03.二人目のカルピリスト(?)


 キスをすることに迷いはあった。

 僕の恥ずかしい検索履歴によると、普通のカップルはこういうことをするのに一ヶ月はかかるらしい。

 付き合って二、三週間の僕らはもっとゆっくり関係を深めるべきなのかもしれない。けれど、今は梨香さんの気持ちに応えたかった。彼女だって緊張のなかスキンシップを求めてくれているのに、それを無視することなんてできない。

 それに、仲を深めたいと思っているのは僕だって同じなのだ。

 自分に嘘をつく必要なんてない。堂々と口づけを交わそう。


 華奢な体を腕のなかに抱き寄せると、彼女自身もそれを望んでいたかのように僕の肩にしがみついてきた。

 互いの温もりを肌で感じ合いながら、僕らはゆっくりと顔を近づけていく――――。

 ところが唇が重なろうとする寸前に家の電話が鳴った。

 はっと目を開けると階下から凛の声が聞こえてきた。


「遥兄ぃ、もうすぐママが帰ってくるってぇ!」

「マ、ママぁ? ママって、どなたでしたっけ?」

「遥輝くん落ち着いてっ、理事長のことでしょ?」

「えっ? なんで理事長が僕の家に?」

「お義母さんでしょ? 初めてここに来たときの私みたいになってるわよ?」


 あっ、そうだった! いかん、ドキドキイベントの最中だったせいで頭が正常に働いてない!

 一方の梨香さんはベッドから立ち上がり身だしなみを整えている。


「そろそろいい時間だし、理事長にご挨拶したら失礼するね?」

「義母さんに会っていくんですか?」

「当然でしょ。お邪魔しておいて逃げるように帰るなんてできないわ」

「すみません、梨香さん……」


 梨香さんには頭が上がらないな。そもそもお家デートだって映画のときのように凛が怪我をしないよう彼女から提案してくれたのだ。いくら仕事で不在とはいえ、僕の義母さんこと理事長が住んでいる家に足を踏み入れるのに抵抗があるはずなのに。


「さっきは残念だったね?」


 不意に囁かれてドキっとする。

 そうだ。

 少し前まで僕らはキスしようとしていたんだ。


「もう少しのところで中断されるのって、なんだか漫画みたいだね?」

「え、ええ。あるあるですね……」

「ねぇ、遙輝くん」

「なんでございましょう?」

「理事長が来るまでに、つづきをしちゃう?」

「えっ?」


 狼狽する僕に、彼女は「冗談よ」と笑う。

 ああ。いかん。

 外からエンジンの音が聞こえたから正気を保てたが、それがなければどうなっていたことやら。最悪、凛が見ている前で抱きしめていたかもしれない。


 玄関が開き、僕らは一階で義母さんを迎える。凛が今日のことを報告してくれたおかげで、義母さんも上機嫌だった。

 梨香さんを送る為に外に出ると、真冬のような凍てついた風に頬を撫でられた。日没までには時間があるのに辺りはめっきり冷えている。どうやら部屋での出来事のせいで体が熱くなっていたらしい。顔が真っ赤だよとお互いに笑い、けれどもこの温もりを失うのが寂しくて、僕らは寄り添って歩くのだった。


「梨香さん、今日はありがとうございました」

「こちらこそデザートご馳走様。私の好みを考えて作ってくれたんでしょ?」

「いえ。材料があの三つしかなかったんです」

「ふぅ~~ん。噓が下手な人。でも、本当に美味しかったな。遙輝くんならダイヤちゃん用のお菓子も作れたりして?」

「僕のレベルじゃ入選なんて無理ですよ。きっとファンが血眼になって応募するでしょうし――」


 ふとあることが思い当たり、僕は口を閉ざした。


「どうしたの?」

「そういえば、身近にダイヤのファンがいたような気がして……」

「えっ? 私以外にもカルピリストの知り合いがいたの?」


 梨香さんが目を輝かせた。カルピリストとは、カルルピが好きな人のなかでも上位に位置するガチ勢さんの呼称だ。決して決闘者(デュエリスト)のことではない。


「いや、たぶん勘違いですよ。そんな人がいたら梨香さんに紹介していると思いますし」

「そう、よね。高校生にもなって女児アニメに熱中している人なんているわけないもんね」

「梨香さん……」


 寂しげな顔をする彼女を前に、僕の胸は締めつけられる。

 日頃の人気もあって学校では梨香さんの趣味を理解してくれた人ばかりだったが、彼女ほど熱意のある人はいないので僕以外に会話についてこれる人はいないらしい。彼女の学校生活に支障がなかったのは安心だけど、僕以外にもわかりあえる人がいてほしかった。恋人としてではなく、友人として趣味を共有できる人がいたほうが充実するはずだからだ。


「でも悪口を言われたりはしていないし、友だちも私の趣味を受け入れてくれているし感謝しないとね。それに、私には凛ちゃんや遙輝くんがいるんだもん」


 梨香さんが腕を絡めてきたので、僕もそれに応えるように密着した。

 恋人と触れ合える夢のような時間だけれど、頭の片隅でなにかが引っかかっていた。


「どうしたの? また顔が哲学者になっているわよ?」

「やっぱり、他にカルピリストがいたような気がするんですが……」

「まだそんなこと言っているの? 私みたいに遙輝くんを屋上に呼び出して景品をねだるような人がいると思う?」

「ええっと。あったような、なかったような……」

「ここまで考えて思い出せないのならいないってことよ。そもそもそんな人がいたら、向こうから私に接近すると思うし」

「たしかにそうですね」


 梨香さんの言うとおり、僕の思い違いだったようだ。

 僕は考えるのを止め、梨香さんとの時間を満喫することにした。

 梨香さんやファンの人には申し訳ないが、女児アニメに熱中する高校生というのは少ないだろうし、うちの学校にいるとも思えない。きっと凛が家で友だちとのカルルピトークを報告したりするからそれと勘違いしたのだろう。

 それが間違いであることを思い知らされたのは翌日の放課後のことなのであった……。


「なんだか前にもこんな雰囲気で一日を終えたことがあるような気がする……」

「どうしたの遙輝くん?」

「あっ、いえ。なんでもないです」


 いつの間にか日は沈みかけ、綺麗な夕焼け空を追いやるようにどす黒い夜空が広がっていたのだった。



 □■□■□



 翌日の放課後。

 僕は学校の図書室に寄っていた。

 包丁の扱い方を覚える為、家庭科の教科書よりもわかりやすい教材を探していたのだ。


「あっ、この本がいいかも」


 写真付きでいろいろな野菜の切り方が載った本を見つけられた。これを参考におかずを作れば少しずつ上達するだろう。さっそく今晩からやってみようと意気込んで貸し出しコーナーに行くも、そこに広がる怪しげな光景に目を疑うことになるのだった……。

 なんだ、これ?

 カウンターに本が山積みになっている。ビル群のように並んだそれらは、すべてお菓子作りの本だった。まさか誰かが借りようとしているのか? いや、こんなに大量に運べるわけがない。書庫の整理でもしていたのだろうと思った矢先、背後から邪悪な気配が近付いてきた。


「ちょっと、どいてよ!」


 振り返ると一人の女子が、別な本の山を抱えて歩いてくる! しかも彼女は軽音部部長の泉智子だった!


「い、泉さん。この本を全部借りるつもりなんですか?」

「そうだけど、なにか問題があるわけ?」

「問題ありまくりですよ!」


 一度に貸し出せるのは五冊までと決まっているし、そもそもどうやって運ぶんですか?

 僕の予想通り図書委員の人からも注意されていたが、彼女に引き下がる様子はない。大至急お菓子作りを学ばなくてはならないのだと涙声でうったえている。


「泉さん、二、三冊あればたいていのお菓子は作れるようになりますよ?」

「あんたは引っ込んでて! こっちは来週末までに写真を撮らなくちゃいけないの! こんな処で時間をとられるわけにはいかないのよ!」

「ど、どうしたんですか?」


 いつもと雰囲気が違いすぎる。常に澄ました顔の大人びた彼女が、こんなふうに取り乱しているなんて……。

 いや。泉智子がキャラ崩壊した姿を僕は一度目撃している。

 というか、お菓子の写真ってカルルピの企画用のじゃないのか?

 その瞬間、稲妻のような衝撃が全身を駆け抜けた。


「思い、出した。思い出したぞ……!」


 前世の記憶が甦った転生キャラのような台詞とともに、彼女がカルルピのダイヤに心酔していることを思い出してしまう!

 昨日頭をよぎったのは、泉さんのことだったんだ!


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