20.『人って見かけによらないのね』
どれだけ必死にうったえても先生たちは否認し、それどころか証拠もろとも隠蔽しようとしていた。このままでは僕らの努力が無駄になり、嶋崎から報復を受けることだって考えられる。
僕はともかく、梨香さんや泉さんを危険な目に遭わせるわけにはいかない。
なんとしても責任を追及すべく、僕は話題を変えることにした。
「そうですか。先生たちにご意見はわかりました――」
「それならいいんだ。後は先生たちに任せたまえ」
「――非常倉庫の件は以上です。では、部活動中の暴力行為については理事長に連絡させていただきます」
僕の一言で先生たちが血相を変えた。
先生たちも理事長の趣味(?)を知っている。女子生徒が被害にあったと知れば必ず私刑を下すだろうし、それを隠蔽しようとした者がいれば厳罰をくらわせるだろう。
「な、なぜ理事長がでてくるのかね?」
「嶋崎先生の行為によって軽音部の機材が破損しました。予算から捻出した資産を壊したことは、会計として理事長に報告しなければなりません」
「ちょ、ちょっと待ちたまえ。なぜそのことを最初に教えなかったんだ?」
だって、倉庫の件だけで動いてくれると思ったんですもん。
ちなみに理事長(かあさん)は、凛をお迎えに行って帰宅している頃だ。それでも女子たちが泣かされたと知れば学校にすっ飛んでくるに違いない。
「わ、わかった、君たちの証言を信じよう!」
「倉庫での件も調べていただけるということですか?」
「もちろんだ、しっかりと調査を行うから、ひとまず今日は帰りなさい?」
僕はあくまで備品についてしか触れなかったが、理事長の存在をちらつかせたことで先生たちはあっさりと手の平を返した。これで隠蔽されることはないだろう。他人の権威に頼るなんて格好悪いけど、彼女たちを守る為なら仕方ない。
こうして僕らの証言は認められ、あとは嶋崎の処遇を待つだけとなった。
先生たちは保護者に連絡をする為に席を離れた。
帰宅が遅いと心配されるからだろう。
副会長たちも既に下校させられており、残っているのは僕ら三人だけのようだった。
「よかった。これで隠蔽されることはなさそうです」
「そもそもあの先生たち、私たちが保護者に言ったらどうするつもりだったのかしら?」
「下手に隠せば炎上することを知らないんだと思います。でも、理事長がいれば適切な対応をとってくれるでしょう」
ひとまず胸を撫で下ろすと、隣で啜り泣いていたはずの泉さんが口角をつり上げているのに気付いた。
「どうしたんですか泉さん?」
先生たちが戻ってこないのを確認してから彼女は顔を上げた。
「少し大袈裟だったかな? でも、こうしておけば慰謝料を高くできるでしょう?」
「まさか演技だったんですか?」
「当然よ。裁判所は損害賠償や慰謝料の請求額を減らすように命令できるけど、増額させることはできないの。だから被害者は自分が受けた傷を大袈裟にアピールして、思いっきり高額な金額をふっかけなくちゃいけないの」
そうした知識は浮気のことで民事訴訟した際に得たらしいが、だからといって嘘泣きまでできるとは。先生たちだけでなく僕らもすっかり騙されていたようだ。
「もう、驚かせないでよ! 泉さんが泣いたとき私も悲しかったんだからね?」
「ごめんごめん。敵を騙すには味方からって言うでしょ?」
泉さんが頬を膨らませる梨香さんに手を合わせる。
「でも、私なんかの為に必死になってくれて嬉しいわ。慰謝料をふんだくれたら皆で山分けしましょう?」
妖しげな笑みを浮かべる泉さん。僕らが苦手としてたはずの笑顔のはずが、今は梨香さんもそれを前にして微笑んでいた。もちろんに山分けに関しては断っていたが。
先生が戻ってくると、今から僕らの親が迎えに来る旨を告げられた。ちなみに我が家の電話に出たのは凛だったらしく、義母さんが理事長であることは気付かれなかったようだ。
「九条さんだけ来てもらえるかな? 保護者の方がお話ししたいことがあるようだ」
各保護者には嶋崎の事情も伝えられたらしく、梨香さんの身を案じたご両親は直接話しをしたがったらしい。
梨香さんが席を離れると、僕は泉さんと二人きりになる。不意に彼女から「そろそろ衣装を返してくれる?」と言われ、自分が女装したままであることを思い出した。
許可をもらって職員室を出ると、僕らは生徒会室に向かった。あの部屋ならここから近いし、着替えるスペースもある。
校内には人の気配はなく、廊下には僕らの足音だけが響いている。窓の外はまだ明るいが、時刻は七時を回り、グランドでは運動部が大急ぎで後片付けに取り掛かっていた。公立高校と同じく、私立でも平日の部活動は二時間が上限となっているからだろう。
「わざわざ家に連絡なんて大袈裟よね。まだ残っている生徒がいるのに」
「事情が事情ですから。あっ、泉さん。ここの鍵のかけ方わかりますよね?」
僕は生徒会室の扉を開けて電気を点けた。
「どうして鍵をかけるの? どうせ校内には誰もいないし、なにかあっても一緒に着替えれるんだから平気でしょ?」
「えっ、一緒に?」
そういえば泉さんも僕のシャツを着たままだった。
彼女は手提げ袋に入れた自分の制服を広げ、部屋のホワイトボードを移動させた。
どうやらこれを仕切りにするつもりのようだ。
「ほら、さっさとしなさいよ」
「で、でも……」
「もしかして着替えたくないの? 皆にアンタが女装趣味だって教えるわよ?」
「そ、それだけは止めて下さい!」
そんなことされたら学校に来られなくなってしまう。僕は慌てて着替えに取りかかった。
パサッと、シャツから袖を抜く音が聞こえてドキッとしてしまう。いくら目隠しがあるとはいえ、僕の背後に下着姿の泉さんがいると思うと気が気でなかった。一刻も早く着替えを終わらせたかったが、彼女の衣装を傷つけるわけにはいかずゆっくりと脱いでいく。
ふと思ったのだが、この服って手作りなのだろうか。訊いてみると専門店で購入した下地にフリルやリボンなどを泉さんが縫いつけたらしい。そういえば梨香さんも似たようなことを言ってたことがあるが、まさか彼女も自作できるとは意外だった。
「まさか料理が壊滅的だからお裁縫も苦手だと思ってたの?」
「いえ、そんなことありませんひょ」
「嘘ぐらい噛まずに言いなさいよ」
「すみません……。って、あれ? 泉さん?」
声が近くなったので思わず振り返ると、ホワイトボードの端から彼女が顔を覗かせていた。しかもまだ上の服を着ていない。
「ちょっ、なんで覗いてるんですか! 肩まで見えてますよ!」
「サイズが合ってるか心配だったの。もしかして破れてないかと思ったけど大丈夫そうね」
大切なのはわかるけど覗き見なんて止めてほしい。しかも、普通は逆のはずだ。着替えを覗いちゃうようなドキドキイベントって男(ぼく)から仕掛けてしまうものだろうに。
「やっぱり似合っているわね。体格も背丈も標準で、顔も中性的だから女装の素質あるんじゃないの?」
「全然嬉しくありません、っていうかいつまで視姦するんですか?」
「ねぇ根岸。腕のこと、ごめんね」
「え? 泉さん?」
彼女が手を伸ばし、僕の左腕を掴んだ。そこには窓を割った際の傷痕がある。彼女は爪でそれをなぞりながら「ちゃんと謝ってなかったから」と、静かに告げたのだった。
「いいんですよ。もう完治していますし、僕だって桑原を煽りましたから自業自得です」
「あんたが煽るなんて信じられないわ。人って見かけによらないのね」
目を見開く泉さん。一方の僕は、彼女の胸元が視界に入りそうになり慌てて目をそらし、彼女の手をといて部屋の隅で着替えを再開した。
「でもそれは九条を守る為だからでしょう。嶋崎の時だって私の為に反抗的になっていたじゃない。倉庫でダイヤが私の支えなんだって怒ってくれたとき、すごく嬉しかったわ」
「僕は、誰かの大切なものを壊したり、嘲笑する人が許せないだけなんです」
「へぇ。まるで正義の味方ね。どうしてそんなことを考えるの?」
後ろから泉さんにシャツを渡され、僕は後ろ手に受け取った。
「小さい頃からなにかを欲しがったら『そんなことに無駄金を使うな』って実母さんに叱られていたんです。ご飯を抜きにされて、真冬に家の外に放り出されたこともありました」
「はっ? そんなの虐待よ。あんた、大丈夫だったの?」
「ええ。おかげで丈夫に育ったみたいです。それに、そういう環境で育ったから大切なものを穢される辛さはわかるつもりです」
明るい口調で喋ってみたが、泉さんは無反応だった。背中越しなので彼女がどんな表情で僕を見上げているのかはわからない。
「スタジオで暴れていた嶋崎の姿はうちの実母さんと似ていました。だから余計に生意気なことを言ったのかもしれません」
嶋崎と実母さんの性格は真逆だが、スタジオでアイツが見せたあの目は、他人の尊厳や心を砕こうとしてまで自分の信念(いけん)を通そうとするあの目だけは実母とそっくりだった。ああいう目をした大人が僕は苦手で、それでつい反抗的な態度をとってしまうのだ。
「ごめん、そんなこと知らずに頼ってばかりいたわ……。てっきり根岸って、優しい家庭で育ったのかと思っていたんだけど、本当に人って、見かけによらないのね」
「いいんです。それに、もう実母のことはふっきれてます。以前はフラッシュバックや幻聴に悩みましたけど、自分の気持ちに正直になることも大切だって梨香さんが教えてくれたんです」
僕はズボンを履いてポケットに触れる。ここに入っているハンカチは、彼女が僕に買ってくれた大切なプレゼントだった。
「ふぅん、だから相思相愛なんだね……」
「泉さん?」
お互いに着替えを終え、僕らは向かい合っている。衣装は丁寧に折りたたまれて泉さんの手提げ袋に入れられており、彼女はそれをぎゅっと胸に抱いているのだが、なぜか寂しげな表情を浮かべていた。大切なものが戻ってくれば安堵するはずなのに、やはり僕に着られたのが嫌だったのだろうか。
「ごめんなさい泉さん、やっぱり洗って返しますね?」
「はっ? どうして洗うの?」
「汗の臭いとかで汚れていますよ?」
「下手に洗われて衣装が傷物にされても困るわ」
「でも……」
「気にしないで。むしろ、このままのほうが嬉しいわ……」
「そうですか?」
彼女は不意に微笑んだ。
なぜこんなに表情が変わるのが不思議だったけど、とにかく不快な思いをしていない様子だったので僕は安堵したのだった。
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