22.遙輝の決心


「そういえばラジオ局の人は?」


「引き取っていただきました。収録日をあらためて連絡するって仰ってくれましたよ」


 微笑む鈴音だが、その顔には元気がない。

 そもそも放送に間に合わないから予定日を繰り上げたのだ。おそらく番組の内容は変更となり、今回の出演は見送りになるだろう。


「ごめんね、せっかく準備してくれたのに……」


「根岸先輩のせいじゃありませんよ。そもそも急いで作ったから原稿も荒削りだったし、それに球技大会とか文化祭とか、次のイベントで出演のオファーがきますよ」


 鈴音の言葉に僕らは勇気づけられる。

 後輩が涙を耐えているんだから、僕だって怪我に怯まずにもっと頑張らなくてはならない。


 校門で皆と別れ、僕は一人で家路につく。

 帰宅すると同時に轟音を立てて義母さんの車が走ってきた。

 仕事を切り上げて凛を迎えにいったようで、ガレージに停めるなり飛びかかるような勢いで僕のもとにやって来た。


「遥輝くん、なにがあったのか説明しなさい!」


「痛っ、そっちは怪我をした腕なんですけど!」


 キャリーバッグのように引きずられリビングの椅子に座らされた。さすが凛の実母だ。手際がよく、そして容赦がない。

 机で向き合うも学校で説明した内容に変わりはなかった。

 それを聞き終えると、義母さんため息とともに流れるような仕草で加熱煙草を取り出す。しかし、僕と目を合うなり慌てて懐に戻していた。


「すみません、お義母さん……」


「軽々しく謝らないで、なにが悪いのかちゃんとわかってるの!」


 凄まじい剣幕で叱られた。

 血管が浮き出るほどの形相に僕は萎縮する。


「どうして遥兄ぃを叱るの? 悪いのは突き飛ばした奴でしょ?」


「凛は黙ってなさい、ママは遥輝くんと話しているの!」


 いつもと違う母親の反応に凛は戸惑い、自分が介入できる問題ではないと悟ったのか口を閉ざすのだった。


「相手を煽ったのは事実でしょう? どうしてそんなことを? あなたはそんな子じゃ……」


 そこまで言いかけて、不意に口角を上げる。


「いえ。やっぱりそういう子だわ。大人しそうなのに、いきなり牙をむくのよ。さすがダーリンの息子ね。遥輝くん、九条会長のことが好きなんでしょ?」


「私情じゃありません。あんな光景を見せられたら、誰だって黙っていられませんよ」


 僕は梨香さんが領収書を投げつけられたことを報告する。

 経緯は何度も説明したが、動機について話したのはこれが初めてだった。


「なんですって、あのガキどもそんなことをしたの!」


 娘をもつ母親としても理事長としても桑原の行為は許せないようで、なぜそれを早く言わなかったのかと更に怒られてしまった。



「それを知っていたら予算調整なんて許さなかったわ! 今から撤回しようかしら……!」


「で、ですが、いちおう軽音部の功績で学校の知名度も上がってますし! これを目当てでくる中学生もいるんじゃないでしょうか?」


 しかたなく僕は擁護する。

 結局、桑原からの請求は本年度用に用意されていた予算を前借りするというかたちで通ったのだ。

 予算の権限は会計(ぼく)にあると豪語しておきながら、結局は理事長に頼ったのが情けなかったけれど。とにかく、これで相手の溜飲を下げさせたというに、撤回されたら泉たちが梨香さんになにをするかわかったもんじゃない。


「あら。感情的にならずに判断をするなんて、遥輝くんったら立派ね」


 義母さんは怒りをしずめ、大きく頷いた。


「とにかく、自分を危険にさらすことはやめなさい。遥輝くんの身体は貴方だけのものじゃないの。自分が傷つけば、他の大勢の人の心までを抉りとってしまうのよ?」


 義母さんの言葉が心に染みる。

 梨香さんが傷つけられて僕が怒ったように、僕を大切に想い、心配してくれている人もいるのだと。


「またこんなトラブルが起これば、私に相談するのよ?」


 ここで泉の領収書について報告するか迷ったが、それは黙っておくことにした。

 そんな高慢な要求を伝えれば間違いなく予算調整のことを撤回される。いかに顧問や理事長が目を光らせても、陰湿な手段で報復されれば梨香さんを守りきるのは無理だ。


「今日は早く休みなさい。こんなことがないよう、明日から気をつけて活動するのよ?」


「はい。本当にすみませんでした……」


 僕は頭を下げつつ、嫌な予感を覚えていた。

 途中からポケットのスマホが何度も震えていたのである。こっそり見てみるとメッセージの通知が届いていた。

 自室で確認すると、泉から生徒会のグループに連絡がきていた。



 泉:桑原の件は申し訳ありませんでした。予算調整のことは感謝します。建学祭以降はこちらも注意するように致します。



 スクリーンショットを警戒しているのか、お手本のような謝罪文だった。

 生徒会からは『ご連絡ありがとうございます。投稿内容を協議し返信します』と、自動返信がされいるだけで誰も反応できていない。迂闊な投稿はこちらの立場を危うくするから、皆で協議をしてからの返信が基本だと副会長から指導されていたからだ。

 僕らのグループ上には立花姉妹と副会長の投稿が連なっている。その過程に目を通していると、途中から梨香さんのものも混じっていた。


「梨香さん、もう平気なのか?」


 そのとき画面が着信に切り替わった。彼女からの電話だった。


「もしもし梨香さん? もう身体は平気なんですか?」


『それはこっちの台詞よ、既読つかないから心配したじゃない!』


 怒鳴られながらも僕は怪我が浅いことを伝える。


『よかった、スカートが血まみれだったから搬送されたのかと思ったわ……』


「あっ、汚しちゃってすみません!」


『そんなどうでもいいことで謝らないで。私が普通に出席していればこんなことにはならなかったの。悪いのは私よ』


「違います。そもそも梨香さんが体調を崩したのは、僕が原因ですから……」


 僕はスマホを握りしめたまま部屋をぐるぐると歩く。そうでもしないと落ち着いて通話できなかった。


『根岸くん?』


「はい?」


『私こそ謝らなきゃ。軽音部から守ってくれたときすごく嬉しかったんだもん。怖がっておきながらすぐに根岸くんに頼るなんて卑怯だし、弱虫だよね?』


「そんなことありません。梨香さんはとっても優しくて、強い人ですよ」


『そんなの嘘よ……』


「嘘なんかじゃありません。今日だって僕の事情を訊こうとしてくれたし、桑原につかまれたとき止めに入ろうとしてくれたじゃないですか?」


『違う。私は趣味を話せる相手がいなくなるのが怖かっただけ。優しくなんかないよ?』


「でも、僕が心配ですぐに電話をかけてくれたんでしょう?」


『……どうしていつもそうなの?』


「いつもって?」


『あ、そっか……。いつも優しいわけじゃないよね。あのときだって渋い顔になったし。もしかして私、根岸くんに嫌われるんじゃないかって怖かったんだもん』


「え、いや、それは……! あのときは、本当にごめんなさい!」


『…………』


「…………」


『……うん』


「……梨香、さん?」


『……ねぇ、根岸くん。一つ訊いてもいい?』


「なんでございましょう?」


『お実母さんのことが、怖いの?』


「い、いきなりなんですか?」



 スマホを片手に立ちすくむ僕の姿が、部屋の明かりを反射する窓に浮かび上がる。自分でも信じられないぐらいに顔が引きつっていた。


『私も趣味のことでよく叱られたよ。お小遣いの前借りのこととか、グッズを買う頻度が多すぎるとか。その度に姉妹に助けてもらっていたけど、根岸くんもそういうことがあったの?』


「ええ……。むかしからずっと。とくに趣味(ペット)のことはかなり厳しく言われました」


 僕は梨香さんに、幼稚園の頃に実母と譲渡会に立ち寄ったことを打ち明けた。

 そこで一匹の成犬が目に止まり、つい飼いたいとねだってしまったのだが実母は烈火のごとく激怒したんだ。

 周りに人がいるなかで餌代等の維持費のことを説教され、その金額(コスト)を聞いても一緒にいたいと思うのか、それともペット動画で満足するのか選ばされたんだった。


『そんなことがあったの?』


「でも、これは実母さんが正しいです。気持ちだけじゃ動物(いのち)は飼えませんから」


『そうかもしれないけど、少し厳しすぎるわ。まだ幼いのに……』


「とにかくお金に厳しい人で、その影響で僕もそういう人間になっちゃったんです。ものを買うのを躊躇うし、欲しいものを受け取るのも怖いんです。‘誕生日プレゼント’とか――」


 小学校に入学してからは、実母からの指導はますます増えていったが、それに話すと長くなるので止めておいた。

 さっき趣味のことを喋ったばかりなのに、誕生日にまでいやな思い出があるなんて言ったら空気が重たくなり過ぎるだろう。


『ごめんね。私、根岸くんのことをなにも知らなかった』


「いいんです。こんなこと、誰かに言えたことじゃないですし……」


 とくに自分の好きな人には。

 お金のことしか頭にないなんて、出費を嫌がるケチな人間だなんて、失望されるのが怖くて言えるはずがない。

 でも、なんでだろう。

 梨香さんに打ち明けると、楽になった気がした。失望されないか不安だったけど、時限爆弾を抱えたままでは、あのときのように傷つけてしまうかもしれないし。


『私、もっと根岸くんと話してみたいな。もっといろんなことを教えてほしい』


「ありがとうございます。僕も梨香さんと――――あれ?」


 不意にキャッチ音が聞こえ画面を見ると、なんと泉から電話がかかってきていた。


『どうしたの?』


「ごめんなさい、着信が入ったからいったんきりますね?」


 よりにもよって梨香さんと電話しているときに。

 僕は息を整えてから通話に切り替えた。


『夜分すみません会計(ねぎし)さん。予算の件はどんな状況か知りたくて連絡させていただきました。メッセージの返事もなかったので』


「その件ですが、理事長から返答がないのでなんとも言えません。わかり次第ご連絡します」


『そうですか。困ったな……』


 相槌をうちかけて、思いとどまる。

 まだ協議中なのに勝手な発言はできないのだと、僕は唇を引き結んで相手の言葉を待った。



『桑原が謹慎になったので練習ができず、学外でレンタルしてるスタジオの代金も無駄になっているんです。どうにか請求書だけでも補助していただきたいんです』


「そんな――」


 そんなのはそっちの都合だろうという台詞をのみ込み「そんな事情があったんですね」と言い換える。

 どこまで厚かましいのかと、僕はスマホを砕くかのごとく握りしめていた。

 

『この件については、会長さんにも頼んだほうがよろしいでしょうか?』


 泉の声に、僕ははっとなる。


「いいえ。予算については僕が対応いたしますので。今度ともよろしくお願いします」


 コイツら梨香さんに直接文句を言うつもりか。なんとしてもそれは防がなくてはならない。

 会話を切り上げて通話を終えると、梨香さんからメッセージがきていた。



 梨香:遅くに電話してごめんね、今日はもう休んでね?

 遙輝:僕のことは気にしないで、梨香さんこそしっかり休んで下さい


 梨香:あ、壁紙を転送しておくね? 凛ちゃんによろしく伝えておいて (^_^)

 遙輝:ありがとうございます



 僕はスマホを置き、机の引き出しからあるものを取り出した。

 小学校一年、六歳の‘誕生日プレゼント’として実母から手渡された無地の封筒だ。

 これが本当に正しいのか、これですべて解決できるのかと疑問の声はあったが、梨香さんを守る方法はこれしか思い浮かばなかった。

 僕は請求書の金額に合うように、封筒の中身を抜き取って財布にいれる。

 校則では学校に大金を持ち込むのは禁じられているが、それに違反することはないだろう。



 なぜなら封筒のなかに入っていたのは、お金ではないのだから。


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