11.ダイヤに惹かれた理由


 ワッフルを焦がしてしまった僕らは急いで新しい生地作りに取りかかる。予定よりも少なくなってしまうけれど、ここでチャンスを捨てるわけにはいかない。

 と、その時、僕らに声をかける人が現れる。梨香さんだった。


「あの、よろしければ使いませんか?」


 梨香さんはホットケーキミックスを持っていた。これでもワッフルの生地を作ることはできる。他にも余っているからと卵や牛乳、ココアパウダーまで分けてくれたのだった。



「これを混ぜればココアワッフルが焼けますよ? たくさん具材を揃えていらっしゃったので、いろんな味を楽しみたいのかと思いまして」


 そのアドバイスに僕らは舌を巻く。見映えを重視するのなら生地にも拘るべきだった。



「いいんですか? とても助かります。あの、代金はいくらですか?」


 泉さんが慌てて財布を取り出すも「私たちも余らせて困っていたんです」と笑顔で首を振られてしまう。彼女の優しさは知っていたけど、学外で初対面の人に手を差し伸べるほどとは思わなかった。

 僕からもお礼を言いたかったけれど梨香さんはすぐに立ち去ってしまい、片付けを終えた姉妹とスタジオを出ていってしまうのだった。


「まさか助けられるなんて。九条ったら、パールにでもなったつもりなのかしら……?」


 貰った材料に目を落としながら泉さんが皮肉る。だけど先程までの蒼白さが嘘のように頬が染まっていた。これまでの交流でわかってきたけど、斜にかまえた態度が多いのは素直になるのが恥ずかしいからなのだろう。かえって分かりやすい人だ。


「急ぎましょう泉さん、早くしないと時間がきてしまいます!」

「わかってるわよ!」


 僕の目には去り際に梨香さんからされた「頑張って下さいね?」という応援ポーズが焼きついている。その厚意を無駄にしない為にも気合いを入れて調理にかかり、僕らの支援効果(れんけい)もあってどうにかタイムリミットまでに完成することができたのだった。

 あとは写真を撮るだけだ。

 僕が片付けを引き受ける間に、泉さんが撮影にとりかかる。スタジオの照明による効果だけでなく、梨香さんから貰えたココアパウダーのおかげで色鮮やかにすることができた。この写真にハッシュタグをつけて投稿すれば応募は完了だ。


「そういえば焦げた生地はどうしたの?」

「はい、僕がいただきましたよ」

「はっ? まさかあんた一人で食べたの?」


 唖然とする泉さん。だって捨てるのももったいないし、片付けを終えても撮影中だったから手持ち無沙汰で、焦げた部分さえ削れば普通に食べられたので……。


「すみません、泉さんも欲しかったですか?」

「いや、そうじゃなくて。ふっ、九条といいアンタといい変なやつばかりね……」


 苦笑いを浮かべる泉さん。ちょうどおやつの時間をすぎた頃で小腹が空いていたのだが、やはり焦げたものを食べるのはお行儀悪かったかもしれない。



 僕らはスタジオを後にして、フードコートへ向かった。


「泉さん。今日までのことを梨香さんに教えてよろしいんですか?」


 僕はあらためて訊いてみる。ちなみにここに来た理由はできたてのワッフルを味見することになったからだ。


「二人きりで訊かれたときだけよ。他の生徒会役員とかがいたらダメだからね?」

「梨香さんを、信頼してくれるんですか?」

「まぁね。アイツなら誰かの趣味(ひみつ)を嘲笑しないでしょうから。それと、協力者してくれたアンタに迷惑もかけたくないし。もしそれでも疑惑が晴らせなかったら直接説明してあげるわ」

「いいんですか?」


 思わず僕は頭を下げた。部員(ゆうじん)への面倒見がいいのは知っていたけれど、まさか僕に対してもここまで配慮してくれるとは。


「礼を言うのは私よ。お菓子作りも楽しかったし、なにより美味しそうでしょう?」


 泉さんはテーブルに広げたワッフルを手にとって微笑んでいる。僕も一つ選んで食べてみたけどとても美味しくて、梨香さんのおかげで見映えも更によくなっていた。


「根岸、ウィッグを噛んでいるわよ?」


 泉さんが僕の横髪に触れる。妙な食感がすると思っていたら毛先が口に入っていたようだ。

 髪を伸ばしたことがないので食事中に邪魔になるなんて思わなかった。辺りには顔見知りはいなかったし、フードコートに来る途中で梨香さんたちが帰宅する姿も確認している。マスクさえしていれば大丈夫だろうと、僕はウィッグを返した。


「似合っていたわよ」と泉さんにからかわれ、今更ながら女装していたことが恥ずかしくなる。

「あの姿も撮っておけばよかったわね?」

「ちょっと、やめてよ!」


 しかも、オネエ口調が暴発する副作用まで残っていた。

 しっかりしろ。僕は男だぞ。ポリコレに厳しい人から怒られるかもしれないけど、異性のような話し方は反感を招いてしまうことがあるから無闇にすべきじゃないんだ。

 僕はゆっくりと息を整え、先程と同じ表情をした。


「ちょっと、やめて下さいよ!」

「え? なんで言い直したの?」

「オネエ言葉を癖にしない為です」

「リテイクのつもり? なんかドラマの撮影みたいね」


 こんなことで性別を保てるかわからないけど、これぐらいしか抗う手段は思いつかなかった。


「九条の前で再発しないといいわね?」

「ちょっ、不安を煽るのはやめて――――下さいよ!」

「危なかったわね? もう一回やる?」


 テイクを重ねている間にバスの時間が近づき、僕らはワッフルをお互いのタッパーに分け始めた。

 均等にするのかと思いきや、妹がいるということで僕のほうが多く貰うことになったが、それにしても泉さんのが少なすぎる。彼女だって家族と一緒に食べればいいのに。明日は父の日だし、娘からの手作りお菓子なんて世の中のお父さんたちは喜ぶに決まっている。


「パパの分は気にしなくていいのよ。私の両親、離婚しているから」


 一瞬、僕らの間に歪な沈黙がおとずれる。マズい。またしても僕は余計な発言をしてしまった。家を訪ねたときの玄関の光景や、写真立ての様子から察することができただろうに。

 僕が石のように硬直する一方、彼女は黙々とワッフルを詰めていた。タッパーに入れられたものは自分と母親が食べる分だけなのだろう。そう思うとなんだか胸が締め付けられてしまう。梨香さんたちや、モールで父の日用の買い物をする母子の姿を眺めながら、彼女はどんな気持ちになっていたのだろう。


「ごめんなさい泉さん……」


 けれども彼女は怒ることはなく、むしろ離婚の理由が父親の浮気であることまで教えてくれたのだった。


「ママが怪我で入院していたときも浮気相手に会ってたみたいで、それがバレて離婚したの。理想のパパが一晩で屑男に変わるなんて当時はショックだったわ。ママもカウンセリングに通っていたぐらいだし」


 泉さんが顔をしかめた。

 浮気なんてパートナーへの裏切りだ。その罪深さを知っているからこそ本気で僕に蹴りをいれたのだろう。

 彼女がカルルピのダイヤに惹かれたのも、片親である境遇が重なったからかもしれない。外見や憧れもそうだけど、自分と立場や性格が似ているキャラクターであるほど感情移入しやすいと聞いたことがある。


「同情なんかいらないわよ。養育費や慰謝料を毎月搾り取れているからね」


 あくどい笑みを浮かべる姿に僕は一安心する。建学祭のときはこの妖しげな笑顔が苦手だったのに、今はなぜか無性に嬉しかった。あのときは敵にすら思えた彼女が僕たちのことを案じてくれている。そう考えると、なんだか不思議な気持ちで胸がいっぱいになった。


「白けた話をしてごめんね。そろそろバスが来るから行きましょう」

「とんでもない。泉さんのことが知れてよかったです」



 僕らは席を立ち、フードコートを出た。

 通路には大勢のお客さんがひしめいていた。館内放送によると今から屋上でヒーローショーが始まるらしい。それで階段付近に親子連れが多いようだ。

 正面から走ってくる子どもがいた。

 なんとなく嫌な予感がして、僕は泉さんの前に出た。どん、と子どもが僕にぶつかる。その子は僕を一瞥しただけでエスカレーターに飛び乗る。親は見ていたようだが、謝ることなくその子を追っていくのだった。


「どんくさいわね、避けなさいよ!」

「もし避けたらあの子が転んで怪我をするかもしれません。受け止めほうが安全なんです」


 妹がいるので子どもの扱いには慣れているつもりだ。

 衝突の寸前に腕の力で受け止めれば、お互いに怪我をせずに済む。

 体が小さいからと侮ってはいけない。子どもは危険を気にせず全力で走るので、転んだから大怪我をすることだってあり得るんだ。


「一緒に歩きましょう。また誰か走ってくるかもしれませんし、傍にいたほうが安全です」

「もう。いちいち大袈裟なんだから」


 僕らはモールを出るまで腕を組んで歩き、どうにか無事にバス停まで到着できた。


「たしかにすごい人だったわね。客数はカルルピのショーに匹敵するかもしれないわ」

「景品でも当たるのかもしれませんね。あっ、そういえば泉さん……」


 僕は声を落とすと「今もアルバイトは続けているのか訊いた。

 泉さんはスーツアクトレスとしてパールを演じていたことがある。これも余計な詮索かもしれないけど、無許可のアルバイトは場合によっては退学処分となる。僕は彼女にそうなってほしくなかったんだ。


「バイトならもう止めたわ。疲れるし、顔見知りが来たこともあるからね」


 顔見知りとは僕らのことだろう。彼女がパールを演じていることを知らずに僕は凛と一緒にショーに来たことがあるのだ。


「それならよかったです。友だちが退学処分なんて、僕も嫌ですから」

「誰が友人よ? たかが数日一緒にいただけで調子にのらないでくれる?」


 ぐぎっ! と、組んでいた腕に力が込められて僕は冷や汗をかく。

 体格に反して力が強い。軽音部ってライブ中に楽器を担ぎつづけるから腕力が鍛えられるのだろう。でも、言葉に反して泉さんは嬉しそうだ。友人とまではいかなくても僕のことを認めてくれいるらしい。やっぱりこの人、わかりやすいな。

 帰りのバスに乗り、泉さんのマンションで僕も降りた。

 彼女からは断られけど、ワッフルや調理道具を抱えてあの階段を上るのはキツいだろう。

 家の前まで荷物を運ぶと、僕は挨拶を済ませて立ち去った。

 休んでいかないか訊かれたけど、お母様がいるかもしれないのにお邪魔するわけにはいかないだろう。


「では失礼します。発表を楽しみに待ってますね」


 お菓子の入賞発表は今月末だ。そのなかでも素晴らしい作品は特別賞として、番組内のミニコーナーでダイヤ自らが発表してくれることになっていた。


「そうね。たぶん当日はドキドキしてると思う。あっ、見て、けっこう支持されているわよ!」


 投稿された写真はたくさんのイイネがされていた。

 検索すると他にも素晴らしいお菓子が応募されていたが、僕らの作品だって負けてない。


「偽名で応募して正解だったわ。もし特別賞に選ばれたら九条にバレるもの。まぁ、助けてくれたんだから文句は言えないけど」

「そうですね。一時はどうなるかと思いましたが、結果オーライです」

「アイツのこと、泣かせるんじゃないわよ? 本当に浮気なんてしたら首を絞めるからね?」


 泉さんならやりかねないな。実際、屋上でされたことがあるし。


「泉さんも、もし部活での悩みがあったら教えて下さい。力になれることがあるはずですから」

「平気よ。嫌な顧問がいても、今月末の受賞発表まで毎日わくわくしながら登校できるもの」


 まだ受賞と決まったわけではないのだが、彼女は子どものように目を輝かせる。


「安心しなさい。あんたにも景品は分けてあげるから」

「ありがとうございます」


 僕は泉さんと別れ、マンションを出た。

 不意に視線を感じて振り仰ぐと、ベランダに泉さんの姿があった。見送ってくれていたらしい。ひらりと手を振ってくれたのでお辞儀をすると、なぜかスマホで撮影されてしまった。


「え? なんで撮ってるんですか?」


 とにかく、これにて泉さんとのお菓子作りは一段落だ。

 手提げからワッフルのあまい匂いが漂い、無性にお腹が空いてきた。早く持って帰ろうと、僕は足早に家路につく。

 まさか今日の出来事が新たな問題を引き起こしていることに、このときの僕は気付いていなかったのだった。

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