25.人って、見かけによらないんだなぁ
「壁紙よ」
「え?」
「聞こえなかった?」
「か、壁紙?」
「そう。それを譲ってくれたら請求を撤回するわ」
屋上に、水を打ったような静寂がまいおりた。
この人は、なにを言ったんだ?
「壁紙って、なんのことですか?」
わずかに。
わずかに泉は顔を伏せると、次の瞬間、いつもの澄まし顔が嘘のような憤怒の形相を向けながら、僕に掴みかかってきた。
「い、泉さん? ちょ、ちょっと、なにするんですか!」
「壁紙よ、壁紙! あんた会長からダイヤちゃんの壁紙を転送させてもらったんでしょ!」
「ダイヤちゃんってカルルピの? っていうか、どうして壁紙のことを!」
「察しの悪い男ねっ! なにがエクスキューズミーよっ!」
脳裏にレストランで出会った銀髪の女性がよぎる。
思い返してみれば顔が似ているが、彼女が泉のわけがない。髪や目の色がまったく違うではないか。
「ばっかじゃないの! 外見なんかウィッグとカラコンでごまかせるわよ! ダイエル様のコスプレができるよう衣装だって家にあるんだから!」
「ま、まさかあなたもカルルピのファン……、カルピリストなんですかっ?」
「あんな低俗な連中と一緒にしないで! 私が忠義を尽くすのはダイエル様だけ、あの人こそが私の生きる希望なのよっ!」
「忠義に希望って、泉さんはダイエルのサーヴァントかなんかですか……、ぐえっ!」
泉が僕の胸倉をつかんで持ち上げる。片手で。
「ちょっ、やめて下さいよ! バトル漫画じゃないんだから!」
「うるさい! こっちは映画に文句を言うにわかファンどもで苛ついているのよ! 当人が幸せなら新しい姿を祝うべきなのに、それがわらかなくて炎上とかありえないでしょ!」
「僕を相手に論破されても困ります、っていうかそれって個人(あなた)の感想ですよねぇ!」
「2chの開設者みたいなこと言わないで! しかも、またあの女に先を越されるなんて! 限定品の販売でもいつも先回りされて本っ当に目障りなのに!」
「あの女って、梨香さんのことですか?」
「他に誰がいるってのよ!」
梨香さんが街で泉を目撃したのはパパ活の待ち合わせではなかったようだ。
慌てて逃げたのは泉も学校で趣味(カルルピ)を秘密にしたかったからだろう。
「でも、ゲームの景品って自力でクリアしてこそ達成感があるものじゃないですか?」
「あんな無理ゲーを攻略できるわけないでしょ! それとも私が下手だって言いたいわけ!」
「うひぃあぁ!」
ゴミでも放るような仕草で投げられた。片手で。
地面に打ちつけられて視界が飛ぶ。
梨香さんのときのように趣味がきっかけで親睦が深まるかもしれないが、僕には令呪もなしに狂戦士(バーサーカー)を使役できる自信はなかった。
「に、逃げなきゃ、うわっ!」
なにかに足を引かれて転んでしまう。
見ると足首に糸のようなものが巻きついており、その根本をたどると泉が手にしたベース――どこから取り出したのか――から伸びていた。
「ちょっ、ちょっと待って下さい! なんですか、このアメコミヒーローみたいな技!」
「は? 軽音やっていればこれくらいできるようになるわよ!」
「いやおかしいでしょ!」
軽音部に入っていれば誰もが蜘蛛人間のような技を体得するのか。
茶道といい軽音といい、どうしてうちの女子は異能力を身につけるのだろう。僕はずるずると泉のもとへ引き寄せられ、背中に馬乗りされてしまった。
「ぐふっ、重い!」
「は、そんなわけないでしょ! ダイエル様に近づけるよう食事も制限しているのに!」
「コスプレの為に食事制限までしているんですか? モデルじゃあるまいし……、痛っ、踵で踏まないで下さいよぉ!」
「ふんっ、クイズに付き添うだけの男にはあの尊さがわからないのね!」
「え、まさか、あなたもクイズ大会に来ていたんですか?」
「寝ぼけたこと言わないで! ヤバそうな客に絡まれてたから舞台袖に連れ出して妹に手を振ってあげたでしょ!」
「まさかツイッターのアルバイトって、カルルピのスーツアクターだったんですか?」
僕はステージ上で踊り、客席にひらひらと手を振っていたパールを思い出す。
あんな可憐な演技を泉がしていたとは驚いた。
いったいスーツの中でどんな表情を浮かべていたのかと想像してみると、普段とのギャップのせいか不思議と笑えてきた。
「なにニヤけているのよ! 乗られるのが好きだなんて、とんだドMね!」
「ち、違います! っていうか、ダイエルが好きならどうしてパールを演じたんですか?」
「好きなキャラだからこそ中途半端な気持ちで姿を真似るなんてできないの! あんな使い回しの着ぐるみでダイエル様を名乗るなんて、私にはできないのよ!」
「なるほど。とてつもない愛ですね……」
「わかったのならさっさと転送しなさい!」
弦が首に絡みき、ギャグ補正ではすまない威力で締めあげられる。
まずい、このままじゃ本当に異世界転生してしまう。
「うがっ! わかりました、取引に応じます! だから請求を取り下げて下さい!」
ついでに僕の命も助けて下さいとスマホを取り出す。
画像を転送すると泉は背中から腰を浮かせ、僕に手をかしてくれた。
「ありがとう、会計さん」
立ち上がるなり驚いた。
顔が平時に戻っていたのは梨香さんのときと同じだが、彼女が操っていた凶器(ベース)が忽然と消えている。梨香さんも鞄から鎖を取り出していたけど、一瞬で具現化したりはできなかったはず。こんなの作画崩壊どころか作画ミスだぞ。後から発売されるDVDとかで修正されるパターンのやつだ。
「取引をうけて感謝するわ。くれぐれも言っておくけど、このことは秘密だからね? 約束してよ? もし誰かに喋ろうものなら、会長の趣味をバラすから」
笑みを浮かべつつ、泉は悠々と僕のもとを去った。
彼女もカルピリストだったとは予想外だが、そのおかげで助かった。
部長(いずみ)からの請求なら部員たちは反発することなく、最低限の経費を負担してくれるだろう。これが壁紙を転送するだけで済んだのなら安いものだ。これならプランBを用意する必要はなかったと、僕は財布をポケットに押し込むのだった。
不意に、僕の脳裏にある言葉が過ぎった。
――人は見かけによらぬもの
まさにその通りだ。
梨香さんといい泉といい、女児アニメとは縁のなさそうな彼女たちにそんな趣味があるなんて誰が予想できただろう。とくに泉については驚かされた。実母のような現金主義者なのかと思っていたが、それがいい意味で裏切られてしまうとは。
本当に、人は見かけによらないんだなぁと、僕は屋上で呟くのだった。
それからというもの、建学祭の運営は順調に進んだ。
部屋割りやステージのスケジュール調整などの問題はあったものの、軽音部の請求に比べればどれも些細なことだった。一つ一つの問題に地道に対処していくうちに日は流れ、教室の準備や設営も進んでいく。発表をひかえた部の練習も架橋に入り、僕らもラジオへの生出演もおえ、いよいよ当日を迎えることになるのだった。
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