22.抑えきれない気持ち
僕たちが趣味を共有できる友だちだと知ったママさんは転校や訴訟のことを撤回する。そのおかげで義母さんが理事長だと名乗っても非難を受けることはなく、逆に娘の校則違反について陳謝されることになった。
お互いに謝罪を終え、僕らは帰宅することになった。軽四には泉さん親子が、義母さんのSUVには梨香さんと僕が乗車する。
「ねぇ。根岸」と、乗車する僕に泉さんが歩み寄ってきた。
「アンタのおかげでこれからも学校に通えるわ。ありがとう」
「お礼を言うのはこっちです。泉さんのおかげで義母さんを守れました」
「気にしなくていいわ。うちのママ、離婚してから被害者ぶるのが癖になったというか、他罰的っていうか、少しサイコパスな性格になったのよ」
さらりとすごいことを言うな。運転席にいるママさんに聞こえていないか心配だ。まぁ、サイコパスって先天性のものだから本当は違うと思うが。
「やり過ぎた場合にはいつも私が止めているの。だからこんなの朝飯前よ」
「なんだがリアクションに困りますけど、でも嬉しいです。泉さん、本当はすごく優しい人なんですね」
「本当はって、今までは私をどんな人間だと思っていたの?」
「……では、また明日学校でお会いしましょう。おやすみなさい」
「スルーするなんていい度胸ね?」
ぐりぐりと僕の爪先を踵で踏みつぶす泉さん。でもその顔はとても楽しそうで、彼女の顔を見ていると僕も自然と笑顔になっていた。
「踏まれて喜ぶなんて本当に変態ね。九条からもそういうことされるの?」
「いや、そんなわけないじゃないですか」
たしかに倉庫でも掌打されたりしたが、それは僕が悪いのであって、彼女はそんな乱暴なことをする人じゃない。
「ふうん。じゃあ、欲求不満なんだ?」
「いや、欲求不満って……!」
べつに僕は痛みで興奮する人間じゃないし、そういう表現は止めてほしい。先に乗車した梨香さんに聞かれたらまた誤解の種になってしまう。
泉さんは僕を嘲うかのように目を細めている。これは出会った頃によく見せられた嫌味な笑顔だ。友だちになれたはずだけど、なんだか今後も彼女の掌で踊らされるような気がしてきた。
「くれぐれも言っておくけど、私は浮気するような男は大嫌いだからね?」
「泉さん……?」
不意に彼女が悪辣な笑みを静めた。
「いくら九条で満足できないからって、他の女子で解消しようだなんて考えないでよ?」
そもそもそういう願望はないのだけど、声を落とす彼女に僕は頷くしかなかった。
さっきまで笑顔だったのに、どうして急にそんな悲しそうになるのだろう。
理由を訊こうとしたけど、彼女は軽四に乗り込んでしまった。「じゃあね」と、助手席の窓から手を振られたが、やはり寂しげな顔をしている。車が走り去る直前、彼女が膝の上に置いた手提げ袋を胸に抱いていたのが、妙に気になってしまった。
やはり洗って返すべきだったかと考えていると、義母さんにクラクションを鳴らされてしまった。マズい。梨香さんまでいるのに待たせてどうする。僕は急いで後部座席に乗り込んだ。
帰り道では義母さんから嶋崎について質問された。
僕らは今回の経緯を説明し、証拠も確保したと打ち明ける。相談もなしに行動したことについては咎められたが、そんな猶予がなかったことは理解してくれているようで厳しくは追及されなかった。
途中、義母さんに電話が入った。
嶋崎のことに関して校長から連絡がきたらしく、ハンズフリーで対応していた。
「ねぇ遙輝くん。さっき泉さんのお母さんに見とれてなかった?」
隣に座っていた梨香さんが、睨むように僕を見上げていた。
見惚れてはいないが、少し羨ましいと僕は思っていた。クセはあるけど、娘のことを考えつつその意見を尊重するなんて素敵な母親じゃないかと。
「もしかして遙輝くん、年上が好きなの?」
「違います、そういう路線には進みませんから……!」
慌てる僕に、梨香さんがくすりと笑う。
「冗談よ。遥輝くんがそんなこと考えてないのはわかってる」
「本当ですか?」
「うん。だってすぐに顔にでるんだもん」
梨香さんが僕に近づき、自分のスマホを見せてきた。なんとそこには女装した僕が写っている。倉庫で嶋崎と言い争っているときの写真だ。もう必要ないのだから消してほしいのだが。
「このときの遙輝くん、すごく格好良かったわ。こういう真剣な顔しているとき、誰かを守ろうとしているんだって気持ちが伝わって、ドキッとさせられちゃうのよね」
「それは嬉しいですけど、どうして変装時の写真なんですか」
「これだけじゃないわ。他にもたくさんあるのよ」
スライドすれば様々なアングルで撮られている。変なコレクション作るの止めて下さい。
「いつまた証拠が必要になるわからないから大切に保管しておかないと」
「意地悪しないで下さいよっ」
データを消そうと手を伸ばすも、梨香さんから抵抗を受けた挙げ句、スマホが足下に落ちてしまった。拾おうとするも車内は暗くてなかなか見つからない。シートベルトを外して座席から下りてようやくスマホを掴んだとき、梨香さんも同じ姿勢でいることに気付いた。
「梨香さん?」
後部座席のフロアマットに屈むなか、彼女はじっと僕のことを見ている。僕からスマホを取り返そうとせず、むしろこうなることを待ち望んでいたかのような表情を浮かべていた。
「からかってゴメン。でも格好良かったのは本当よ」と、梨香さんが僕に身を寄せて囁いた。とても湿っぽい声だったので妙な気分にさせられる。こんな気分、少し前に感じたことがある。自室で梨香さんと二人きりになった時だ。
そしてその時と同じように、彼女は僕に指を絡めて目を閉じたのだった。
ここですべきではないと理解しつつも、副会長の言葉が頭から離れないのだという。嶋崎との対決中には抑えられていたものの、すべてが解決した瞬間にキスをしようとしていたことが頭にちらついてしまうらしい。
「お部屋の時みたいにおおずけにされるのは嫌よ。今日もそんなことされたら私、絶対におかしくなっちゃう」
「梨香さん……」
ここ最近、梨香さんには迷惑ばかりかけていた。キスに関してだけでなく、嘘や隠し事を何度も繰り返している。その罪滅ぼしを少しでもできるのなら、彼女の気持ちに応えたかった。
僕はゆっくりと彼女を抱き寄せる。目の前に義母さんがいるものの、電話に集中しているから気付かれないだろう。それにこんな歪な姿勢なら運転席からも見えないはずだ。
「失礼します」と、彼女と口づけを交わそうとしたが、直前に義母さんから声をかけられてしまう。ルームミラーに姿がないのを不審に思われたらしい。梨香さんがはっと身を硬くし、僕も動きを止めかけたが、衝動を抑えられずに力ずくで彼女を抱き寄せていた。
「は、遙輝くん……?」
「すみません義母さん。梨香さんがスマホを落としたみたいで、一緒に探しているんです。あっ、これじゃないですか?」
言いながらドアに凭れると、梨香さんが覆い被さるように倒れてくる。床に寝てしまえば見られることもないだろう。
気持ちを抑え込んでいたのは梨香さんだけじゃない。
僕だってここまできて誰かに中断させられるのは、もう我慢できなかったのだ。
「こんな体勢でなんてダメよ、いったん止めましょう?」
「ここでしないとまたおあずけになっちゃいますよ? それでもいんですか?」
「そ、それは……!」
恥じらう彼女の姿がいじらしくなり、僕はつい意地悪な口調になってしまう。義母さんは再びかかってきた電話に応対しており背後(ぼくら)の会話には気付いていなかった。
「誘っておきながら逃げるのは卑怯ですよ?」
「もうっ、遙輝くんの意地悪……!」
フロアマットに倒れた僕の眼前には梨香さんの真っ赤な顔があり、その胸元からこぼれ落ちた黒髪が僕の襟をくすぐっている。激しく脈打つ心臓の音が密着した身体から伝わり、お互いの心を確かめ合うように強く握られた掌はぐっしょりと汗で濡れていた。
車がまがった。カーブに差しかかったらしい。遠心力でますます彼女の身体がのしかかってくるも痛みはなく、僕の上半身は羽毛布団に包まれたような柔らかい感触に包まれている。
そっと彼女の頭に手を添えると潤んだ瞳が閉ざされた。
透過光の差し込まない車内の片隅で、僕らの影が重なろうとする。彼女の匂いと、吐息の後に、今まで感じたことのないような感触が唇に触れかける。
そして――
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