12.異様な月曜日
どうにも奇妙な空気だった。
朝から周囲の様子がおかしい。教室にいても廊下を歩いていても、生徒たちが遠巻きに僕を眺めてひそひそと話し込んでいる。それもそのほとんどが女子生徒で、理由を訊こうと近付いても逃げられてしまう。
いったいなにがあったのだろう?
僕は目立たないほうだし、一時期はカースト上位(?)の生徒に梨香さんとのことを弄りをまじえて訊かれたりはしていたけど、ここまで露骨に噂話をされることなんて皆無だった。
奇妙なことがもう一つある。
梨香さんの様子がおかしいのだ。どこか態度がよそよそしく、表情も暗い。なにかあったのなら教えてほしいけれど、部活の用事があるのか常に茶道部の人たちに囲まれていて話すことができないでいた。
昼食は生徒会役員の仕事がなかったので、教室で五条たちと弁当を食べた。彼らも異様な様子に感づいていたが、その原因に心当たりはないとのことだった。
昼休みが終わりにさしかかったとき、一人の女子が僕を訪ねてきた。
茶道部の人で、放課後に部室に来てほしいと言われた。僕は生徒会役員の会計なので部費の相談で呼ばれることがままあった。でもそれにしては態度が冷たく、声も尖っていたのが気がかりだった。
「まさか断罪イベントか? お前、悪役令嬢みたいなことでもしたのか?」
五条に心配された僕は浮気を疑われていたことを伝える。もし梨香さんが部員やクラスメートにも相談していたとしたら、軽蔑の目を向けられているのに説明がつく。
だけど先週まで何事もなかったし、土曜にはお姉様に諭されていたはずだ。今日になって急変するのはおかしい気がする。
「お姉様って、会長のお姉さん? まさかお前、恋人の姉と浮気しているのか?」
「そんなわけないじゃないか、っていうか浮気なんてしてない!」
彼女の母親に恋をしたり、彼女の姉に誘惑されたり、彼女の妹にキスをしてしまったりと、需要の細分化によって今時のラブコメは幅広くなったけれど、僕はそういうジャンルに進むつもりはない。
「たぶん浮気のことじゃないと思う。なにかの行事で迷惑をかけてしまったんだと思うから、詳しく聞いて対応してみるよ」
「もし部室に会長も同席して『根岸遥輝よ、貴様との婚約を破棄させてもらう!』とか言われたらどうする?」
「そんな、婚約破棄ものじゃないんだから……」
そもそも僕らの歳では婚約なんてできない。結婚前提や許嫁ものも流行ってはいるけど、そういう路線(?)に進むつもりもない。
放課後になった。
部室を訪ねると、隣接する茶室へと招かれた。床は畳張りで中央は炉畳という本格的な内装になっており、上座へすすめられて腰を下ろすと着物姿の部員たちが五、六人入ってきた。
これからなにを言われるのかと身構えたけれど、彼女たちは僕を一瞥すると無言で茶を点て始めたのだった。
「本日はご足労いただきありがとうございます。私たち、どうしても根岸さんに確認したいことがありまして。理由は、わかりますよね?」
「もしかして。梨香さんとのことでしょうか?」
張り詰めた空気のなか、茶筅の音が止まった。
窓から差し込んだ夕陽によって朱色に染められた彼女たちの顔が、一斉に僕へ向けられる。その鋭い眼差しを前に、背筋に冷たいものが走った。
やはり梨香さんは自分の悩みを部員(ゆうじん)たちにもしていたのだろう。彼女たちは梨香さんを守る為、僕をここに呼び出して詰問するつもりなのだ。
だが、恐がる必要はない。恋人を不安にさせたのは僕の落ち度だが、誤解である以上そんな証拠はないし、いざとなれば泉さんの協力だって得られるはずだからだ。
と、毅然とした態度をとるつもりが、一つの写真によって僕の決意はあっさりと打ち砕かれるのだった。
「これ、根岸さんですよね?」と、見せられたのは変装した泉さんとのツーショット写真だった。偶然モールにいた部員が撮ったらしく、フードコートでウィッグを返した後に腕を組んで歩いている時のものだった。
「恋人がいるのに真っ昼間から他の女とデートなんてすごい度胸ですね?」
「違います、これはそんなのじゃなくて……!」
「九条さんとは遊びだったんですか? それともあの人と付き合えたから自分がモテると勘違いしたんですか?」
「そんなことありません! 梨香さんとは真剣にお付き合いしています!」
「じゃあこの写真はなによ! こんなの明らかに浮気でしょう!」
「これは誤解なんです! 梨香さんに直接説明させて下さい! ずずっ……」
「そんなのダメよ! 九条さん、この写真を見てすごく落ち込んでいるんだから!」
「そんな……! ごくごく……」
僕は茶碗を置いた。
一人ずつ詰め寄ってくる彼女たちだが、なぜか質問する前に必ず茶碗を差し出してくる。悠長に味わっている場合ではないけれど、対面で淹れたてのお茶を出されては無視することができず、僕は答える前にそれらを飲み干していたのだ。
「もう九条さんは浮気したアナタの顔なんて見たくないと思いますよ?」
「誤解です、これには理由が……!」
「ちゃんと飲み終わってから発言して下さい!」
「す、すみません!」
なんだこの斬新な会話システムは? 飲み終えないと発言権が回ってこないのか? しかも飲みすぎたせいでお腹が膨らみ、尿意ももよおしてきた。
部員たちの集中放火はつづくが、ここで事実を言うわけにはいかない。泉さんの趣味(ひみつ)を梨香さん以外の人に知られるわけにはいかないのだ。
「だいたい誰よこの女は! まさかうちの生徒じゃないでしょうね!」
「え、ええっと……」
「なによ、ちゃんと答えなさいよ!」
「え~~、それにつきましては個人情報に関するので、回答を控えさせていただきます」
トイレの事情にくわえ、正座の影響でだんだん足が痺れてきた。こんな状態では頭が回らず、国会の答弁みたいな喋りになってしまい、それがますます彼女たちの怒りを増幅させてしまう。
「この女は誰かって訊いているの!」
「えっ……!」
「だから誰なのよ!」
質疑が浮気の真偽から写真の女子へすり変わっている気がするが、逆らえる空気じゃない。
「答えなさい、根岸遥輝!」
泉さんの為にも僕は黙秘した。そもそも彼女のことを知ってどうするつもりだ? まさか証人喚問するのか?
「生徒会会計、根岸遥輝!」
ふたたび国会の委員長……、じゃなくて部員に名前を呼ばれて僕は背筋を伸ばした。
迂闊なことを喋って揚げ足をとられないよう「先程申し上げた通りでございます」と、かわそうとすれば「誤魔化すんじゃないわよ!」「そうよ!」と、外野から野党みたいなヤジがとぶ。不規則発言は答弁の邪魔になるのでひかえてほしいんですが……。
「もう話しにならないわ、すぐに九条さんに謝罪して!」
「え、なにをですか?」
「浮気したことに決まっているでしょ? 私たちの前で電話しないさいよ!」
「無理です、それはできません!」
謝罪とは自分の非を認めることだ。梨香さんを傷つけたことはともかく、浮気について謝ることなんてできなかった。
しかし義憤にかられた部員たちは聞く耳を持ってはくれず、電話するまで帰さないとさえ言ってきた。どんなことをされても認めるつもりはないが、証拠写真があるので彼女たちも退く様子がない。
マズい……。このまま膠着すれば僕の膀胱に限界がきてしまう。そうなればますます梨香さんを失望させるかもしれないぞ。なんとしてもここは退席させてもらおう。
「すみません、ちょっとお手洗いに行かせてもらえませんか?」
「そんなこと言って逃げるつもりね?」
「違います、必ず戻ってくるので行かせて下さい!」
「嘘よ! もじもじしてるのだって演技なんでしょ!」
「わ、わかりました。では、おトイレはいいので、お花を摘みに行かせて下さい……!」
「茶室で汚いこと言わないでくれる? この便所男!」
なんだい。そっちのほうがお下品じゃないか。しかもなんだよ便所男って。こっちは必死に尿意に耐えながら話しているのに、妖怪みたいな異名をつけられるなんて……。
もうダメだ。彼女たちを振り切ってトイレに駆け込まないと、ここの畳を張り替えることになってしまう。
「すみません、失礼します!」
「こら、逃げるな!」
「うわっ、やめて下さい! 乱暴なことをされると一気に出ちゃうおそれが……!」
立ち上がった僕が床に組伏せられたとき、廊下から茶室の扉が開かれた。
僕を含む全員が一斉に顔を上げると、そこには他ならぬ梨香さんが立っていたのだった。
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