02.恋人らしいこと
ランチタイムが終わり、後片付けが始まる。
料理は梨香さんに任せっきりだったので、僕が率先してすべて行った。
フライパンやまな板など、日頃はあまり使わない器具を洗っていると、我が家の食事事情を見直すべきかと考えてしまう。
義母さんも僕も料理が苦手で、食事はスーパーの総菜に頼りがちだ。唯一まともに作れるのが実父さんだけど、仕事の都合で家を空けることが多いのでまともな手料理を食べる機会は滅多にない。毎日食べたいと感激していた凛の為にも、もっと料理の腕を上げるべきだろう。梨香さんに言われた通り、まずは包丁の扱いを練習することから始めてみよう。
皿洗いを終えてリビングへ行くと、二人は録画した今朝のカルテットルピルスを鑑賞していた。
場面はとある少女が父の日用で作ったクッキーを奪われ、それをカルルピたちが取り戻そうと奮戦しているところだった。
『ふっ。こんなものでそこまで必死になれるとは、お前たちも若いな』
敵の幹部がやれやれなポーズをとる姿に、さっきの凛の元ネタはこれだと直感する。頻繁に出てくるキャラじゃないから見直すまで存在を忘れていたよ。
『この程度のものどこにでも売っているというに、なぜ貴様らはこれに固執する?』
『当然です、それはあの子がお父さんの為に心を込めて作ったものなのですから!』
最も怒りをあらわにしていたダイヤが敵を圧倒し、その隙にお菓子を奪い返すと四人の合体技が放たれる。捨て台詞を残して幹部が退場すると、変身を解いた彼女たちが少女のもとにクッキーを届けて物語は幕を閉じるのだった。
「今日はダイヤちゃんが主人公みたいなお話しだったね」
「ダイヤちゃんはパパと隔たりがあるからあの子の気持ちを守りたかったんだと思うわ。あ、脚本担当はこの人か。さすがキャラの掘り下げ回を作るのが上手いわ……」
「梨香さん、今朝のカルルピ見てなかったんですか?」
「うん。支度していたら見る時間がなくて。録画しているから明日でもいいかなって思ってたの」
「そうだったんですか……」
彼女の楽しみを奪ったことに申し訳なくなる一方、趣味よりも僕らを優先してくれたことが嬉しかった。
そういえば付き合ってから屋上のときのように暴走することはなくなった。これも凛が友だちでいてくれているおかげなのかもしれない。
と思ったのも束の間『番組の最後に素敵なお知らせがあります』というテロップが流れるや彼女の全身から怪しげなオーラが立ち上ぼり始めたのだった。
「お知らせってなに? まさかプレゼント企画? 凛ちゃん早送りしてもらえないかしら?」
「り、梨香さん落ち着いて下さい! 顔つきが、目付きが、金剛力士像みたいになってますよ?」
「なによーっ! 遥輝くんだってさっきソクラテスみたいな顔になってたじゃない!」
「えぇ? そんな顔になってました?」
CMがあけると、手作りしたお菓子の写真を応募してくれた視聴者のなかから抽選でダイヤの限定品をプレゼントするという旨が伝えられた。
『みんなが送ってくれた作品を参考に、私もパパに作ってみますね!』
ダイヤこと愛海は父との溝を埋めるきっかけとしてあの少女のようにお菓子を手作りしてみるというのだ。
さぁ。ガチ勢さんホイホイな企画を知った梨香さんの反応はいかかがなものか…………。
「なんだか違うような気がするな……」
「え?」
梨香さんの顔はデフォルトに戻り、全身から漲っていたオーラもすっかり収まっている。
ワンカット挟んだけでここまで変貌するのもすごいけど、それよりも彼女が興味を持っていないことに驚かされた。
「プレゼント欲しさにお菓子を作るのって変じゃないかしら? 受けとる人を喜ばせる為に作るのが普通だと思うの」
「凛もイヤだな~~。写真を撮るついでに食べさせられるのって、罰ゲームみたいだもん」
たしかに写真映えを重視して味付けが悪かったり、食べる人がいなかったら食材ももったいない。結局僕らはこの企画に興味をもつことなく、スルーしてしまうのだった。
「そういえば遥兄。ダンスの映像どこにあるの? 梨香ちゃんと一緒に見たいんだけど?」
ダンスとはカルルピたちがエンディングで披露しているもののことで、振り付けを覚える為のDVDが我が家にはあったのだ。新たな仲間であるダイヤがメンバーに加わったことでエンディングも変わり、それに合わせて新しいものが作られていた。
「まだ僕の部屋にあるから取ってくるよ」
「そっか。それじゃ梨香ちゃん、一緒に遥兄のお部屋に行こう?」
「はっ?」
凛がとんでもないことを仰りやがった。
「ちょっ、なんでそうなる?」
「だって遥兄、まだお皿拭いてないでしょ? ここで心置きなくゆっくりしてていいから」
「いや。いい。片付けは後回しにするから皆で行こう」
恋人が自室にいるのに落ち着いてなんかいられない。
しかもDVDは僕のノートパソコンにセットされている。なにかの手違いで検索履歴や、入力予測を見られようものなら一大事だ。
軽蔑されるかもしれないけど、僕だって健全な男子高校生。梨香さんと付き合う前は、一人でそういう世界を覗いていたんです……。
っていうかパソコン以前に部屋も散らかっていたような気がする。
よく考えたらちゃんとベッドのシーツを整えた記憶もない。昨日徹夜してゼリーを作ったせいで寝坊したから掃除をする暇もなかった。そんな部屋を見せたら梨香さんに幻滅されるぞ。
「なにしてんの遥兄、先に行くからね?」
「ちょっ、ちょっと待って! wait a minute!」
「なんで外国人になるの?」
慌てて僕も二階に上がると、凛たちは部屋の前で待っていた。
どうやら梨香さんが僕を待つように言ってくれたらしい。僕は素早くドアノブを回すと、特殊部隊さながらの動きで室内に身を滑らせて部屋を整える。ふぅ。これなら多少はまともだろう。
「遥輝くん、そんな変なもの部屋に置いてあるの? 次は待った無しで入っちゃおうかな?」
梨香さんに言われて赤面してしまう僕。なんだい。自分だって僕が入る前にチェックしていたのに。でも、凛を引き止めてくれてたのは感謝しないといけないな。こうしてからかわれることもあるけど、やっぱり優しい人なんだ。それになにより、小悪魔のような笑みを浮かべる梨香さんも、素敵だった。
「あれ? 遥兄、これ昔のダンスだよ?」
いつの間にか凛がパソコンを起動していたのだが、映っていたのは昔のものだった。
「おかしいな。昨日のお昼に練習していたはずなのに。っていうか、どうやってログインのパスワードを調べたんだ?」
「あっ、思い出した! 遥兄よりも早く覚えようと思って交換したんだった! 新しいの部屋にあるから取ってくるね!」
「あ、こらっ! 質問に答えなさい!」
逃げるように部屋を出ていく凛。ふと。僕は梨香さんが立ったままであることに気付く。
「あの。よかったら座って下さい」と、ベッドの縁にすすめて僕らは並んで腰かける。あいにく僕の部屋にはソファーやそのかわりになるものがないのだ。
梨香さんが部屋を見渡している。
フローリングの床にグレーのカーペット、こげ茶色の本棚と勉強机。目に映るのはそれぐらいなのに彼女はやけに楽しそうで、はしゃぐように足をばたつかせてさえいた。学校では見せない悪戯っ子のような仕草に僕は戸惑ってしまう。というか、スカートを履いているのにそんなふうに足を動かさないでほしい。
「だって、男の子の部屋に入るのって初めてなんだもん」
「そう、なんですか……」
なんだか恥ずかしくなって視線を合わせられなくなる。僕が訪ねたときも、梨香さんはこんな心境だったのろうか。いや。あのときは付き合う前だったし、しかもベッドに座ったりなんかもしなかった。
そのままどれくらい時間が流れただろう。
凛は自分の部屋に行ったきりで戻ってくる気配はない。
一緒に探そうかなと、立ち上がろうとしたとき、指を重ねられた。
「梨香さん?」
僕がベッドに置いていた手に、彼女が手を絡めている。突然のことに心臓が破裂しそうなほど脈打ち始めた。
「もう少し、このままでいたいな?」
「ですが……」
「お家デートなんだもん。これぐらいしたっていいでしょ?」
すっと距離を縮められ、部屋の匂いに混ざって高級そうなシャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。
「なんか、付き合ってから大胆になってません?」
「そんなことないよ。ちゃんと場をわきまえているもん。それに手を繋ぐだけで大胆なんて言わないでしょ。普通、大胆って言ったら――」
梨香さんが更に密着する。互いの息が混じり合うような近さのなか、彼女が僕を見てくすりと微笑んだ。
この笑顔は、反則だと思う。
こっちは必死で理性を保っているのに、そんなことをされてしまったら……。
「――大胆って言ったら」
恋人同士でする大胆なこと……。
それは、たとえば…………。
キスとか?
僕は生唾をのみこんだ。
梨香さんは瞳を閉じている。凛はまだ戻ってこないだろう。恋人らしいことをする時間はあるはずだった。
僕は梨香さんの肩に手をのせ、彼女を倣って目を閉じるのだった。
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