13.声なきSOS


 茶室に現れたのは、他ならぬ梨香さんだった。

 

「皆、勝手なことをしないで!」


 彼女の叫びに動揺する部員たち。


「でも、九条さんが浮気されているなんて許せなくて……!」

「遥輝くんは浮気なんてしない、彼が私のことを守ってくれたの忘れたの?」


 梨香さんの涙声に彼女たちは口を閉ざし、僕は胸が締めつけられた。他ならぬ僕が原因で梨香さんを怒らせ、泣かせてしまった。その事実は決して覆らないのだと。


「こんな監禁みたいなことしてひどいわ! 見て、こんなに苦しそうな顔してるのよ!」

「怒らないで下さい。悪いのは僕なんですから」


 こんなに必死に庇われては苦悶の元凶が尿意だとは言えない。急いでトイレに駆け込みたいけれど、ここは部員さんたちを擁護しなくてはならない。

 なんとか彼女を落ち着かせて、二人きりでの話し合いを持ちかけることに成功する。今はとにかく梨香さんに謝り、安心させたかった。


「あの女性ってクッキングスタジオにいた人よね? まさか隣で不審者みたいな動きをしていたのが遥輝くんだったの?」

「そうです。ごめんなさい梨香さん。僕は嘘をついていました」


 茶室を離れてからひとまず僕らは廊下で話し合う。


「私、遥希くんが浮気するような人だなんて思ってない。初めてあの写真を見たときは驚いたけど、きっとなにか事情があったんでしょう?」

「梨香さん……!」


 僕を信じてくれているのが嬉しかったけど、喜んでばかりはいられない。梨香さんからはなぜ隠そうとしたのか、やはり自分のことを信頼してくれていないのかと僕の胸で涙を拭かれてしまった。


「違います。僕はあの女性から――」


 いや。ここはまだ校内だ。誰が聞き耳を立てているかわからないのに泉さんの秘密を話すわけにはいかない。でも、潤んだ瞳で見上げる恋人を前に口を閉ざすことはできなかった。


「え、遥希くん?」


 ぐっと、僕は彼女を抱きしめ耳元で囁いた。



「あの人は、カルピリストなんです」

「えっ?」と、華奢な身体が僕の腕のなかで跳ねた。


 クッキングスタジオにいたのは応募用のお菓子を作る為で、僕は彼女の趣味を知っていたので協力したものの、秘密にするよう願われたので隠さなければならなかったのだと。


「でも、それって誰のことなの?」


 声を潜める梨香さん。同じ趣味をもつ彼女だからこそ漏洩しないように配慮してくれているのだろう。


「その前に、お花を摘みに行かせてらえないでしょうか?」

「え? どうしていきなり花壇なの?」

「そ、そうではなくて、お手洗いのことです」

「普通に言えばいいでしょ?」

「すみません、小走りで行ってきます……」


 トイレを済ませて冷静さを取り戻した僕は、泉さんに電話しようかと考えた。

 写真の女子がカルピリストだと知った時点で梨香さんは表情を取り戻していたけれど、その正体を知らぬまま過ごせるとは思えない。一度泉さんに連絡して相談させてもらったほうがよさそうだ。


「もしもし泉さん? 今、お時間よろしいでしょうか?」


 幸いなことに彼女はすぐに電話に出てくれた。学外のスタジオで練習しているらしく、こちらの事情を伝えると練習を切り上げて来てくれるということで、近所の喫茶店で待ち合わせをすることなった。


「ご迷惑をおかけしてすみません」

『隠し撮りされたら仕方ないわ。私も迂闊だったし、こうなったら九条がどれぐらいダイヤのことを理解しているのか確かめてやろうじゃない』

「ありがとうございます!」

 

 僕は頭を下げつつ、ほっと胸を撫で下ろす。

 誤解がとけること以上に、彼女が嬉しそうに梨香さんの名前を呼んでいたことに安心させられたのだ。

 趣味を打ち明けても仲良くなれるとはかぎらない。

 二人はどことなく住む世界が違うし、お互いに苦手意識もあるだろう。泉さんは梨香さんのことをイベントでいつも先回りされて目障りだと言い、梨香さんも彼女をパパ活疑惑のある生徒と恐がっていたはずだ。

 でも今の彼女たちなら親友にさえなれるような気がしていた。

 泉さんは梨香さんの優しさに触れて赤面していたし、僕が間に入れば梨香さんも恐がることなく打ち解けていけるだろう。


 優しい梨香さんと、つい斜にかまえてしまう泉さん。なんだかこの関係って、カルルピのパールとダイヤみたいだな。ダイヤも敵だった頃の癖が抜けきらずに皮肉った台詞を言うことがあるし。



 電話を終えると、僕は梨香さんと一緒に学校を出た。

 外には茜色の空が広がり、生暖かい風が吹いていた。夏が近付くにつれて日は長くなり、昼夜の寒暖差もなくなっている。


 喫茶店に着いたものの、泉さんはまだ来ていなかった。

 席をとる為に入店し、僕はその旨をメッセージで送信しておいた。

 店内はほぼ満席だった。大学生風の人が勉強していたり、スーツ姿の大人たちが歓談している。僕らはできるだけ奥の席を選び、泉さんを待った。


「遥輝くん。その人ってうちの生徒なの?」


 梨香さんに訊かれ、僕は首肯する。誤解がとけたことで先程までの沈痛な表情はきえ、新たなカルピリストに会える期待もあってか微笑を浮かべていた。


「生徒会室で訊かれたときは秘密にするように頼まれていたんですが、最後は事情を理解してくれて梨香さんにだけなら話してもいいと言われたんです」

「なんだか嬉しいわ。会ったこともないのに信用してくれるなんて……」


 そわそわする梨香さん。染めた頬を冷やそうとしているのか手で自分を扇いでおり、それが彼女の長髪をかすかに揺らしている。

 それでもまだ落ち着かないのか、しきりに首にかかった毛先を払ったり、足を組み直している。それもブレザーのない夏服で、ストッキングを履いてないという薄着姿で。


 そんなことをされると僕まで熱くなってしまう。

 恋人として密着しているときよりも、適度に距離感があるほうが表情や仕草にドキッとすることが多いのかもしれない。


「遥輝くん大丈夫? 顔が赤くなってるわよ?」

「梨香さんこそ、あまり動かないようにして下さい」

「そうよね。他のお客さんに迷惑だもんね」

「僕にとってもです。目の前で足を組んだり、髪をかきあげるような仕草は男子の心を盗んじゃうんですよ」

「え、髪が長いの嫌なの? もしかして短髪が好みだったの……?」

「長いほうが好きです。って、そうじゃなくて! ああもう、なにか飲んで落ち着きましょう!」


 幸い店内は賑わっているので僕らのズレた会話は誰にも知られずにすんだ。

 店員さんが来たので、ひとまず注文する。


「それじゃ私はアイスティーで。あっ、彼には緑茶をお願いします」

「えっ? なんで僕のメニューを勝手に決めたんすか?」


 しかもよりによって爺臭い飲み物をだ。オレンジフロートが飲みたかったのに……。

 緑茶をすすりながらアイスティーにミルクを注ぐ梨香さんを眺める。長く付き合ったカップルなら恋人のメニューを勝手に決めることもあるのかもしれないが、僕らはまだ日が浅いし、そもそも告白前からファミレスとかでこんなことをされた気がする。

 恋人云々以前に、メニューを決めてもいい従順系男子として見られているのかもしれない。


「なんだい。そんなキャラがいるもんか」


 僕はやけになって緑茶を飲み干した。


「遥輝くん、シロップをいれなくてよかったの?」

「これ緑茶ですよ?」


 それにしても泉さんが遅い。スタジオの住所は教えてもらっていたけど、ここから十分程度の場所だったはずだ。メッセージにも既読がつかないし、もしかすると練習を抜け出せないのかしれない。


「あれ?」


 スマホをホーム画面に戻したとき、着信が五件も入っていたことに気付く。すべて泉さんからで、奇妙なことにどの着信時間も数秒しかなかった。

 電波の都合とかで呼び出し中に電話を切ってしまうことは僕もあるけど、この回数は異様な気がする。折り返すべきかわからなかったけど、なんだか泉さんが心配でじっとしていられなかった。


 梨香さんにことわってから、店の外で電話をかけてみる。

 すぐに電話が繋がり安心したのも束の間、受話器から聞こえてきた女子たちの叫び声に、僕は震え上がってしまった。


「もしもし、泉さん?」


 呼びかけても反応がなく、なにかを叩くような不穏な音が聞こえてきた。

 僕は咄嗟に口を閉ざし、耳を澄ませた。


 きっと泉さんの身になにかあったんだ。

 それを伝えようと彼女は着信を入れ、状況を教えようとしているのだろう。

 やがて、男の声が聞こえてきた。それは近づいたり遠ざかったりするので一部しか聞き取れないけど間断なくつづいている。


「逃げるように」「学外で練習」「そんなに俺が」「気に入らない」「なめた態度」「とっていると」「内申点を減らして」「文句があるなら」「校長や理事長に言え」「お前らみたいな」「不良どもの証言を」「誰も信じない」「大人しく俺に従って」



 この声には聞き覚えがある。

 うちの教員であり、軽音部の臨時顧問となった嶋崎先生のものだ。

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