07.『私じゃ、ダメなの?』


 立花姉妹に助言した梨香さんだったが、その顔はすかに引きつっている。かつての恋人に趣味を嘲笑されたことを思い出しているのかもしれない。きっと助言したのも後輩に辛い経験をさせたくなかったからだろう。その優しさに感心させられる一方、苦い記憶にまだ悩まされているのではないかと心配になってきた。

 思わず声をかけるも彼女は会長としての仮面を崩すことなく「大丈夫よ」と囁くのだった。


「さぁ、時間が押しちゃったわ。すぐにお昼をいただきましょう」


 予鈴が近づき、室内は慌ただしくなる。皆が急いで昼食をとるなか、梨香さんが僕の弁当に気付く。「いつもと雰囲気が違うわね」と言われるや、立花姉妹に動機を暴露されてしまった。


「それで野菜炒めにしたの?」

「はい。梨香さんに言われたとおり、自分で切られるようになろうと思ったんです」

「すぐに実践なんてすごいわ。少し味見させてもらってもいい?」


 上品な箸使いで野菜を口に運ぶ梨香さん。二人きりのときは食べさせあったりするが、今日は立花姉妹がいるので無理だった。


「うん! 綺麗に切られているから食べやすくて美味しいわ! 星五つ!」

「ありがとうございます……。その評価方法どこで習うんですか?」


 鈴音よりも星が少なかったのが気になるけど、喜んでくれているのは間違いない。

 梨香さんに褒めてもらえるのなら、こうして寄り添って昼食をとれるのなら徹夜したかいがあったというもの。もっと彼女が笑ってくれるように、僕が料理をご馳走できるくらいになりたかった。


 だけど、今はお菓子作りを優先しなくちゃいけない。

 きっかけはともかく、泉さんに手伝うと約束したんだ。普通の料理よりも慣れているといっても、ワッフルを焼いたことはない。締め切りまでに少しでも上手になれるよう、今晩からそちらに時間を費やそう。


 それに、彼女自身のことも心配だった。

 校内で見かけるかぎりは平気そうだったけど、あんなふうに叫ぶからには深い悩みがあるに違いない。梨香さんを利用して脅してくる相手に深入りするのは避けるべきだけど、あそこまで悲痛な声を耳にして放っておくことはできなかった。


「あっ、根岸先輩が箸を持ったままフリーズしてる」

「こら! 同じミスを繰り返すな、軍法会議にかけるぞ!」


 考えごとをするあまり、姉妹に叱られてしまった。このくだり、さっきもあったような気がする。


「遥輝くん、哲学者の顔真似はもういいから早く食べましょう?」

「すみません、もっと似せられるように頑張ります……」

「べ、べつに似せなくていいのよ?」


 泉さんからは約束のこともダイヤ推しであることも秘密にするように言われている。迂闊な発言をして誰かに知られぬよう、僕はひたすら野菜まみれの弁当を掻き込むのだった。



 □■□■□



 校内に間延びしたチャイムの音が響き渡る。生徒たちが補習授業や部活動に向かうなか、僕はパソコン部の部室にいた。ここではオープンキャンパス用のPVが作られており、その進捗状況を確認するよう梨香さんに頼まれていたのだ。

 パソコンには部員であり僕の友人でもある五条渡が腰かけ、しきりに画面を止めてテロップを挿入している。朝日をあびる校舎を背景に学校名がフェードインする映像は本当に見事で、まるでプロが作ったような出来栄えだった。


「すごい。パソコン一つでこんなことができるんだね」

「編集ソフトのおかげさ。有料のならもっと便利な機能がついている……。うん、あとは正面からの映像を追加すれば完成だな」


 僕と会話しつつも五条が手を止めることはない。いつもは気だるげな顔を引き締め、眼鏡の奥の眼差しを鋭くして作業する姿はトレーダーのようだった。

 五条は昇降口を背景にした映像を撮ってほしいと電話する。他の部員は映像の素材を増やす為に屋外にいるのだ。



「最初に絵コンテで全員にイメージを共有すべきだったな。こんなやり方だと効率が悪いが、けつかっちんな状況だから仕方ない……」

「急かしてごめん。でも無理に追加しなくても今のままで十分だと思うよ?」

「気遣わなくていい。俺たちは凝り性だから気になったら修正しないと納得できないの」

「そうなんだ。でも、PVは朝の映像だったよ。撮った時間帯が違うと影が不自然にならない?」

「ほぅ。よく気付いたな。そういうのもある程度なら編集できる。天気さえ同じピーカンなら、俺たちの力で自然なカット繋ぎにしてみせるぜ」

「あ、ありがとう……」


 なんだかめちゃくちゃ心強い。業界用語の使い方も様になっている。パソコン部って、そういう活動をするのが普通なのか?


「明日には完パケを届けられる。会長や立花ちゃんたちにも伝えておいてくれ」

「承知しました……」

「なんで急に敬語なんだよ?」


 ちなみに撮影にはドローンも使われている。これは顧問が所有しているものらしく、部員たちが頼めば快くかしてくれているというのだ。


「へぇ。パソコン部の顧問って優しいんだね」

「先生の監視下でしか飛ばせないが、それでもありがたいぜ。十万もする機械をかすなんて俺にはぜったいに無理だ」


 ドローンだけでなく、部員たちを情報機器の展覧会等に連れて行ってくれることもあるらしい。生徒会役員と違って部活には顧問がいるから課外活動も充実しているのかもしれない。


「顧問といえば、軽音部のことを知っているか?」

「え? 軽音部になにかあったの?」


 予想外の話題に、僕は食いついた。

 五条は少し目を見開くと、こんなことを教えてくれた。


「顧問が育児休暇で不在なんだけど、代理が嶋崎先生らしいぞ」

「嶋崎先生?」


 その名を聞いて、僕は拒否感を抱いてしまう。

 背は生徒よりも低いけれど体格はがっしりしていて、運動部の男子でも萎縮する先生だ。

 ただ、問題なのは外見じゃない。

 この人はその時の機嫌によって番書や口調が大きく変わる。上機嫌なときは提出物を忘れた生徒を笑って許すけど、そうでないときは問答無用で机を蹴りとばすような人なのだ。これが問題化しないのは、担当が履修時間の短めな保健体育であることと、こうした素振りを他の先生たちの前では決して見せないからだった。

 以前、クラスメートが怯える姿に我慢できず担任や理事長(かあさん)にうったえたけど、皆が半信半疑で聞き取りをすると言われたきり大した変化はなかった。

 宿題を忘れた生徒にだって過失はあるし、世間では反対されるけど体罰が必要なときもあるかもしれない。でも、その判断を感情で下すのは間違っている気がする。



「学生時代にベースをかじったらしいけど、嶋崎って指導ができるタイプには思えないよな。どこの運動部からも顧問を外されているみたいだし」

「そう、だね……」


 もしかすると、これが泉さんの悩みの原因なのかな。部員たちと仲良くしていたのなら、顧問と問題がある可能性が高い。


「なんで軽音部のことを心配する? 愛しの会長を傷つけた連中だろう?」

「たしかにそうだけど、放ってはおけないよ」

「殊勝な心掛けだが生徒会役員の仕事じゃないぞ。向こうだってお前が来たら煙たがるはずだ」


 五条の言う通りだ。僕は予算のことで軽音部と揉めたことがある。トラブルの最中にそんな人間がしゃしゃり出てきたら迷惑だろう。


「なにをするかはお前の自由だが、距離感は大切にしておけよ」

「うん。気を付けるようにするよ」


 僕はパソコン部を後にすると、生徒会室でPVのことを梨香さんに報告した。彼女も生徒会役員の紹介文を作成しており、その添削を終えたところのようだった。



「ありがとう。遥輝くんのおかげで捗るわ」

「お安いご用です。五条たちとは話し慣れていますし、他にも困り事があれば教えて下さい。頼られたほうが嬉しいので」

「それはいいんだけど、遥輝くんこそ困り事があるんじゃないの? お昼のときも難しい顔をしてたわよ?」

「ええっと、困っているというか、悩み事というか……」

「どうして教えてくれないの? 私じゃ不安なの?」

「え? 梨香さん?」


 ブレザーの裾を引っ張られ、僕は彼女の前に立たされた。

 誰もいない室内で男女が向き合う姿というのは告白やキスをする光景にも見えるけれど上目遣いで見上げてくる梨香さんの瞳は、ひどく揺れていた。


「今まで励ましてもらったり、守ってくれたのが嬉しくて、だから私も遥輝くんの役に立ちたいって思っているのに……」


 梨香さんの声が沈んでいく。そこには生徒会長としての美貌も、二人きりのときに見せてくれる可憐な光もない。今まで見たことがないような暗い表情に、僕は焦ってしまった。


「梨香さん、じつは――」


 だけど真実を伝えることはできず、苦手な科目の試験対策を練っているのだと咄嗟に嘘をついてしまった。


「本当なの?」

「ええ。いつも赤点すれすれの教科があるんですけど勉強しても成績が上がらなく。期末試験の後で梨香さんにそれを知られるのが怖かったんです」

「なにそれ? そんなことで遥輝くんのことを嫌いになったりしないわ」


 梨香さんが顔をほころばせ、僕は安堵の息を漏らす。だけど本気で僕なんかのことを心配してくれて、一緒に勉強しようとさえ言ってくれる姿に後ろめたい気持ちになってしまう。

 嘘なんかつくべきじゃないし、つきたくもない。すぐに感情が表情(おもて)に出てしまう僕の責任なのはわかるけど、梨香さんにだけは打ち明けたいと泉さんに伝えるべきだ。部活で悩んでいるところ申し訳ないけれど、そうしないと僕は嘘を重ねてしまう気がする。


「それじゃ今度、私の部屋で勉強しましょう?」

「え、梨香さんお部屋でですか?」

「うん。参考書が揃っているから効率もいいはずよ」


 いかん。いかんぞ。

 初めてではないとはいえ、彼女の部屋にお邪魔できることを喜ぶ自分がいる。嘘をついておきながら、少しラッキーと感じるなんて人として失格だぞ。僕はなんとか理性を保ち、学校で勉強をすることを約束するのだった。


 しばらくして立花姉妹がやって来た。

 今日やるべき生徒会の仕事はほぼ済んでおり、後は梨香さんたちに任せて大丈夫そうだ。僕は凛の迎えがあるので先に帰らせてもらうことにした。

 昇降口をでると湿った風に頬を撫でられる。校舎の周辺は晴れているけど、遠くから雨の匂いが漂ってきていた。

 僕は鞄から折り畳み傘を取り出すと、足早に保育園へと向かうのだった。


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