21.責任の追求



 着替えを終えて職員室へ戻ると、先生から泉さんと僕の保護者がもうじき到着すると教えられた。


「あれ? 梨香さんのご両親はまだなんですか?」

「うん。うちのお父さん仕事を抜け出せなくて時間がかかるみたいなの」


 僕と家の方向が同じだから送ろうかと思ったけど、理事長(かあさん)と一緒だと気を遣わせるかもしれない。どうすべきか悩んでいると、背後から泉さんの膝蹴りがとんできた。


「まさか恋人を放置して帰宅するつもり? 毒親なんて無視して待っててあげなさいよ?」

「毒親って、実の母親はもう亡くなってるんですけど……」

「えっ、そうなの? ごめん……、ってそういうこと早く教えてよ! じゃあ迎えに来ているのはパパなの?」


 僕は慌てて首を振り、義母がいると伝える。複雑な家庭環境ですみません。


「それなら送ってあげたら? アンタだって九条を一人にしたくないでしょう?」

「それはもちろんですが……」


 次第に窓の外は暗くなり、職員室の人気も減っている。

 こんな処に梨香さんを残して帰るのは嫌だが彼女は僕らの車に乗るのは平気だろうか。顔色をうかがうと「遙輝くんのお義母さんがいいなら」と、笑顔で頷いてくれた。

 少し不安だったけど、思い返してみればお家デートの時は普通に挨拶していたし、慣れてくれているのかもしれない。それにいくら理事長とはいえ、こんな事件の後に邪な視線を向けたりはしないだろう。僕は梨香さんにも同乗してもらうことにした。



 昇降口を出ると、バスのロータリーに一台の軽四が停まっていた。


「あ、ママの車だわ」

「えっ、ママ? 泉さんがママ呼ばわりするの?」

「気持ちはわかります梨香さん。僕も最初は耳を疑いました」

「どういう意味よ。私がママって口にしたらダメなわけ?」


 憤然と腕を組む泉さん。と、そこへ運転席からスーツ姿の女性が飛び出してくるなり彼女に抱きついていた。


「ちょっ、止めてよママ、友だちが見てるでしょ!」

「智子ちゃん、ママはとっても心配したのよ! 悪い先生に脅されたって本当なの?」


 涙声で泉さんを撫でるママさん。顔立ちは似ているけど、泉さんよりも目が大きくて、おっとりとした雰囲気のある人だった。


「友だちが守ってくれたから安心して。ほら、彼が私を庇ってくれて、こっちの子は顧問のことでも相談にのってくれた生徒会長よ」

「そうだったのね! 智子ちゃんの為にありがとう、あらためてお礼をさせてもらうわね!」


 ずいっと僕らの眼前にママさんが近づいてくる。仕事帰りだからかお化粧が少し落ちており、外灯に照らされた顔は窶れて見えたけど、泉さんと同じく小顔で端整な顔をしていた。


「あの、訊きにくいことなんだけど二人はこの学校をどう思っている? 安心して過ごせる場所かしら? 私、智子ちゃんを転校させるべきか悩んでいるんだけど……」

「え、転校ですか?」


 僕らは驚いてしまうが、一人娘が教員に猥褻されかけたと知れば親としてそう考えるのは当然だろう。泉さんだけでなく、梨香さんも職員室の電話で母親から学校環境について訊かれていたらしい。


「設備や環境が整っているからこの学校を選んだけど、これから大事な時期を迎えるのにこのままでいいのか不安だわ」

「転校だなんて大袈裟よ。だいたい我が家にそんなお金ないでしょ?」

「それを含めて賠償請求すればいいのよ。私立だから教員委員会は無理だけど、校長や理事会には追及できるわ」


 その言葉に僕ははっとなる。

 理事会というのは、学校の経営や運営方針を決めている組織だ。あくまで教員の管理は学校長が行うのだが、うちの理事会は積極的に教育現場に介入しているので不祥事が起れば管理不届きとして訴えられることに今更気付いたのだ。

 そうなれば代表である理事長(かあさん)の責任を免れない。

 さんざん義母さんの権威に頼っておきながら、まさかこれが悩みの種になるとは迂闊だった。ふらふらと眩暈を起こす僕の隣で梨香さんも表情を引きつらせている。


「もしかして僕、泉さん親子に訴えられるんでしょうか?」

「遙輝くん落ち着いて、そうと決まったわけじゃないから……!」

「でも、以前嶋崎のことを伝えてもスルーされたんです。あの時に義母さんが手を打っていたら今回の事件も防げたはずですし……」

「しっかりして、泉さんを助けたのだって遙輝くんでしょう!」

「なにをこそこそ話しているのよ? っていうか二人とも顔色が悪いけど、どうしたの?」


 慌てて首を振るうも、僕は心臓を鷲掴みにされた気分だった。ママさんの意向一つで今後の生活が左右されると思うと冷静でいられるわけがない。

 間の悪いことに、ちょうど義母さんの車がロータリーに入ってきた。ヘッドライトによって亡霊化した僕らの顔が照らされ、義母さんが運転席で絶叫している。


「遙輝くん、九条さん、二人とも目が生きてないけど大丈夫?」


 義母さんが僕らに駆け寄ってくる。その様子に泉さんが目を丸くしていた。


「まさかあなたたちまで嶋崎に乱暴なことされたの?」

「い、いえ。違うんですお義母さん……」

「えっ、まさか、根岸の母親って――!」


 梨香さんが大きく咳払いし、泉さんの言葉を遮った。彼女はしきりに喉を鳴らしながらアイコンタクトを行い、さらに第一部で披露したテレパシー技を駆使して泉さんにメッセージを送ろうとしていた。


「り、梨香さん? あの時の技ってギャグ補正じゃなくて、公式設定だったんですか?」

「遙輝くん、今は集中しているから話しかけないで……!」


 不安げに見つめていると、なんと泉さんが大きく頷いていた。

 どうやら僕の義母が理事長であることを察してくれたらしい。


「やったわ、成功よ!」と、前髪を払う梨香さん。僕の為に頑張ってくれるのは嬉しいけど、ジャンルの壁を越えるのはひかえてほしい。やり過ぎるとカテゴリーエラーになってしまう。



「この度は誠にすみませんでした。なんとお詫びしたらいいものか……」


 一方、義母さんは深々と頭を下げていたが、ママさんはなぜ僕の保護者にそんなことをされるのか理解できていない様子だった。「失礼ですがどちら様ですか?」と、ママさんが訊ねかけたとき、泉さんが両者の間に割り込んた。


「ねぇママ、理事会に文句を言うのは止めましょう。悪いのは顧問の嶋崎だけなんだし、もし反訴されたらこっちが潰れちゃうわよ?」

「それもそうね。組織が相手だとスラップ訴訟――負担の押しつけを目的とした訴訟――のリスクもあるし」

「そうそう。それに私だって学校で生意気な態度をとっていたの。そういう証拠を集められたら不利になるでしょう?」

「智子ちゃんがそんなことを?」


 ママさんが唖然とする。


「ごめんなさい。ママの前ではいい子ぶっていたけど、学校では校則を無視したり、この二人とも部費のことで喧嘩したことがあるの……」


 泉さんが理事長を見上げ、つづいて梨香さんと僕に顔を向ける。目が合ったのは短い間だったけれど、その瞳には後悔と謝罪の念が込められていた。

 というか、どうして母親の前でそんなことを自白しているのだろう。もしかして僕たちを庇う為だろうか? 自分の生活態度を暴露することで、学校側に全責任を求めようとする母親を止めようとしているのではないだろうか。


「これからは目をつけられないよう真面目に過ごすし、もし転校したらせっかく仲直りできた友だちとも会えなくなるから、だから理事会(がっこう)とは争わないで。ねっ、ママ?」

「でも、素行が悪かったとしてもそれで過失相殺は認められないと思うわ……」


 それでも悩む母親を前に、泉さんはあることを打ち明けた。


「あと、ここでは言いにくいけど、あの二人、私と趣味が同じなの」

「趣味って、まさか例のアニメのこと?」

「そう。だから学校でも家みたいにエンジョイできているの」


 泉さんが口にするや、ママさんが意外そうな顔で僕らへと振り返った。


「本当なの? あなたたちもあの作品を見ているの?」


 早口で詰め寄るママさんに、僕らは後退りながら頷いた。


「はい。私はパールちゃんの景品ほしさにショーに行ったこともあります」

「僕も毎週見てます。それで泉さんのお菓子作りを手伝ったんです」


 最初はまさかという顔だったママさんが次第に口元を緩めていく。おそらく泉さんの趣味を理解しつつも、それを打ち明けられる友だちがいないことを心配していたのだろう。ママさんは僕らの手を取ると「娘と仲良くしてあげてね?」と、満面の笑みを向けてきたのだった。

 これで泉さんは学校に通い続けることになり、ママさんから転校という考えが消えたことで訴訟されるおそれもなくなった。

 ほっと胸を撫で下ろしていると、泉さんからウィンクが送られているのに気付いた。やはり僕らを助ける為に自白してくれたらしい。


「よかったわね、遙輝くん。泉さんに感謝しなくちゃ」

「はい。でも、梨香さんのおかげでもあります。本当に助かりました」


 梨香さんの機転と、泉さんの告白がなければ僕は辛い日々を送ることになっていただろう。僕は心のなかで彼女たちに手を合わせていたのだった。

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