10.予想外の展開
ワッフル作りの為にクッキングスタジオへ来たものの、なんとそこには梨香さんがいた。しかも僕らが使用する調理台の真横にである。
「どうしたの根ぎ――、ちょ、なにすんの!」
僕は泉さんの手を引いて調理台の陰に隠れた。
「ゾンビみたいな顔してどうしたのよ?」
「泉さん、隣に梨香さんがいるんです!」
「はぁ? そんな偶然があるわけ――、げっ、本当だ!」
つまみ食いをするお姉さんを叱ったり、妹さんを手伝ったりしながら料理をしている。
「まさか九条がいるなんて……しかもアイツ、姉妹がいたのね」
「週末は家の用事があると言ってたんですけど、ここを利用中とは予想外でした」
どうやら父の日用のパンケーキを焼いているらしい。たしかにサプライズで渡したほうが喜んでもらえるだろう。今頃は我が家でも凛と義母さんが父さんの不在を見計らって夕食を作っているはずだ。
「あの~~『ダイヤぺろぺろ』の二名様、いらっしゃいますでしょうか?」
スタッフさんがやって来て慌てて立ち上がる。設備のことを説明されるも、僕は身を縮めるのに精一杯で耳に入らなかった。こんな状況でワッフルを作るなんて無理だ。ここまで近くては梨香さんに気付かれるのも時間の問題だぞ。
「根岸、これを使って」
泉さんが鞄から予備のウィッグとマスクを取り出してくれた。よかった。これで顔は隠せる。
「あっちはもうすぐ終わりそうよ。それまでこれで耐えてもらえる?」
「わ、わかったわ。頑張りましょう?」
「なんでオカマ口調なのよ?」
「性別を偽れば気付かれにくいと思って……」
「よけいに目立つからやめて!」
なんとか調理に集中しようとするが、隣の話し声が気になってしまう。しかもその話題は恋人(ぼく)に関するものだった。
どこに遊びに行ったのか、どんなことを話すのか、部屋に行ったときに襲われなかったのかと姉妹に訊かれ、その度に梨香さんには頬を染めながら好意的な返答をしている。盗み聞きは悪いことだけど、自分のこととなると耳をふさぐことはできなかった。
「陰で評価するのは本当に好きな証拠よ。よかったわね?」と、泉さんからもつつかれて赤面してしまう。
「あら? 照れているの?」
「それもあるけど、梨香さんたちの姿が眩しいの……」
「無理に女子っぽい喋りをしないで」
僕は三姉妹に横目を向けた。
お姉様も妹さんも梨香さんに勝るとも劣らない美貌と可憐さを持ち合わせており、フリルの付いた純白のエプロンに身を包んだ彼女たちは天使のようである。これが女の園というものか。なんだか近くに天馬とかがいてもおかしくないくらいに輝いており、眺めているだけで全身が熱くなってきた。
もっとペガサス三姉妹……、じゃなくて九条家三姉妹を観賞したかったけど「最近、遥輝くんが隠し事をしてる気がするの」と梨香さんが口にするや、花園の空気が不穏になるのだった。
「成績のことを悩んでいるらしいけどそんな雰囲気じゃないし、スマホの着信を気にしてばかりいるの。まさか他の女子と連絡をとっているのかな?」
「浮気ね……。梨香の彼氏にそんなスペックなさそうだけど」
「うん。お姉ちゃんの彼氏って平凡すぎるもん」
姉妹の言葉が手槍のように心に刺さり、それを否定できないことも虚しかった。
だが、梨香さんは首を振った。
「二人とも遙輝くんのことを知らないんでしょ? 私も知り合う前は彼のことを目立たない人だと思っていたけど――」
思っていたけど……? 最初はそう思われていたけど、今はどうなんだろう?
それが気になって調理を進めることができない。
「――でも、とても素敵な人よ。変装した私に席を譲ってくれたり、凛ちゃんのお世話があるのに生徒会役員にも出て、トラブルがあれば必ず守ってくれるんだもん」
ありがたい言葉に耳が赤くなってしまう。いかん。いかんぞ。包丁を扱っているのに余計なことに気をとられてはいけないのに。
「私以外に彼のことを好きになる女子(こ)がいても不思議じゃないわ」
「へぇ。たしかに隠れファンもいそうだけど、だからってすぐに浮気と決めるのは飛躍しているわ。恋人だからって秘密にしていることぐらいあるでしょうに」
「そう、かな……?」
「私に今まで告白した男どもは皆そうだったわよ。いい歳して戦隊ヒーロー好きなのを隠していたとか、優等生ぶって試験の答案を盗んでいたとか、実は女だったとか。千差万別よ」
「そっか。そうだよね。遙輝くんだって秘密にしていることぐらいあるわよね」
「そうそう。長い付き合いになれば、そのうちわかるわよ」
お姉様に諭されて沈んでいた表情が戻っていき、やがて悩みが吹っ切れたように料理を再開するのだった。
お姉様のフォローには感謝しなくてはならない。僕の噓で不安になっていた梨香さんを救ってくれたのだから。というかあのお姉様、男装女子と交際していたのか?
「ごめん根岸。九条に噓をついたのって、私が脅したからでしょう?」
振り向けば泉さんも手を止めていた。ホットプレートで生地を焼いてはいるが、具材の準備をすることなく顔を伏せている。
「泉さんのことは隠せたので安心して下さい?」
「それはありがたいけど、あの様子だとまた追及されるわよ。潔白を証明しないと別れることになりかねないわ」
「そんな……。本当に浮気をしているならともかく、誤解だけでそんな――、痛っ!」
そう言うなり脛に蹴りがとんできた。
「おバカ、一度でも浮気の容疑がかかったらそれ以降ずっと疑われるのよ! 時間が解決すると思わずにもっと危機感をもちなさいよ!」
「す、すみません! 浅はかでした!」
周囲に人がいるので声を落としているものの、鬼のような形相で詰め寄られているので僕にとっては怒鳴り声のように聞こえていた。
「まったくもう! いい歳してそんなことも知らないなんて恋愛経験が足りないわよ!」
「ぐふっ……!」
痛いところを突かれるが、本当なんだから仕方ない。
たしかに僕だって浮気されていると思ったら気が気でないし、今までと同じように接することもできなくなるだろう。
そもそも噓をついたことは事実だ。
少し考えればわかることなのに、僕は自分本意になっていた。
ここで泉さんに叱られていなければ破局していたかもしれない。この痛みを戒めにして、今後はもっと相手(パートナー)の立場から考えるようにしよう。
「なんでヒールの踵蹴りを受けて前向きな顔になるの?」
「おかげで梨香さんの気持ちに気付けたからです。もしまた僕が間違いを犯したら、容赦なく蹴ってもらえないでしょうか?」
「ドMみたいなこと言わないで。まさか九条ともそんなことしているの?」
それにしても泉さんの豹変には驚かされた。
カルルピ以外のことで、それも他人の恋愛に関して感情を爆発させる人だなんて思わなかった。
ここまで真剣になってくれる人なら僕の希望を聞き入れてくれるかもしれない。これ以上噓を重ねない為、応募用のお菓子作りを手伝っていると梨香さんに打ち明けることを。
「泉さん、お願いがあるんですが――」と、言いかけた瞬間、僕は耳を疑った。
「また九条から疑われたら、私のことを話してもいいわよ?」
「え?」
「そうすればあんたも良心の呵責に悩まなくていいでしょう?」
僕は唖然とする。梨香さんに伝えていいんですか? そんなことをしたら貴女の趣味を、カルピリストであることを知られてしまうんですよ?
そのとき、僕らの間に黒煙が割り込み、焦げ臭い匂いが漂った。
「あの、生地が焦げてませんか?」
「えっ……、噓っ!」
ホットプレートを開くと、生地が黒焦げになっていた。
どうやら設定温度を間違えたようだ。スタジオでかりたものなので扱いに慣れていなかったのだろう。しかも大型のホットプレートだったので生地の半分を消費してしまっていた。
「ごめん、ちゃんと確認していなかったわ……」
「大丈夫です。モールにはスーパーもありますから今から材料を買いに行きましょう」
僕が提案するも、泉さんは唇を噛んでいた。
「どうしたんです?」
「私としたことが、こんな下らないミスをするなんて……!」
ぐっと、拳を握りしめ目を潤ませる姿に動揺してしまう。
泉さんの責任じゃない。僕が調理に無関係な話しをしなければ防止できていたはず。それなのに彼女が自分を責めるなんて……。
「ごめんなさい、すぐに材料を用意してきます!」
「でも、時間が足りないわ!」
たしかに使用時間はあと三十分もない。今から他のテナントで買い物をして料理をする余裕はないし、延長を頼むにも次の利用者が受付で待機していた。
「くそっ、こんなはずじゃなかったのに! 今まで何の為に戦ってきたのよ!」
「残った生地を焼きましょう、具材は完成しているので間に合います!」
泉さんの涙を拭い、僕は生地焼きに取りかかる。
量が少ないのですべての具材を挟むのは難しいけれど、僕のミスでスタジオで写真を撮れるチャンスを捨てるわけにはいかないのだ。
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