26.着物姿の彼女


 建学祭当日は晴天にめぐまれ、そのおかげもあってか人のいりは上々で、来場者数をカウントしていた副会長曰く、午前中の時点で前年を上回っているとのことだった。

 行事というのは不思議なもので、運営者として参加していると教室の配置はいかがなものか、バスのスケジュールに問題がないかなど、今まで意識しなかった視点で見るようになる。

 今年は生徒会として全体を俯瞰しつつ、ときには応援にも行かなければならない。

 来場者の気分になろうと、一度校舎を出て正門に設けられたモニュメントをくぐってみると、各部の部員たちが展示内容を記されたビラを配っていた。そのなかで一番目を引いてたのが茶道部だ。全員が青や黄色、黒といった色とりどりの艶やかな着物姿で、リボンのような飾り帯を巻いた人や、かんざしを挿した人までいた。


「皆さん、とても綺麗ですね……」


 思わず声をかけてしまうと、和服美女たちが一斉に集まってきた。


「ありがとうございます! よかったら後で休憩しに来て下さいね、根岸さん?」


「どうして僕の名前をご存知なんですか?」


「当然ですよ、なんたって有名人だし。今年から生徒会に入った『雑用少尉』さんですよね?」


 親近感をもたれるのは嬉しいが、そんな二つ名で喜ぶ男子なんていない。

『独眼竜』とか『白い死神』とかもっと中二病心をくすぐられる異名がほしい。



「ところで、九条さんとは最近どうなんですか?」


「え、どうと訊かれても……。っていうか、僕らは同じ生徒会員っていうだけですから」


「嘘っ? そんなわけないですよね? 九条さんにつきまとっていた桑原くんを追い払おうとして、喧嘩までしたんでしょ?」


「そ、そんなことしていません!」


 べつに桑原はストーカーではないし、僕の怪我も自業自得だ。それなのにこんな脚色をされるとは噂とは恐ろしい。


「ちょっと根岸くん、そんなところでなにしているの?」


 そこへ梨香さんがやって来た。

 僕の腕を掴むと、茶道部のメンバーから逃げるように僕を引きずろうとする。


「もう、ボサッとしてないではやく巡回に行くわよ!」


「ま、待って下さい! そっちは怪我した方の腕なんですけど……!」


「九条さ~~ん。二人きりの見回り頑張って下さいね~~」


「ちゃんと部室も空けてありますからね~~」


「後で報告して下さいね~~」


 きゃっきゃっと彼女たちが口に両手を添える姿に、梨香さんは紅潮している。


「い、意外ですね。梨香さんにもああいうお友だちがいるなんて」


「あんな意地悪な人たち友だちじゃないもん! っていうか、見惚れてないで仕事してよね!」


「すみません、着物姿って綺麗だからつい……。あの、梨香さんは着ないんですか?」


「わ、私はまだ生徒会の仕事があるんだもん!」


 先を歩く彼女は制服姿だ。

 茶屋のシフトは最後らしく、それまでは生徒会を優先するようだ。

 優先とはいっても、そんなにすることはないし、巡回も大半の展示が一階の教室で行われているので時間もかからないのだが。


 手芸部や美術部の展示を見ている途中、隣の教室から拍手が聞こえてきた。

 そこはパソコン部が使っている教室で、三人衆の発表が終わったところだった。

 来場者からの質疑応答を受けているのは五条たちだが、プロジェクターの前でマイクを握っているのは立花姉妹だ。


 

 僕は泉のアカウントを特定したお礼として助っ人を送ることを約束していたのだ。

 防犯用AIの研究は顧問からも絶賛されているらしいが、彼らは人前で喋るのが苦手だという。

 そこでパソコン部に興味をもっていた立花姉妹――というか美音――に発表を手伝ってほしいとお願いしたのだ。


 幸いなことに二人は五条たちと打ち解けていた。

 男たちに囲まれる姿はオタサーの姫のようだが奢る様子はなく、美音にいたってはサイバー戦について興味があるらしく、三人もプログラミングや画像解析の方法を真面目にレクチャーしている。

 生徒会では見せない美音の真剣な眼差しに、僕らは嘆声を漏らしていた。


「すごい熱心ね。美音ちゃん、このまま入部しちゃったりして」


「生徒会に入ったのも鈴音(いもうと)の付き添いと言ってましたから、ありえるかも」


「そっか。そうだったんだね……」


 梨香さんの寂しげな横顔に、僕は余計なことを口にしたと後悔した。

 生徒会といっても任期があるわけではないし、誰しも自分の好きな部活(こと)に優先して時間を割くのは当然といえる。

 それについては梨香さんも理解しているようだった。


「一番やりたいことが見つかったのなら爽やかに送りだしてあげなきゃね」


「そうですね。でも、生徒会にだって魅力的なことはあります。僕らで楽しくなるよう盛り上げていけば、掛け持ちでつづけてくれると思いますよ」


 僕の言葉に、梨香さんがきょとんとした顔をした。

 僕が首を傾げると、彼女はふふっと笑うのだった。


「なんだか私よりも会長みたいだね?」


「思ったことを言っただけです。せっかくの仲間(メンバー)を失いたないですし」


「うん。そうだね。私も根岸くんを見習わなくちゃ」


 そこで昼休みを告げるチャイムが鳴った。

 今日は土曜日だが、建学祭ということで学食も営業しており、来場者もそこで食事をとれるようになっている。もちろん学生(ぼくら)も利用できるが、僕はこれから吹奏楽部の荷物運びとして体育館に向かわなければならなかった。


「僕はもう行きます。会長はこれから茶道部ですか?」


「うん。今から着替えなきゃ。似合うかどうか自信ないけど」


「きっと綺麗ですよ。みんな驚くんじゃないですか?」


「もうっ。誰にでもそう言ってるんでしょ? さっきも外で鼻の下を伸ばしていたし」


「そ、そんなことないですよ、きっと梨香さんが一番似合うと思います」


「お世辞をどうも。とっても嬉しいわ」


 あれ、怒らせちゃった?

 なにを言ってもつーんとした態度をされ、とりつく島もない。

 そうこうしている間に時間は過ぎていく。急がないと吹奏楽部の撤収作業が終わってしまう。



「すみません、僕は先に行きますので」


 その場を離れようとしたとき、ぐいっと制服の袖を掴まれた。

 振り返ると「あとで来てね。部室で待っているから」と耳元で囁かれた。


「え?」


「『え』じゃなくて……、味見するって約束してくれたでしょう?」


 恥ずかしげな表情で僕を睨むと、梨香さんはそれ以上なにも言わず、足早に茶道部へ向かってしまった。

 茶道部の教室は一階の廊下の突き当たりだが、昼食がわりにお茶を満喫しようとする来場者も多く、ここからでもわかるほどの長い行列ができていた。


 巡回が途中で終わったので、あの教室にどんな光景が広がっているのかわからない。

 茶屋を模した飾り付けがされているようだが、それを拝むのは仕事を終えてからになりそうだった。

 体育館に入ると、先程まで公演していた吹奏楽部が撤収作業にとりかかっていた。

 僕が一人増えたところで大差ないかもしれないけれど、これから軽音部のリハーサルが始まるので早めに場所を空けるにこしたことはないのだ。



「おいっ、お前らまだ片付けが終わってないのかよ?」


 そこへ機材を持った桑原が現れる。僕らの様子を見て舌打ちすると、客席に腰を下ろして昼食をとり始めていた。


「飲食は控えていただけますか? 他の来場者にもそうお願いしているんです」



「うるせーな、っていうかなんでお前がいるんだよ」


 文句を言いつつも食事を中断する。

 謹慎処分の後だから以前よりも大人しい。

 立ち去る彼を目で追っていると、異様な集団が見えた。

 私服姿の見慣れない男子たちが体育館の入口で桑原に手を振っているのだ。どうやらスタジオをシェアしている他校の軽音部のようだ。


「桑ちゃん今からリハ? 俺たちも手伝おうか?」


「いいって、まだ他の奴らがいるからできないんだ」


「マジかよ。段取り悪くね? スタートまでの時間奪われているわけ?」


 僕らのことなどおかまいなしに彼らは談笑しながら体育館を去った。



「皆さん、気にせずに続けましょう」


 僕は声をかけつつ、積極的に重労働を引き受ける。

 台車も使って荷物用のエレベーターで三階まで運ぶのを繰り返し、片付けを終えた頃には一時を過ぎていた。

 手伝いをおえて茶道部の教室へ向かうも、そこには相変わらず長い行列ができていた。


 肩を落としてしまうも、室内の様子には驚かされた。

 緋毛氈(ひもうせん)のはいった縁台や朱色の傘が配置されており、そのなかを落ち着いた所作の茶道部がお盆にのせたお茶とお菓子を振る舞っているのだ。これなら行列ができるのも頷けるが、僕は不安になる。いくら室内を見渡しても梨香さんの姿が見つからないのだ。

 まさか生徒会の仕事が入って抜けてしまったのだろうか?


 ちょうど待ち時間を告げに部員が出てきたので、梨香さんのことを訊いてみた。


「あっ、あなたは二年の根岸さんですか? 九条先輩なら部室に――」


 彼女が上階を指差した瞬間、背後で歓声が聞こえた。

 人だかりへ振り返るなり僕は目を疑うことになるのだった。



 そこには着物姿の梨香さんがいる。

 桜模様の着物に飾り紐のついた帯をしており、いつもなびかせている長髪は一つに結い上げて可愛らしいリボンによって縛られている。

 制服姿の生徒たちに囲まれた彼女は一輪の花のようで、あまりの美しさに女子生徒たちがツーショット写真をせがんでいたほどだった。


 僕もお近づきになりたいが、ここは場の興奮が収まるのを待つしかなさそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る