24.エピローグ1


 とある日曜の朝。

 僕らは校庭で草むしりをしていた。照りつける太陽の下、地面からもむっとした熱気が立ち込めるなかひたすら雑草を抜いている。まだ指定された範囲の半分も終わってないのに体操服は汗で汚れ、ずっと屈んでいるせいか足も痺れてきた。


「なんで俺がこんなことを」と、僕の隣で桑原がぼやく。彼も一緒に草むしりに汗を流していたのだ。

「泉さんを脅したんだから当然だろう。むしろ嶋崎に協力してたことを伏せてもらえたんだから感謝しなくちゃいけないんだぞ?」

「なんを偉そうに。女装したことを学校中に言いふらすぞ?」

「え、本当? 女装のことを広めてくれるの?」

「な、なんで目をキラキラさせてんだよ?」


 僕は思わず桑原に詰め寄っていた。



 嶋崎の事件から二週間が経った。

 生徒たちの間では被害者は誰なのかと噂になっており、軽音部員であることに感づいている人も多い。

 また、僕の浮気疑惑が原因で梨香さんが不安定だった時期に、その原因が嶋崎からの猥褻だったのではないかという憶測も一部の男子で広まっていた。後者についてはなんの根拠もないが、そうした噂が広まれば彼女にも被害が及ぶかもしれない。

 こんなときに桑原が新たな情報を拡散してくれれば、彼女たちから注目をそらせられるだろう。それはそれで恥ずかしいけれど、二人を守れるのなら安いものだし。


「気持ち悪いやつだな。そんなことしねぇよ。お前なんかと関わりたくもないんだし」


 なんだい。さんざん期待させておいてやってくれないのかよ。僕はため息まじりに汗を拭う。

 草むしりに参加しているのは泉さんを中心とした軽音部のメンバーだ。

 嶋崎の件が自分にも非があるということで、泉さんが自主的に奉仕活動をし始め、それを聞き付けた部員たちも加わったのだ。不平を言うのは桑原だけで、他の部員は真剣に、ときには談笑をまじえつつ作業に励んでいる。そして、その中には梨香さんの姿もあった。僕は止めようとしたけれど、彼女も奉仕活動に参加すると頑として譲らなかったのだ。


『どうして手伝ったらダメなの? 私にも責任はあるはずでしょ?』

『被害を拡大させた僕はともかく、梨香さんに非はないと思うのですが……』

『あ! またそうやって一人で抱え込もうとする! マイナス十点!』

『え? なんの点数ですか?』 

『言うこときかないとキスしてあげないって約束したでしょ? まさかもう忘れたの?』

『ええっ! まさか点数方式なんですか!』


 どうやら基準点を越えないと今以上の関係に発展できないらしい。なんだか恋愛ゲームみたいなシステムだ。


『それに、泉さんを放っておけないもん! 一人でやらせるなんて可哀想でしょ!』


 必死にうったえる姿に僕は根負けしてしまう。今回ばかりは本当に責任はないと思っていたが、彼女の心は納得できないらしい。

 初めて一緒に帰宅したとき、自分はアニメのヒロインのようにはなれないと言ってたが、友だちを見捨てられずに汗をかく姿はパールとそっくりだった。『勝手にすればと』と、照れ隠しをしていた泉さんはダイヤに似ているし、二人で共同作業をする姿も息の合ったコンビのようだった。


 一時間が経った頃、立花姉妹と副会長が飲み物を持ってきてくれたので、僕らは休憩をとることにした。彼女たち三人はもっと無関係なのだが、僕らが参加すると知って志願してくれたのである。


「どうぞ、泉先輩」と鈴音が泉さんにお茶を差し出し、他の軽音部員にも配っていく。


「私たちも頂いていいの?」

「もちろんです。遠慮なんてしないで下さい」

「その通り。一緒に弾の下を潜った戦友ではありませんか」

「なんだか悪いわね。あんたたちにまで迷惑かけちゃって……」


 飲み物を片手に、僕らは日陰で涼む。遠くのグランドでは野球部が朝練中だった。甲子園の予選にむけて練習しているのだろう。気候だけでなく、校内の景色も新たな季節へ移ろいでいた。

 こういう時は夏休みの予定とかを語り合うものかもしれないけれど、会話は自然と嶋崎のことになっていた。というか、泉さんが示談したということを耳にしており、なぜそんなことをしたのか気になっていたのもある。示談で合意すれば罪は軽くなるし、もしや嶋崎に脅されたのではないかと心配になっていたのだ。


「安心して。これは私たちの意思で決めたのよ」

「本当ですか?」

「初犯だと高確率で不起訴だし、起訴されたとしてもアイツの罪状じゃ禁固刑は厳しいの。それなら減刑を餌に思いっきり苦しめたほうがいいってママと相談して決めたのよ」


 どうやら泉さんたちは禁固刑にこだわっていたらしい。

 教師は逮捕された時点で免許を剥奪されるが、数年経てば再取得が可能だ。免許取得の欠落事由に該当するのは、禁固以上の刑に服したかどうかだ。今回の件でそれは不可能と判断した泉さん母子は嶋崎への負担を重くすることで処罰しようと考えたというのだ。

 さすが法律に詳しい泉さんだ。

 僕だって前科がつかないことを理由にされたら、どんな要求ものんでしまうだろう。


「でも、嶋崎先生は教員免許を再取得できるってことでしょう? あんなことしたのに復帰できるなんておかしいわ」

「私もそう思うわ。あんなやつがまた教壇に立てるなんて反吐がでそうよ。まともなのは上っ面だけで、本性は醜いっていうのに……」


 ぐいっとお茶を飲み干す泉さん。


「でも仕方ないわ。私情で処罰していたら、世の中は無法地帯になっちゃうし」

「そうかもしれないけど……」

「そうかもじゃなくて、そうなのよ」

「泉さん……」


 もしかするとお父さんのことを思い出しているのかもしれない。理想のパパに裏切られた心の傷は深かったけれど、裁判や離婚調停が泉さんたちの感情だけを重視して行われていたとは考えにくい。必ずしも被害者の願った処罰が下らないことを、彼女はそのときに学んだに違いない。


「Oh、貴女、法律に詳しいのね?」

「いえ、これぐらい調べたらすぐにわかりますよ」

「よかったら、顧問弁護士として生徒会役員として働かない?」


 副会長の言葉に、皆が一斉に泉さんに刮目する。とくに僕と梨香さんはまたとないチャンスととらえた。

 理事長の指令を梨香さんに打ち明けたところ、彼女を生徒会役員に招くという案が出た。

 役員の肩書きがあれば校内での印象は変わるし、泉さんがカルピリストであることは撮影現場を目撃した副会長たちも知っているので、生徒会室で趣味を語り合うこともできる。どちらも彼女を守る為には好都合なのだ。


「生徒会役員ね。今まで考えたこともなかったわ……」


 少し迷ってはいるものの、泉さんはまんざらでもなさそうな様子だ。


「ここはおしてみるべきね」

「はい。でも、僕らが誘うと不審に思われるかもしれません。僕らが理事長から指令を受けていることに泉さんは感付いてる気がするんです」

「どうしてかしら? ちゃんと見つからないように尾行しているのに……」

「梨香さん尾行していたんですか? もしかしてそれがバレているんじゃないんですか?」

「だって変な人たちに絡まれないか心配だったんだもん」


 ぶーぶーっと、梨香さんが頬を膨らませる。幸いなことに立花姉妹が乗り気だったので、僕らはそれに便乗して彼女を勧誘することにした。


「副会長に賛成で~~す! 軽音部の人がいたら文化祭とかも楽しくできそうだし!」

「ダメよ鈴音ちゃん。泉さんは練習で忙しいんだから。まぁ、私も茶道部と掛け持ちしているから、できないってことはなさそうだけど……」

「私も賛成だ! 泉中佐の力があれば生徒会役員の戦力も上昇するだろう!」

「しかし、それでは軽音部の統率がとれなくなるおそれがあります。まぁ、大規模な作戦時においてのみ協力してもらう非常勤隊員として招くことも可能ではありますが……」


 僕らはさりげなく姉妹を援護する。僕よりも泉さんの階級が上なのが腑に落ちなかったけど。


「そうね。アンタたちと過ごすのも楽しそうだわ」


 泉さんが微笑んだ。

 その反応に期待したものの、全国フェスの練習に集中したいという理由で断れてしまった。昨年よりも上位を目指していることにくわえ、嶋崎の指導がなくてもやっていけることを証明したいのだという。

 また、来年は受験だから今年を逃すと二度と挑戦できなくなるというのもあるらしい。


 僕は梨香さんと視線を合わせる。

 他にやりたいことがあるのなら無理に勧誘すべきじゃないとお互いに頷き、僕らは諦めることにした。正直なところ、指令とは関係なく彼女の入会を期待する自分がいた。人数が増えたほうが楽しいだろうし、泉さんの知識があればなにかと心強いと思っていたのだ。


「でも、アンタたちが困っているときは手をかしてあげるわよ」

「いいんですか?」

「もちろん。生徒会役員のおかげで平和になったんだから。そうよね、皆?」


 泉さんの言葉に他の部員も声を揃えている。彼女たちが協力してくれれば文化祭の運営とか設営も捗るだろう。もちろん贔屓したりはできないが、建学祭のときのように無理難題を押しつけられることもないだろう。


「二人の思惑通りだな」と、副会長に囁かれ、僕らは曖昧に頷いた。


 当初は泉さんを助ける口実だったけど、まさか本当に軽音部と友好的な関係を築けるとは嬉しい誤算だった。

 と、不意に泉さんのスマホからアラームが鳴った。


「ごめん。付き合わせておいて悪いんだけど、テレビを見させてくれない?」


 泉さんがスマホを取り出すと、そこにはカルルピのエンディングシーンが映っている。どうやらアプリでリアルタイムの放送を見ているらしい。


「泉さん、録画し忘れたのなら僕の家で見せられますよ?」

「私が録画し忘れるわけないでしょ、放送終了後の発表を見たいのよ!」

「発表って、なんのことですか?」

「お菓子作りの入選よ、一緒にワッフルを作ったでしょ?」

「あ、そっか。嶋崎の件ですっかり忘れてました……」

「もう、遙輝くんったら大事な記念日を忘れるなんて最低よ! マイナス八十点!」

「ええっ、さすがに引きすぎじゃないですか? っていうか、べつに誕生日とか結婚記念日じゃないんですから……!」

「なに言っているの、こっちはこの発表が待ち遠しくて夜しか眠れなかったんだから!」

「す、すみません! あれ? 夜しか眠れないって、いたって健康じゃないですか?」


 疑問を呟くものの皆はテレビに夢中で無反応である。なんだい、無視しないでくれよと思いつつ、僕も彼女たちの隙間から画面を覗いた。

 エンディングが終わると表彰台を模したステージが映り、そこにダイヤが手を振りながら現れた。どうやらこれから発表されるらしい。


『皆さん、私たちの為にいろんなお菓子を紹介してくれてありがとう! どれも美味しそうなスイーツでしたけど、そのなかでもとくに素敵だったものを紹介させていただきますね?』


 ドラムの音が響くなか、投稿されたお菓子の写真が次々に映っていく。テロップによると応募総数は千件を越えているらしく、そのなかの上位の三つだけがテレビで紹介されるようだ。

 はたしてどんな作品が入選するのだろうか?

 僕らは固唾をのんで発表を待った。

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