力で行うにしても、身近に反対する人がいては後々トラブルになるぞ。


「どうしてもって言うならこの俺にパンチ一発でも当ててみな? それができたら協力してやるぜ?」

「な、なんでそうなるんですか?」

「どうした、まさかビビってんのかぁ?」


 周囲にいた先輩たちもはやし立てるように声を上げている。どうしてそんな乱暴な展開に持ち込もうとするんだろう。先輩は「ヒャッホー」と奇声を上げて、僕を挑発するようにシャドーボクシングを始めた。

 素人の攻撃がボクサーに当たるわけがない。異世界転生ものなら悪役の鼻をへし折る決闘シーンがあるけど、平凡な僕には前世から引き継いだ記憶もスキルもないのに。

 そもそも僕は、暴力で物事を解決するなんて嫌だった。

 今までは自分だけで被害が済むのなら安いものだと思っていたけど、そんな独りよがりな解決策をとれば恋人を傷つけてしまうと嶋崎の一件で思い知ったからだ。


「すみません、人を殴るなんて僕には無理です」

「はっ、情けねぇな。さっさと帰れ」と、ヒャッハーな先輩が立ち去ろうとしたとき、あるものが目に止まった。


「あの、それは何ですか?」

「見ればわかるだろう、モンプチのご飯だよ」

「そんなものを食べさせたらダメですよ!」


 スーパー袋に入れられたツナ缶やソーセージを見て、僕は思わず掴みかかっていた。


「こんなものとは生意気な、お中元用にも選ばれる高級品だぞ!」

「高級だろうとダメなものはダメです! 人間の食物を与えたら病死するんですよ!」

「ええっ! モンプチが死んじゃうって、どういうことだ?」


 高圧的な態度が一転、先輩が蒼白な顔で僕にすがりついてきた。その様子に先程まで嘲笑していた部員たちの目付きも変わっている。


「人間の食品を食べさせると塩分過多によって腎臓病を引き起こすんです」

 

 僕は事前にコンビニで調達しておいた猫缶をポケットから取り出す。見た目が似ていても、ペットフードは動物の消化器官に合せて成分が調整されているのだ。



「可愛がる気持ちはわかりますが、本当にモンプチが大切なら正しい知識をもつ人たちに保護してもらうべきです。食事の問題が解決したとしても、車にひかれたり、縄張り争いで致命傷を負う危険があります」

「だけど……!」

「ソイツの言うとおりだ。猫の居場所まで案内してやれ」


 食い下がるヒャッハー先輩が、リングからの声にびくりと背筋を伸ばした。

 見上げるとスパーリングで勝利した部員がヘッドギアを外している。物腰は柔らかいけど、この人が喋ると他の部員が一斉に口を閉ざし、室内の空気が張り始めた。


「お前は生徒会役員の新人だろう」と、笑みを浮かべながらリングから下りてきた。


「俺たちにビビらないなんて見所があるな。よかったらうちに入部しないか?」

「いえ、ガクブルですけど……。それに僕、運動はからっきしなので」

「なんだとこらぁ? 部長の誘いを断るつもりかぁ?」

「やめろ。俺の話を脱線させんな」


 部長さんのお叱りに、ヒャッハー先輩は「ういっす」と、小さな声で頷いた。

 なんだかすごい貫禄だ。背丈は僕と同じぐらいで、体格も他の部員と大差ないのに強者のオーラが滲み出ている。

 しかもグローブやバンテージを外すと、すかさず綺麗なマネージャーさん――それもラウンドガールのような衣装の――が手伝いに来る。なんだか夫婦の着替えを見せつけられているようだ。というか、普通の練習中になんでそんな服装なんですか?



「お前とはゆっくり話しがしたいな。野良猫の駆除に行くまでにいろいろと教えてくれ」

「えっ? 部長も着いて来るんですかい?」

「お前と歩いていたらボクシング部がイジメをしていると誤解されるからな」


 いや、お二人に両脇を囲まれているほうが異様な光景になりますが? というか、イジメを通り超して拉致現場に思われますよ?



 こうして僕は屈強な殿方と、野良猫の場所を目指すことになった。

 右にはヒャッハー先輩が、左には部長さんがいる。両手に花ならず、両手にファイターといったところか。AI絵師にそんなキーワードを入力したら、きっとこんな需要のない、むさくるしい絵面になるんだろうな。


「おっ、モンプチがいたぞ!」


 校舎の末端に到着すると、痩せた黒猫が草むらから出てきた。が、僕と顔を合わせるなり一目散に別方向へ走り去ってしまった。


「どうしたんだモンプチ? まさか俺のことが嫌いになったのか?」


 涙声になるヒャッハー先輩だが、きっと原因は僕だ。猫は初対面の相手をとくに警戒するもの。野良猫なら尚更だ。幸いモンプチが逃げたのは校舎と部室棟の間に挟まれた通路。ここは袋小路なので追えるだろう。


「靴を交換してもらえないでしょうか?」


 僕はヒャッハー先輩と靴を交換しようとした。もちろん断られたけど、部長さんが指示してくれたことで履き替えることができた。


「先輩の靴って大きいですね」

「お前が小さすぎるんだろうが。っていうか、こんなことしてなんの意味がある?」

「猫は足音でも人間を判断します。餌をくれる人と似た足音なら警戒を解くはずです」


 僕を先頭にして三人で袋小路へと進む。建物に挟まれたこの空間は非常に狭く、一列で進む必要があった。



 やがて、陽光の差し込まない奥の暗闇からモンプチが出てきた。

 靴を交換した効果からか尻尾を立てている。これは警戒を解いた証拠だ。ここで一気に距離を詰めたいところだが、僕は身を屈めた状態でゆっくりと接近し、先輩たちにも同様の姿勢をとるようお願いした。

 ある程度の間合いを保ったまま、僕は猫缶を物差しで差し出した。「モンプチ、ご飯だよ」と、できるだけ高い声で呼びかける。身体を小さく見せるのも、声を高くするのも猫を安心させる基本技だ。

 うまうまと声を立てて缶にありつくモンプチ。お腹が空いているのか、食べる勢いが凄まじい。二重にした軍手で首の裏を撫でようと試みたけど「シャー!」と、威嚇されてしまった。さすがは野良猫。一朝一夕で仲良くなれるわけではない。でも、手応えはあった。


「ごめんね。また来るからね」


 僕はゴミを回収すると、ゆっくりと後退したのだった。


「お前、猫の扱いが得意だな。まかさ飼っているのか?」

「いえ。ただ好きなだけで、里親さんのブログとかを読んでいたら覚えていたんです。あと、モンプチが人慣れしているのもあると思います。おそらくあの子は、人間に飼われていたんだと思います」


 最初から野良猫だったにしては毛並みが綺麗だったし、人に慣れるのも早い気がする。捨て猫かもしれないし、ひょっとしたら多頭崩壊の家から逃走した個体かもしれない。

 ヒャッハー先輩曰く、モンプチは朝練の時間にも必ず校庭に出没するらしい。

 モンプチと信頼関係を築くべく、僕は明日、明後日も餌付けすることにした。



「俺たちは土日も朝練しているから餌付けのついでに顔を出せよ? 鍛えてやるぜ」

「あはは……、僕はそういうのは無理というか、ステータス的にも不適正というか……」

「あぁ? もし来なかったら生徒会室に殴り込みに行くぞこらぁ!」

「行きます、ぜひ行きます! どうぞ鍛えて前衛職に転職させて下さい!」


 嫌な予感しかしないけど、こんな人を生徒会室に来させるわけにはいかなかった。

 でも、敵視はされていないようだ。

 モンプチのことも詳しく教えてくれたし、根はいい人たちだろう。

 僕は二人にお礼を言うと、ボクシング部を辞去するのだった。


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