19.泉さんの涙
趣味を知られた泉さんは、倉庫でコスプレ姿を披露することを嶋崎に強要されていた。嶋崎を断罪すべく、僕らは密かに倉庫で準備を進めている。
「皆さん、準備はいいですか?」
「うん。ここからならバレずに撮影できそうよ」
梨香さんは戸棚の陰からスマホを構え、僕も録音の準備にかかる。ただ一人、泉さんだけが倉庫内で呆然と佇んでいた。
「では泉さん、よろしくお願いします」
「ええ。アイツを怒らせるように喋ればいいんでしょ?」
不安げな彼女の顔に胸が締め付けられるが、今から作戦を変更する時間はなかった。
「ごめんなさい、泉さん……」
「いいいのよ。でも、乱暴されそうになったら止めるからね?」
その意見に、僕は彼女に囁き返した。
「それはいけません。最後まで撮らないと証拠になりませんので」
と。
泉さんはなにも言わず、涙で濡れた目で睨み上げてきた。
梨香さんが聞いたら絶対に反対されるだろう。泉さんだって不服な様子だ。
だけど、目的の為には誰かが貧乏くじを引くことがあると、他ならぬ彼女が言ったのだ。きっと理解してくれているだろう。
「では、皆さん所定の位置について下さい」
緊張をほぐすためにゆっくりと息を吐くと、僕らは静かに嶋崎の到着を待つのだった。
□■□■□
倉庫に嶋崎が入ってきた。
薄暗い倉庫内にぎょろりとした目の光が浮かぶや、それが倉庫の窓へ向けられた。
「おい、どうして窓を覆っている?」
窓はタオルケットで覆われており、外の光が届かないようになっている。
「泉がこうしないと恥ずかしいって言うもんでして……」
桑原がぺこりと頭を下げるや「可愛いところがあるじゃないか」と、嶋崎が鼻を鳴らした。
「泉からスマホは奪ったんだろうな?」
「はい。こちらです」
「よくやった。お前はもういい。外で見張ってろ」
顎をしゃくると、嶋崎が奥にいる人影に目を移した。
「おい、準備はできているのか?」
その声に、僕は死角に置いたスマホの録音ボタンを押す。僕の位置からカメラを向ければすぐにバレてしまうので、撮影は梨香さんだけに任せてあった。
「まだ準備ができていないの。着替えるのに時間がかかって……」
「それならそれでいい。脱ぎかけの姿も撮ってやるからこっちを向け」
「そんなの無理よ! アンタが欲しいのはダイヤの写真でしょう? だから私は――」
泉さんの声がシャッター音に遮られた。
はだけた肩がフラッシュによって一瞬浮かび上がり、僕はドキッとしてしまう。
半裸の生徒を撮るなんて懲戒処分だろう。
今の様子を証拠として提出すれば、嶋崎だって言い逃れできないはずだ。
ところが部屋の片隅で梨香さんは首を振っている。どうやら室内が暗くて撮影が難航しているらしい。窓を覆ったことが裏目に出てしまったようだ。
映像が無理なら、言質をとるしかない。
僕は会話を引き伸ばしてもらおうと、泉さんに合図を送った。
「ど、どうしてこんなことするのよ……?」
「どうしてだと? もっと魅力的で、客がとれるくらいになるよう指導してやるだけだが」
「客って、私はそんなことの為にやってるんじゃない! 少しでもダイヤちゃんみたいに素敵な子になりたかっただけなのに、アンタなんかに穢されたくないわ!」
「穢す? 俺がなにをした? お前に触れてもいないし、ここでスマホを持ってるだけだ?」
「卑怯者! なんでアンタみたいなのが教員やってんのよ? 賄賂でも積んだの?」
ガン! と、嶋崎が倉庫の壁を蹴り、それに驚いた梨香さんが体を跳ねさせていた。
「な、なによ、嫌なことがあるとすぐに暴力で脅すのね?」
泉さんの声も恐怖に震えていたが、それでも証拠を引きずり出そうと粘ってくれている。
「もうアンタの命令なんて聞かない、私のスマホから盗んだ写真を好きに転売すればいいわ」
「はっ、床に蹲っておいてなにを粋がっている? まぁ、写真が広まってお前が不登校になったらなったで、他の部員を可愛がるだけだがな」
「なっ、なによそれ! 部員(みんな)には手を出さないって約束したでしょう?」
「俺は考えると言っただけだ。それに、まだお前は俺との約束をはたしていないだろう?」
「約束って……?」
「とぼけるな。ここでの撮影のことだ。まだ一枚も撮れていないぞ?」
またもフラッシュが焚かれた。それも急きたてるように連写で。
「わ、わかったわ。今、服を着るから、それが終わったら撮影して……」
僕は自分の感情を抑えた。泉さんが頑張ってくれているのに、ここで下手な動きをするわけにはいかない。
あくまで静かに、大人しく、自然に動かなければならないのだ。
「おい、なにをのろのろしている? さっさと立ってこっちを――」
不意に、嶋崎が呆然とした。
しばらくの間、倉庫内に異様な沈黙が蟠った。
「お前……!」
声を荒げた嶋崎が、僕に掴みかかった。泉さんの衣装を身につけた僕に。
「どうしてお前がここにいる?」
「乱暴しないで下さい、これは泉さんの大切な所持品なんです!」
「ふざけているのかお前! なにが所持品だ、さっさとあのコスプレ女を出せ!」
「いいかげんにして下さい! あなたなんかに彼女に触れる資格はないですよ!」
僕の怒声に嶋崎が怯んだ。
「ダイヤは泉さんにとって心の支えなんです! 彼女に少しでも近づきたいと思うのは当然なのに、それを脅してお金まで儲けようとするなんてどうかしてますよ!」
「てめぇ、言わせておけば……!」
嶋崎が拳を振り上げたとき、奥にいた泉さんが窓を開放し、ぱっと倉庫内が明るくなった。そこへ別な処に隠れていた梨香さんがスマホを片手に現れる。
「嶋崎先生、ここでのことは報告させてもらいます!」
彼女によって胸ぐらをつかまれる僕と嶋崎先生のツーショットが撮られると、倉庫の扉が開かれて副会長が飛び込んできた。
「て、てめえら、謀ったな……!」
副会長に組み伏せられ、嶋崎が泡を吹いている。まさかコスプレしてたのが僕で、泉さんがその奥で声を出していたなんて驚いただろう。部屋を暗くしただけでなく、退室時に桑原が僕を指差して泉さんだと告げたのが効いたのだ。
「あんた、よくこんな作戦を考えたわね?」
「ダメですよ泉さん、ちゃんと殴られるところまで撮らなくちゃ!」
「乱暴されそうになったら止めるって言ったでしょ?」
「遙輝くん、また私に黙って危ないことしようとしたでしょ! 今回はそういうことしないって言うから仕方なく従ったのに!」
「うわ、ごめんなさい梨香さんっ、痛っ!」
掌打を受ける僕の姿に、僕のシャツを着た泉さんが呆れている。
彼女がウィッグを手にとったとき、クッキングスタジオで変装したときに梨香さんから見破られなかったことを思い出したのだ。
梨香さん曰く、挙動不審ではあったものの、あのときは本当に女性に見えたというのだ。
それで服を交換し、僕が囮になる作戦を思い付いたのだ。これなら泉さんの心に傷が残ることはないし、写真を撮られたとしてもリベンジポルノを受けることもない。
『でも、それだと遙輝くんが脅されるかもしれないのよ!』と、梨香さんからは断固反対されたけど、なぜか僕がウィッグを被ると渋々頷いてくれた。理由を聞くと、僕だと分からないぐらいに似合っているということで、撮影されても問題なさそうと思ったからだという。
それでも僕の個人情報が心配なのか、倒れた嶋崎の手からスマホを奪いとっていた。これで少なくとも拡散される恐れはなくなった。
「おい、この騒ぎはなんだ!」
そこへ大柄な男の教員が入ってきた。サングラスに剃り込みをいれた髪型という、見るからにいかつい風貌だがこの人はパソコン部の顧問だ。その後ろには立花姉妹と五条もいる。そういえばドローンを飛ばすときに必ず付き添っていると言っていたな。どうやら彼女たちによって非常倉庫へ誘導されたらしい。
「なにをしている!」と、マウントをとる副会長に驚いていたが、梨香さんが事情を説明すると表情を一変させた。
「嶋崎先生がそんなことを……?」
「事実です。こちらに証拠もあります」
「うむ。事情を訊かせてもらおう」
こうして僕らは職員室へ向かうことになった。
ちなみに僕は女装したままである。校内を歩いているクラスメートとすれ違い、その度にガン見されたのが恥ずかしかった。おまけにスカートってひらひらしててなんか心許ない。
昔のライトノベルで、ヒロインがバニーガール姿でビラ配りして、それを止めさせる為に職員室に連行される展開があったけど、さすがに女装した男子というのは前代未聞だろうな。
職員室に着くと、僕らは嶋崎が泉さんを脅し、それを守ろうと僕が入れ替わったことを正直に話した。ちなみに嶋崎は別室で聴取を受けている。黙秘している様子だが、今回ばかりは言い逃れできないだろう。
ところが、話が職員室全体に伝わっていくにつれて嶋崎を擁護する先生が現れ始める。梨香さんが証拠を披露してもなにかの間違いではないかとさえ言ってくるのだ。
「どうしてですか、こんなの明らかに猥褻行為ですよ?」
「そうです、根岸くんだって殴られそうになったんですよ?」
「泉さんは軽音部員だろう。嶋崎先生からの指導が気に入らなくて、それで不祥事を起こさせようと卑猥な姿で誘ったんじゃないのか?」
その無神経な言葉に、僕らは思わず声を荒げてしまった。
「泉さんに謝って下さい!」
「そうです、泉さんはそんな人じゃありません!」
「そんな人じゃないって、生徒会役員(きみたち)だって軽音部とトラブルがあっただろう。なぜ急に仲良くなったんだ? まさか共謀しているんじゃないだろうな?」
僕は怒りを通り超して呆れてしまう。
擁護している人たちは問題を大きくしたくないのだろう。しきりに僕らに非があったという結論に誘導しようとしていた。
教員が不祥事を起こせば学校全体の評判も落ちて、生徒(ぼくら)にも好奇の目が向けられるのはわかっている。でも、泉さんが受けた被害を有耶無耶にはできない。僕らのやり方にも問題があったけど、あの状況で被害を最小限にとどめるにはこれしかなかったんだ。
と、そこで思いもよらないことがおこる。
泉さんが、声を上げて泣き始めたのだ。
「泉さん、どうしたの?」
先生たちも動揺するなか、彼女は涙を拭いながらこんなことを言うのだった。
「今まで生徒会役員にクレームをつけたり、先生たちにも生意気な態度をとっていたから疑われるのも当然です。でもこれだけは信じて下さい。私、カルテットルピルスに登場するダイヤちゃんが大好きなんです。だからスマホの待ち受けも彼女にしていたんですけど、それを嶋崎先生に見られて趣味をバラすって脅されたんです」
頬を流れ落ちた涙が、膝の上で握られた拳を濡らしていく。
「もし逆らえば他の部員や、趣味のことで相談していた九条さんたちにまで迷惑がかかると思って、それで変身グッズを着た姿を披露するように命令されても断れなかったんです!」
「いいのよ泉さん、もう大丈夫だから! 先生たちが守ってくれるはずよ……!」
嗚咽する彼女を梨香さんが抱きしめる。泣き崩れる彼女たちを前に、先生たちも気まずそうな顔をしていた。
僕は唇を噛んでいた。
泉さんがここまで思い詰めていたなんて知らなかった。ちっとも彼女の心を理解できていないくせに友だち顔していたことに自責の念を抱いたのだ。
「しかしあの嶋崎先生が猥褻だなんて。多少のキツい指導をする噂は聞いていたが、それは生徒を想ってのことだし、そのおかげで軽音部の実力だって伸びていたんだろう?」
「生徒を想うのなら、黙秘なんてしないと思いますが?」
あくまで認めようとしない先生に対し、泉さんへの贖罪もかねて僕は反撃にでた。
「黙秘ではなく冷静に事実を確認しているだけだ。誤解を生じさせない為だよ」
「泉さんのことを誤解しておいてなにを言うんです?」
「彼女が悩んでいたことは知らなかった。謝ろう。だが、それはあくまで個人の認識であって、嶋崎先生がどういう意図で彼女を呼んだのかは当人に確認しないとわからないだろう」
「そんなの猥褻以外になにがあるんですか、証拠もあるんですよ!」
「結果的に泉さんはなにもされていないんだろう? 君が勝手に女装して、そのことを嶋崎先生に叱られただけじゃないか」
「女装のなにが悪いんですか!」
ああ、いかん。感情的になって議題が女装の是非に逸れようとしている。
冷静になれ。今ここでポリコレについて問うても何の意味もないぞ。
「あと、間違った情報が広まらないよう会長のデータは預からせてもらおう」
「なんですって?」
事実を認めようとせず、証拠すら奪うつもりか?
全教員が嶋崎を擁護しているわけではないが、閉鎖社会(がっこう)で働く先生というのは発言権の強い人の言いなりになると聞いたことがある。僕らがこの先生に従えば、嶋崎は無罪放免になることだってあり得るだろう。
なんとしても、それだけは避けなくてならないぞ。
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