05.今後の作戦
僕らはお菓子作りを始める前に、ダイヤの好きな食べ物を考えてみることにした。
「ダイヤちゃんの好物といえば『鯖の昆布巻き』に『鮭の西京焼き』かしら?」
「そ、そうなんですか。女児アニメとは思えない渋さですね……」
「昆布巻き風のお菓子でも開発してみる?」
「僕らの料理スキルじゃ無理なので、別な方向から考えてみましょう」
ダイヤこと愛海は家族との親睦を深めたがっていたはず。それなら完成品を用意して食べるよりも、いろんな味を楽しめるようにすれば会話も弾むかもしれない。
「これなんかどうでしょう?」
僕は図書室で借りておいた本を取り出し、ワッフルサンドが載ったページを開いた。
「そんな地味なもので入選できると思うの? パフェとかのほうが映えるでしょ?」
「そんなことありません。小さめの生地をたくさん焼いて、イチゴやホイップクリーム、餡子やチーズを用意しておくんです。それで好きものをはさんで食べてもらえば楽しい食卓になると思いますよ」
僕が作ったゼリー同様、これなら選ぶ楽しさがあるし、苦手なものを避けてもらえるからリスクも減らせる。たしかに見映えは地味だが、自分でトッピングできるほうが審査員の心に刺さるかもしれない。
「なるほど、悪くない作戦ね……!」
僕の説明を聞くなり泉さんが弾けるような笑顔を見せる。目を星のように輝かせてレシピを眺める姿は天真爛漫を絵に描いたようで、普段とのギャップに別人を見ているような気分だった。
「なに? また黙りこんでいるけど?」
「すみません。泉さんが可愛い笑顔をされたのが意外だったので」
「恋人がいるのに私を口説くつもり? それならそれでもっと言葉を選びなさいよ。そんな低レベルなお世辞で喜ぶ人間なんていないわ」
「そんなつもりはありません。本当に驚いただけです。というか心配にもなってきました」
「どういうことよ?」
「学校での笑顔と違うから、いつもは自分を抑えて辛い思いをしているんじゃないかって……」
泉さんも本当は趣味を分かりあえる友人が欲しいのではないだろうか。梨香さんも以前は趣味を隠していたが、ファン倶楽部や動画投稿を通じて他のカルピリストと交流していたはずだ。
しかし、泉さんはどうだろう?
彼女は息抜きができる時間を保てているのだろうか?
僕の心配をよそに「社会で本心を隠すのは当然でしょう」と鼻で笑う。さっきまでの無邪気な笑みはきえ、学校で見かける作り笑顔に戻っていた。
泉さんの言葉は正しいが、自分の気持ちを抑圧しつづける苦しさはわかるつもりだ。梨香さんのおかげで救われたけど、僕も実母さんの幻聴に悩まされていたのだから。
「泉さんって、ダイヤのどんなところが好きなんですか?」
唐突に、僕は訊いてみた。
「いきなりなによ?」
「梨香さんはパールの頑張り屋なところが好きで、あの子の活躍を見ているだけで元気が漲るって言ってました。泉さんもダイヤを見てそんなふうに思うんですか?」
辛気臭い話を続けても仕方ないし、気遣っても素直に悦んでくれるような人ではない。それならせめて彼女の喜びそうな話題をふってみたかった。
「そうね。何事にも動じない気高さが好きかしら。光堕ちして印象は変わったけど、あの秘められた美貌は昔のままよ」
「そうですね。むしろ味方になってからのほうが素敵になりました。仲間との固い絆を守ろうと敵に立ち向かう姿は気高き姫騎士って感じがします」
「姫騎士! そう、まさにそれよ! なかなかいいこと言うじゃない、見直したわ!」
「あははっ、ありがとうございます」
「あんたはキャラクターを外見だけで判断する連中とは違うわね! そうよ、姿なんかよりも大切なことがあるのよ!」
泉さんがダイヤについての熱弁をふるい始める。お菓子作りがそっちのけになっているけれど、瞳を輝かせる彼女を止めることなんてできなかった。
かつての梨香さん同様、彼女も学校では趣味のことを隠しているのだ。せっかく周囲の目を気にすることなく、聞き役になれる僕もいるのだから存分に好きなことを喋ってほしかった。
泉さんが愛を語り尽くす頃には外はすっかり暗くなり、明かりを点けないと足元も見えないようになっていた。
「あっ、ごめん。喋りすぎたみたいね」
「こちらこそ長居してすみません。ではまた今度、お菓子作りのことを話し合いましょう?」
「は? 今度ってどいういことよ?」
「えっ、泉さん――――ぐえっ!」
それまでの笑顔が一変、氷のような表情で僕の胸倉をつかみ上げてきた。片手で。
「期限が短いことは知ってるでしょう、明日も来て手伝いなさい!」
「あ、明日は生徒会の活動があるので無理です!」
「さっきまで語り合っていたくせにダイヤと生徒会のどっちが大事なのよ!」
「それはもちろん梨香さん……、じゃなくて生徒会です! しかも明日は凛の迎えにも行かなくちゃいけないんです!」
「凛? もしかしてクイズ大会にいた妹のこと?」
力が緩められると狭まっていた視野が戻り、全身に血がめぐるのを感じる。危うく窒息するところだった。
「幼児のお迎えがあるなら仕方ないか。一人ぼっちにさせたら危険だもんね」
「ご理解ありがとうございます……」
「あっ、それなら私だけで試作用にワッフルを焼いてみようかしら?」
「えっ、お一人でですか……!」
それはあまりにも不安だった。
下準備で倉庫から凶器を運んでくる人だから、生地を焼く為に火炎放射機とか用意するじゃないだろうか? そんなことになったらマンションが全焼してしまうぞ! なんとしても阻止しないと!
「エ、エレベーターがないと食材を運ぶのも大変ですし、作るときは一緒にやりましょう? ねっ、泉さん?」
「どうしてそんなに焦っているの?」
「いえ、焦っていませんひょ?」
「なんで噛むの? たしかに作るときは誰かがいたほうが楽だけど……」
「キッチンに立つことだけがお料理ではないはずです。次回まではレシピや味のバリエーションを確認することにしませんか?」
「そうね。いろんな味や色彩のバランスを考えておけばいい写真が撮れるもんね」
どうにか泉さんを誘導して胸を撫で下ろすも、僕は彼女の逆鱗に触れてしまうのだった。
「泉さんも軽音部の活動がありますよね? 次の合流までは下準備をしつつ、お互いの活動に専念したほうが調理時間も確保しやすいと思いますよ?」
「そんなのいや! こんな大切な時期にあんな連中と時間を浪費しろっていうわけ? ふざけないでよ!」
「えっ……、あの――」
――すみませんと、頭が真っ白になりながらも僕は頭を下げた。
だけど冷静になるにつれて、僕はゆっくりとこちらを睨み上げる泉さんを見据えた。
「なによ……。文句でもあるわけ?」
声が鋭くなるけれど、それは言い過ぎたことを自覚しつつも間違いを認めることが、謝ることができなくて、あえて強気に取り繕っているような気がした。
「泉さん、本当にそんなふうに思っているんですか?」
「どういう意味よ?」
「だって……」
あんな連中?
あんな連中って、同じ部の仲間ですよ?
「うるさい! お菓子作らないなら帰って!」
「でも……!」
「あんたみたいな冴えない男子が家にいるのをママに見られたくないのよ!」
手斧を突きつけられながら、僕は閉め出されてしまった。
外廊下に出るなり扉越しに鍵をかける音が聞こえ、僕は余計な詮索をしたことを後悔する。趣味を理解できるだけで、心を開いてくれたわけではないのだ。カルルピとは無関係なことを喋るべきではなかったもかもしれない。だけど――
エントランスを出てマンションを見上げる。夜空を背にしてたたずむ建物には無数の目のように部屋の明かりが点っており、そのなかに泉さんの部屋を見つけるもすぐにカーテンが閉められてしまった。
「泉さん……」
あの部屋で見せてくれた笑顔は本物だと思う。だとすると最後の言葉も本心なのだろうか?
いいや。きっと違う。
もしそうなら退部するはずだし、学内の活動で得られた思い出や仲間が貴重なものであることは、今年から生徒会役員になった僕にもわかるつもりだ。彼女だって学校で本性を隠すのは当然だと言っていたから、ある程度の妥協はしているはずだ。
でも、それならどうしてあんなに怒ったのだろう? いくらダイヤの企画のほうが大事だからといって、あそこまで言えるのだろうか?
なんだかお菓子作りをしている場合ではない気がしてきた。
家路につく間も、僕はずっと泉さんにどう接するべきか考えていたのだった。
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