27.趣味よりも大切なこと
「早く行って下さい。九条先輩は部室でずっと待っていたんですよ?」
「え、どうしてそこに? あっ、でも、たしかにそう言われたかも……」
「茶屋だと空席ができるかわからないからそっちを空けておいたんです。生徒会で忙しいだろうから、当日はゆっくり過ごせる時間をあげようって、茶道部全員で決めたんです」
ということは、一時間ちかくも彼女は一人で待機していたのか。
いかん。それならここで見惚れている場合じゃない。
慌てて梨香さんたちのもとへ近づき声をかけるも、周りの熱量が凄すぎてかき消せてしまう。
「おい、邪魔だぞ! さっさとどけよ!」
突如響き渡った声に、僕は不吉な予感を覚えた。
見上げると二階から友人を引き連れた桑原が下りてくる。
その乱暴な口調に皆が嫌そうな表情を浮かべ、あれほど賑わっていたはずの廊下の空気は一瞬で冷えきっていた。
「ん? 九条のやつ着替えたの? へぇ、その格好で閉会の挨拶でもすんの?」
桑原も梨香さんの姿に見とれており、学外の男子たちも同様だった。
と、桑原の背後から見覚えのある男子が姿を現わした。
「え、九条って、もしかして九条梨香さん?」
その顔を見て、僕は思わず唇を噛んでしまう。
最悪だ。
梨香さんの現れたのは映画を見終わった後に出会ったあの男子、神崎だった。
「俺だよ、俺。覚えてくれてた?」
「神崎、くん? うん。久しぶりだね」
顔を引きつらせる梨香さんを目の当たりにして、僕は急いで人混みを掻き分ける。
彼が近づくのは僕には我慢ならない。
そもそも自分の犯した罪の重さをわかっていない。少しでも自責の念があるのなら、あんなふうにへらへらとしていられるわけがないのだ。
「へぇ。茶道部も生徒会長も続けていたんだ。俺は高校から軽音を始めて、今年から桑ちゃんとスタジオを共用してたんだよ――」
不意に神崎が失笑し、桑原が訝しげな顔をした。
「ごめんごめん。九条さんの黒歴史を思い出しちゃったんだ。さすがにもう卒業したよね?」
神崎の笑みに梨香さんは身体を震わせていた。
金縛りにあったように動かなくなり顔からはだんだんと血の気が引いている。
事情を知らぬ周囲の生徒たちが顔を見合せてその黒歴史とやらを気にしており、それは桑原も例外ではなかった。
まずい。
こんな大勢の前で暴露されるわけにはいかない。
「失礼しますっ!」と、僕はありったけの声で渦中に切り込んで梨香さんを連れ出そうとしたが間に合わなかった。桑原は神埼に耳打ちされるなり手を叩きながら爆笑していたのだ。
「マジかよ、いい歳してそんなのを見てるのかよ!」
彼らからの嘲笑に、梨香さんは会長としての笑みを絶やさずに耐えようとしているが、その目はひどく潤んでいた。
「桑ちゃん声がでかいよ。秘密にしてあげなきゃ可哀想でしょ?」
「いや、無理だって! ただえさえアニメなんて気持ち悪いのに、子ども向けなんて――」
「――そろそろ公演時間のはずですが、体育館に向かわなくてよろしいんですかっ?」
頭に血がのぼり、僕は唾を吐くような気持ちで桑原たちを睨んだ。
「え? 君は、前にどこかで……」
「コイツは生徒会の雑用だぜ。っていうか、俺が謹慎くらったのもコイツが原因」
ああそうだよ。
僕が原因ってことでいいから、そのかわりにしばらく黙っていてくれ。
「会長は部室へ行って下さい。理事長が待っているようですから」
「え、そうなの……?」
「はい。こちらでの用事は僕が引き受けますから」
梨香さんは僕の真意を感じ取ってくれたらしく、鼻を啜りながら頷いてくれた。
「は? おい、誰が‘用事’だって?」
早く彼女を避難させたいが、桑原が声を荒げて詰め寄ってくる。いいかげんにしてくれ。
「むかつく野郎だ、いつも偉そうにしやがって!」
それはこっちの台詞だ。
お前の言動でどれほどの人が傷つけられているか考えたらどうだ。
「ほら、早く行って……!」
後ろ手に梨香さんを送り出すなり、桑原に掴まれた。
周囲の生徒たちどよめくも、不意に桑原が僕を突き放し、なぜか顔を横に向ける。
見ると生徒指導の先生がこちらに駆け寄ってきていた。
「おい、ここでなにをしていた?」
「べつになにもしてないっすよ? ちょっと話し合っていただけです」
「話し合いだと? 本当は喧嘩じゃないのか? 誰か二人のことを見ていなかったのか?」
取り囲んでいた生徒たちが一斉に先生から顔を反らした。
僕は立花姉妹と目が合ったが、関わらないよう首を横に振って合図を送っておいた。
「先生、お二人の言っていることは本当ですよ」
「うん? 君は九条会長か? 君が言うのならそうかもしれないが……」
先生は梨香さんの説明に不承不承頷き、最後にトラブルを起こさないようにと忠言して、僕らのもとを立ち去るのだった。
「まったく、余計なトラブルおここすんじゃねぇよ! こっちはお前のせいで謹慎くらったばっかりだっていうのに!」
桑原にほざかれるも、僕は黙っていた。
言い返したい言葉は山のようにあったがここで口論になれば梨香さんの厚意が無駄になってしまう。
「行こう、根岸くん。私は平気だから」
そんなわけがないと言いかけるも梨香さんに促されて部室を目指すことになる。
僕は唇を噛んでいた。
せめて二人きりでいるときは安心して趣味を語れる時間を過ごしてほしいと願ったはずなのに、それを僕は守れなかったのだ。
「妙だと思ったぜ。あんな男とつるんでいるのはそういう理由か。残念な趣味をもっていると、あんな日陰みたいなやつとしか一緒にいられないんだろうな」
桑原の声が矢のように心に刺さるが、梨香さんの為にも耐えるしかなかった。
「あれ、梨香さん?」
ところが隣で梨香さんは足を止めている。
呼びかけても返事をせず、能面のような顔で突っ立っている。
やがて、階下から桑原たちの笑い声が聞こえるなり様子が豹変した。先程までの悲痛な表情と入れ替わるように恐ろしい形相を浮かべ、拳を振るわせていたのだ。
「あの、どうしたんですか?」
その場でくるりと踵を返して階段を下りていくと、彼女は桑原の前で爪先を揃えていた。
「なんだよ、なにか文句でもあるのか?」
散り散りになっていた外野も彼女の様子に気付いて集まっている。
立花姉妹や三人衆、そして茶道部の人たちもいる。全員が固唾を呑んだ次の瞬間、なにかが炸裂したような、耳鳴りを起こすような衝撃音がなった。
僕は自分の目が信じられなかった。
梨香さんは袂から腕を伸ばすと、桑原の頬に掌を振り抜いたのだ。
音を置き去りにするような速さのそれは平手打ちなんて生易しい威力じゃない。
よろよろと立ち上がる桑原だが、ガンっ! と、拳で壁ドンされて震え上がっていた。
「そう、私の趣味は女児アニメよ! カルルピのグッズだってたくさん持っているし、放送版と円盤の作画の修正箇所だって全部言えるわ――!」
潤んだ双眸を見開いて梨香さんが叫ぶ。
全員がその告白から目を離すことができず、ありのままの彼女を知っている僕でさえ唖然としていた。
「――恥ずかしいって自覚しているから嗤われても我慢してあげる! でも、趣味(カルルピ)以外で私の大切なものを……、彼のことをバカにしたら絶対に許さないからね!」
廊下のざわめきがひときわ大きくなり、いつの間にか全員の視線が僕へとそそがれた。
「返事は?」と、訊く梨香さんに桑原は呆然とし、無反応の彼に代わって神崎たちがこくりと頷いていた。
「そう。わかったのならいいわ」
梨香さんは顔を綻ばせて拳を下ろすと「ではごきげんよう。建学祭を楽しんで下さいね」と微笑みながら告げる。
なんという変身ぶりか。
憎悪に身を焦がした鬼のような顔が、瞬きする間に会長モードに戻るとは。
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