14.突入
泉さんに折り返すと、嶋崎先生の怒鳴り声が聞こえてきた。
それも演奏の指導や叱責でもなく、態度が気に入らないからという無茶苦茶な理由で憤慨している。
学外での練習には干渉されないと言っていが、まさかスタジオにまで乱入するとは。きっと泉さんたちも驚いているに違いない。幽かに啜り泣く声まで聞こえてきた。
こうしてはいられない。
急いで泉さんを助けに行かなくては。
僕は店内に駆け戻ると、梨香さんに事情を伝えた。
「え? 写真の女子って泉さんなの?」
梨香さんは半信半疑だが、僕だって当初はそうだったから無理もないだろう。
また、彼女への苦手意思があるせいか表情も強張っている。だけど、彼女が僕らに助けを求めていることを伝えるとすぐに席を立ってくれたのだった。
「嶋崎先生のことだから八つ当たりしているんだわ! すぐに止めさせましょう!」
「いいんですか、危険かもしれませんよ?」
「遙輝くんがいるから平気よ! それに、私がいたほうが牽制になるわ!」
たしかに生徒会長である彼女がいれば、嶋崎先生も迂闊なことはできないだろう。それでも乱暴な行動にでるのならその事実を報告するまでだ。いくら職員室での評判がいいとはいえ、僕ら生徒会役員が証言すれば他の先生たちも黙ってはいないはずだ。
僕らは喫茶店を飛び出すと、スマホの地図を頼りに泉さんのもとへ向かった。
スタジオは住宅街と繁華街の間に位置していた。
一見すると事務所みたいな三階建てのビルだったけど、入口の立て看板には名前が書かれている。受付で学校名を伝えると部員だと思ってくれたらしく、泉さんたちのいる部屋を教えてもらえた。
二階の突き当たりの部屋に行くと、ガラス扉越しに泉さんの姿が見えた。
彼女は部員たちを背にして、獰猛な顔をしたジャージ姿の男と睨み合っている。それこそが嶋崎先生だ。
防音のせいか声は聞きとれないけど、ドラムスティックを彼女たちに突きつけて機材(アンプ)を蹴っ飛ばしている。これでは手をあげるのも時間の問題だぞ。
「梨香さんはここで待っていて下さい」
「ダメよ、二人で行きましょう!」
「いいえ。軽音部の為にも、ここにいてほしいんです」
僕は彼女にあるお願いをすると、室内に突入した。
失礼します、とわざとバカでかい声を出すと、室内にいた全員が一斉に振り向いた。
「なんだ? お前も部員か?」
ギョロリとした目で嶋崎先生が睨んでくる。素行の悪い生徒もこういう目付きをしているけど、この人の場合は光がなく、瞳の奥に禍々しいものが蟠っていた。自分を強くみせようとかいう動機ではなく、もっと仄暗いものを宿した目をしているのだ。
「返事をしろ、部員かと訊いているんだ?」
先生に詰め寄られ、僕は我に返った。
正直、僕は恐かった。
この人が怒っている時の姿は見たことがあるけど、その矛先が自分に向けれたことはなかった。なにより、僕はこういう目をしている大人が、とても苦手だった。
「なにをしにここへ来た? 邪魔だから部外者は出ていけ」
「僕は、軽音部に入りたくて練習を見学しようと思って来たんです」
「入部希望者ぁ?」
嶋崎が素っ頓狂な声を出した。
その後ろでは部員たちが泣き顔を一変させ、嫌そうな顔さえしている。なんだい、僕が入部しちゃダメなのか。
それはさておき、入部希望者と名乗ったのは正解だ。
誰何されたということは僕が生徒会役員であることを知られていない。警戒して態度を豹変させられないよう、そのことを伏せておいたほうが証拠を集めるのに有利なはずだ。
ところがこの作戦は裏目に出てしまう。
嶋崎は顧問を差し置いて部外者(ぼく)にここの住所が教えられていたことが気に入らずますます泉さんを責め始めたのだ。
「お前ら今まで誰の指導を受けたと思っているんだ! 入選できたからって調子に乗りやがって、恩を仇で返すつもりか!」
「待って下さい先生!」
なにを勘違いしているんだ。彼女たちが活躍できているのは自分たちの力だろう。そもそもこの人はただの代理で、指導だってろくにできていないはずだ。
「おい泉っ、聞こえているのか! わかってんのなら返事せんかい!」
「は、はぁ? 恩って、あんたにそんなものあるわけ……!」
「なに、もう一回言ってみろ!」
「泉さん……!」
僕は咄嗟に二人の間に割り込んだ。
「これでは練習は無理です、すぐに外へ逃げて下さい!」
「でも……!」
「いいから早く、荷物は後で僕が運びますから!」
「おい、お前たち待て!」
泉さんたちが避難する間、僕は嶋崎先生に立ちはだかった。
「さっきからなんだ貴様! 顧問(おれ)に無許可で場を仕切りやがって何様だこら!」
嶋崎が僕を睨めつける。
本物に出会ったことなんてないけど、例えるならヤクザのような態度だった。しかもヤニ臭い。どうしてこんな人が教師になれたのだろう。
その後も罵詈雑言を浴びせられるが、あまりにも早口でなにを喋っているのか分からない。しかも訊き返そうとしたら「耳が遠いのか!」と怒鳴られてしまう。どうすりゃいいんだよ。
まさかここまでひどいとは予想外だ。
授業中にキレた姿を見たことがあるけど、その時はここまでではなかった。間近で観察してみると、この人からは怒りの感情ではなく、病的なまでの衝動に支配されているだけに感じられた。
「おい、黙ってないで返事ぐらいしろ!」
嶋崎の投げたスティックが頬を掠めるも僕は動じず、むしろ嬉しいとさえ思っていた。僕が傷つけば傷つくほど、泉さんを守れるんだからと。
「お前、まさか……!」
嶋崎がはっとするや、いきなり僕のポケットに手を突っ込んでスマホを抜き出した。
「なにするんですか、返して下さい!」
「……いけないな。他校にうちの練習曲を知られると大会にも影響が出るだろうに」
取り返そうとするも録音は中断され、データも削除されてしまった。
「誤解のないように言っておくが、先生は指導をしていただけだよ?」
「失礼ですが、部の備品(しさん)を壊すのが指導なんですか?」
僕は室内に散らばった機材を見渡した。
過剰に請求されたこともあるけど、予算で購入されたものであることに変わりない。それを乱暴に扱っておきながら、なにが指導だと。
そう言うなり、鳩尾をどつかれた。
一瞬息ができなくなり、僕は膝をついてしまう。
「お前、俺を停職させるつもりか?」
せき込む僕を、嶋崎が見下ろす。
「いいことを教えてやる。学校に‘死角’なんていくらでもある。お前みたいな模範ぶった生徒(ガキ)には理解できないだろうが、それを熟知した教員(おれ)はいつでも制裁を下せる。痛い目をみたくなかったら、正義漢ぶるのは止めておけ」
なるほど。痛みを与えつつ痕跡は残さぬよう、顔面以外の急所に掌打したのだろう。この人は、暴力を振るうことに慣れている。もしかしたら僕以外にも危害を受けた生徒がいるかもしれないぞ。
「正義漢ぶってなんかいません。友だちが困っているのを放っておけないだけです」
「ちっ、青臭いことを言いやがって。ガキと違って大人はストレスを抱えているんだ。これ以上苛つかせるなら容赦せんぞ?」
大人が僕らよりもたくさんの苦労を背負っているのはわかる。でも、それを言い訳に生徒をはけ口にするのは絶対に間違っている。そもそもこれが指導だというのなら、他の先生たちの前で堂々とできるはずだろうに。
僕は毅然と嶋崎を見上げ、立ち向かう意思を見せつけた。
「なんだその目は?」
「すみません。偉そうな発言をしたのが原因なので体罰のことは黙っておきます。ですが、もし部の備品が壊れていたら弁償して下さい。これは軽音部だけでなく、他分野の予算を削って捻出して購入されたものなんです」
「そんなこと俺が知るか! 金も稼いだことのないガキに浪費させるのが悪いんだろうが!」
まるでサッカーボールを蹴るような動きで、嶋崎の足が僕の腹に食い込んだ。
たまらず蹲る僕を見下ろしながら「悪い、足が滑った」と、嶋崎が嗤う。
「黙秘しなくてもいいぞ。お前の泉の友だちなんだろう? 問題児の言うことを信じて業務を増やしたがる先公なんていないからな」
「泉さんは問題児なんかじゃありません!」
僕は拳を握りしめた。僕のことは好きにいたぶればいいが、彼女を悪く言うのは許せない。恥ずかしがり屋だから誤解されやすいだけで、本当は友だち想いで、自分の秘密を打ち明けてまで僕と梨香さんの関係を守ろうとしてくれるような人なんだ。
それをうったえるなり、嶋崎が舌打ちする。
「いちいち神経を逆なでするガキだ。お前、いったい何様だ? 言っておくが入部は認めんぞ。今後は俺が軽音部の顧問だから、決定権も俺にある」
「嘘……?」
どうやら捏造された実績が評価され、正式に顧問になったというのだ。
「こんな人がいたら、泉さんが……」
「おい、今なんて言った?」
入選作品の発表を待っていれば日常の嫌なことを忘れられると泉さんは言っていた。つまり、それを過ぎれば彼女の心はどんどん蝕まれてしまうということだ。彼女が軽音に情熱をそそいでいるとは思えないが、友だちとの憩いの場をこんな奴に奪わせるわけにはいかない。
「本当に耳が遠い奴だな。なんて言ったか訊いているんだ」
嶋崎に顔を覗き込まれながらも、僕は顔を伏せるふりをして背後の扉を確認した。
あの位置だと僕が受けた暴行を視認するのは難しいだろう。
中途半端な報告では処分は軽いだろうし、それがかえって嶋崎の怒りを増幅させて泉さんが危険に晒されるかもしれない。やはりここは証拠が必要だ。
「……わかりました。先生のご指導に従います――」
僕は顔を上げると、ポケットをまさぐりながら言葉を紡いだ。
「おい、なにを持っている?」
「――先生はご指導時にスマホを奪うらしいので、念には念をもう一つ用意していたんです」
「なに、まさか貴様!」
嶋崎は僕に掴みかかるがどこを探してもそういった類のものは見つからない。「おい、早く出せ!」と、野獣のように声で胸倉を掴まれたその瞬間、けたたましい音とともに背後の扉が開かれたのだった。
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