16.ダークパレス


 泉さんを助けた翌日。

 僕らは昼休みに泉さんを生徒会室に招いた。嶋崎についてどう報告するか相談しようとしたのだが、そのことは他ならぬ彼女から断られてしまうのだった。


「どうしてですか? このままじゃますます被害はでますよ?」

「そうよ泉さん、一緒に行きましょう?」

「報告したら嶋崎がなにをするかわからないわ。うちの部はともかく、今まで真面目にやってきたあんたたちに迷惑をかけたくないの」


 泉さんが目を泳がせながら言う。ここは生徒会室。誰かに聞かれる心配はないだろうけど、なぜかしきりに周囲を気にしている。


「迷惑だなんて思っていません。むしろ勝手な行動に走った僕に責任があります」

「私なんか盗撮までしたのよ。それに、友だちなんだから迷惑かけて当然でしょ?」


 必死に食い下がったものの、泉さんは認めてはくれない。

 それならばと、僕は別方向から提案してみた。

 部員への危険な指導については黙っておくが、機材を破壊したことについて理事長へ報告すると申し出たのだ。これなら報復されたとしても、会計である僕自身しか標的にならないだろう。


「それについても代替品を用意できるから気にしないで」

「いいえ。会計として無視できません」

「嶋崎のことがわかってないわね。どんなことをされるかわからないわよ?」

「ですが――」

「――お願いだから、誰にも言わないでほしいの……!」


 泉さんに頭を下げられた。懇願するような姿に、僕は硬直してしまう。

 また僕は間違いを犯してしまったようだ。

 だけど、ここで報告しなければ解決が先送りになり、嶋崎からの被害が増してしまうような気がする。いったいどうすべきなのだろう。


「遥輝くん。止めましょう」と梨香さんに囁かれ、僕はようやく唇を引き結ぶ。

 彼女は泉さんの手をとると「わかったわ。私たちはなにも言わないわ」と、優しく微笑んでいた。


「でも、なにかあったら必ず相談してね? 同じカルピリストとして力になるから?」

「うん。ありがとう九条……」


 泉さんは、少し涙ぐんでいた。

 僕にはその理由がわからなかったけど、梨香さんは察していたらしい。



「きっと嶋崎先生に弱みを握られているんだわ」


 泉さんの退室後に、梨香さんが言う。それなら被害届けを出さないのも納得できる。


「でも、どうしてわかるんですか?」

「さっきの泉さんの姿、昔の私に似ていたの」

「昔の梨香さんに?」

「ほら。中学のときに趣味を打ち明けた恋人(ひと)がいたって教えたでしょ? 私、その後に何度も嫌なことを言われたの……」


 梨香さんが声を落とした。

 女児アニメ好きなことを知った元彼は、梨香さんに変身ポーズや台詞を真似させようとしたことがあるらしい。

 相手は冗談のつもりだったらしいが、断れるとすれば趣味をバラされると思って泣く泣く披露していた時期があった。無論、そんなことに耐えることはできず『誰にも言わないで』と、先程の泉さんと同じように頭を下げて別れたのだという。


「すみません、そんなことがあったなんて知りませんでした……」

「どうして遥輝くんが謝るの? それに今は泉さんのことを考えなきゃ」



 泉さんが嶋崎に弱みを握られているとして、それはなんだろう?

 趣味のことなら梨香さんに相談できるだろうし、僕らも知らない秘密があるのだろうか。



 そのとき、机に置かれたタブレットから着信音が鳴った。


 確認すると生徒会役員のアカウントにパソコン部からビデオ通話が入っている。おそらく立花姉妹からだ。

 スタジオで嶋崎と対面したとき、梨香さんはスマホを奪われても平気なように動画を転送していたのだが、咄嗟のことだったので生徒会役員のグループに送っていたのだという。それで彼女たちも嶋崎の悪行を知り、協力を申し出てくれたのだった。


『会長、音声の抽出は無理だったみたいです。今、五条先輩からAIで嶋崎先生の声を再現して合成するから当時の発言を教えてほしいって言われてますけど?』

『バカ者! ディープフェイクは扇動や印象操作においてのみ許されるのだ! 証拠品に使ったら墓穴を掘ることになるぞ!』


 二人の言葉に梨香さんが激怒した。


「どっちもダメに決まっているでしょう! そもそも校内でのスマホは禁止なのよ!」

「り、梨香さん、これはパソコンで通話しているので校則には抵触しないと思いますよ?」


 画面にはパソコン部の部室が映っており、こちらに向き合うように立花姉妹と五条が座っていた。



 僕らは梨香さんの動画から嶋崎の声を拾えないか調べてもらっていたのだ。

 言質がとれればこの動画は更に強力な証拠になると期待したのだが、五条曰く音声そのものが記録できていなかったらしい。


 僕は唇を噛んだ。泉さんに断られた以上、僕らが勝手なことをすべきではないのはわかっているけど、それでも優位な証拠が多いに越したことはないのに。


『あの、ちょっといいかな。嶋崎のことなんだけど』

「五条? なにかあったの?」

『ああ。ちょっと気になることがあって――』


 五条が声を潜め、僕と梨香さんは画面に身を乗り出した。


『――アイツ、非常倉庫によく出入りしているみたいなんだ』

「非常倉庫?」


 体育館の裏手には毛布や保存食が備蓄されたプレハブ小屋が並んでいる。防災訓練のときでなければ使われない場所だが、オープンキャンパス用の撮影をしていると必ずその付近に嶋崎がいたのだという。


『ドローンだと俯瞰図になるから顔は識別できないけど、ジャージ姿だったから間違いないと思う。あの辺りって人気がないから、悪いことをしているのかもよ』


 昨日の嶋崎の言葉が僕の頭をよぎる。非常倉庫はまさに校内の死角だ。そこで僕のような生徒に私的制裁を加えることだってあり得る。


『きっとダークパレスを築いたんですよ!』


 いきなり鈴音が叫んだ。


「それって、まさかカルルピに出てくる?」


 カルルピでは宿敵たちが拠点とするダークパレスという建物が登場するのだが、どうやらそれに例えているらしい。


『嶋崎先生は倉庫で悪事を働いているに違いありません!』

「悪事って、敵幹部じゃないんだから……」

『なにを言うんですか! 根岸先輩を殴るなんて敵も同然です! それに、悪には毅然と対応すべきだって先日言ったばかりじゃないですか!』

『鈴音の言うとおり! 大至急、嶋崎のダークパレスに潜入だ!』


 ぐっと立花姉妹の顔が画面いっぱいに近づいてくる。女児アニメのヒロインを指標にするのは幼稚かもしれないが、彼女たちは真剣だった。

 たしかに非常倉庫は教員でも立ち入らない場所だから、調べる価値はありそうだ。

 けれど、それが今回の件に関係しているとはかぎらない。たんに隠れて煙草を吸いたかっただけなのかもしれないし。


『もちろんその可能性はありますけど、それはそれで罰則行為じゃないですか』

『そうそう。それに、一つでも拠点をおとせばこちらが優位になる。ノルマンディーの前にも連合軍は気象観測所を制圧しているぞ』

「下手に刺激すれば被害が増えるかもしれないんだ。僕はともかく、軽音部のことを考えずに行動するのは迷惑になるよ?」

『でも……!』

「でもじゃない。非常時ならともかく、こういう時に無計画に動いちゃダメだ」


 僕は口調を鋭くして二人の口を閉ざした。後輩たちが嶋崎の標的にならないよう、ここは冷静になってもらう必要がある。


「私も遥輝くんと同意見よ。気持ちは大切だけどそれだけじゃ先週のエメラルちゃんみたいに返り討ちにあってしまうわ」


 梨香さんの言葉に姉妹がはっとなる。


『そうでしたね。エメラルちゃんって、先走るクセがありますもんね……』

『今の我々もそれと同じだったということか……』


 頷く二人。なんだか僕の言葉よりも納得している気がする。この子たちを指導するときはカルルピを例に出したほうがいいのだろうか。うーん、勉強になるな。


「遙輝くん、哲学者の顔真似をしている場合じゃないのよ?」

「いえ。僕も梨香さんを見習おうと思いまして」

「え? 私、そんな渋い顔をしてた?」


 と、そのとき。背後に気配がするや、ぬっと伸びた腕が僕と梨香さんに絡みついた。


「Hey! いい作戦が思いついたのか? 私にも聞かせろ!」


 副会長のアリーシャ先輩だった。ここ最近忙しかったようだけど、あの動画を見てから生徒会室に来てくれるようになっていた。しかし、なぜわざわざ気配をけしてきたのだろう。


「アリーシャ先輩? いつの間に私たちの背後に?」

「これぞファントムクローク! 隠密して相手をサプライズさせる秘技だ!」

「転生時に女神様から貰えるスキルみたいですね、それにしては効果が残念ですけど……」

「Hum? 文句あるのか? 言っておくが、今のお前たちは私の支配下にあるんだぞ?」

「あっ、ちょっと! やめて下さい先輩!」

「ダメですよ副会長、電話が繋がってるんですから!」


 白蛇のような腕が僕らの首に絡みつき、指先が胸元に入り込もうとしている。

 僕は慌てて通話を切った。僕はともかく、梨香さんのそんな姿を晒すわけにはいかなかった。


 なんとか拘束を解くと、僕は泉さんから告発をしないように願われたことと、嶋崎が非常倉庫に出入りしていることを説明する。

 いつもはおどけているが、副会長は頼りになる人だ。

 きっと今回の件に関しても、適格な助言をくれるだろう。

 副会長はしばらく腕を組むと、僕らにこんなことを言うのだった。


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