21.梨香さんに、謝れ
予算の調整が間に合わないことを耳にした瞬間、女子部員たちは凄まじい剣幕で梨香さんに詰め寄った。
「じゃあ、足りない金額は私たちに自腹をきれってこと?」
「新しい機材(アンプ)がなけりゃ演奏できないでしょう! これは必要経費よ!」
「っていうか、私たち朝一でアンタの教室に行ったんだけど? なんでサボってたわけ?」
体調が優れず午前中は休んでいたことを伝えるも相手は聞く耳をもたず、次第にクレームは彼女自身を責めるような言葉に変わっていた。
嵐のように押し寄せる心ない暴言に梨香さんは小動物のように震えている。
「待って下さい」と、僕が立ちはだかると邪魔者のように睨まれたが、これ以上好き勝手に言わせるのは我慢ならなかった。
「こちらとしては予算に問題があれば連絡するよう泉部長にもお伝えしたのですが?」
「だから、それを言おうとしたらコイツが学校をサボっていたんだって!」
「皆さん、生徒会の連絡網をご存知ですよね? 予算会議の件もそちらに連絡させていただいてきましたし。直接会えなくても、金曜にそちらから連絡できたはずではないですか?」
「は? なんだよ! また俺たちが悪いっていうのか?」
桑原が僕に吠えた。
「そもそもお前らから確認の連絡をよこせよ! こっちはもう買っちまったんだぞ!」
しわくちゃになった領収書を見せつけられ、とっさに購入日が日曜であることを確認する。
「催促すべきでしたが、連絡済みの予算を確認せずに高額な機材を購入されたそちらにも非はあるはずでしょう?」
「おい、まさか払わないつもりか!」
「検討はしますが、対応できるかはわかりません」
ここでその場しのぎの嘘をついてもしかたない。
相手が強豪の部であろうと無い袖はふれないと示さなければ理不尽な要求はつづくだろう。
それに、これは会計(ぼく)が責任をもって対処すべきことだ。
「お前、雑用のくせに偉そうなこと言ってんじゃねぇぞ!」
胸倉をつかまれるも僕は動じることなく、むしろ怒りを抑えられずに睨み返してしまった。
「根岸くん……! お願いです、乱暴なことは止めて下さい!」
「そうです、私たちが理事長にお願いしに行きますから!」
一触即発の状況のなか、梨香さんたち仲裁にはいると、桑原がゆっくりと目を細めた。
「そうそう、最初から素直に従えばいいんだ。土下座でもしてエロ理事長に出資してもらえよ」
「痛っ!」
その瞬間、僕は目を疑った。
桑原が領収書を丸めて梨香さんに投げつけたのだ。
「会長っ!」と、泣き崩れる梨香さんを美音が抱きしめている。その様子に「大袈裟なやつ」と桑原と女子部員どもが嗤っていた。
「お前っ!」僕は桑原に掴みかかっていた。
噛み砕くほどの力で歯を食いしばり、憎悪のこもった目で睨みつけ「梨香さんに謝れ!」と、自分でも信じられないほどの怒声がでた。
桑原は一瞬怯んだが、女子たちの嘲笑を聞いて嗜虐的な顔に戻った。
「ねぇ、今の聞いた?」
「梨香さんだって?」
「もしかしてこんなのと付き合っているの?」
「おいおい、無理して格好つけなくていいんだぜ、見ているこっちが恥ずかしく――」
「――さっさと謝れ! でないと今後一切、お前たちに予算も部費も出さないぞ!」
「お、お前、何様だよ!」
「生徒会の会計は僕だ! 理事長に申請して部費を減らすことだってできるんだぞ!」
僕の一言で女子部員たちが顔色を変えた。
「げっ、小遣いを減らされるの?」
「いや、職権乱用だし」
「でもアイツ、目がマジだよ?」
「う、うるせえな! 俺たちの道具は高いんだよ! それともお前らのバイト代や小遣いで買ってくれるのか?」
その言葉に、僕は失笑してしまう。
「おい、なにが可笑しいんだよ!」
「それが出資を頼む人間の態度か?」
「はぁ、なんだって!」
「自分の玩具を買うお金ぐらい、自分で‘増やして’用意したらどうだ?」
「て、てめぇ、調子にのるんじゃねぇ!」
激昂した桑原が僕を突き飛ばした。
殴られる覚悟はあったけど、想定外のことになってしまった。
背後の梨香さんたちを避けようと身体を捻った拍子に足が縺れ、バランスを崩した僕の眼前に窓が迫っていたのだ。
思わず顔を守ろうと腕を上げた瞬間、両手がガラスを突き破って外へ飛び出し、それと同時に燃えるような傷みが手首に走った。
「根岸くんっ!」
ガラスの割れる音に混じって梨香さんの悲鳴が響き、室内はパニックに陥った。
「ちょっと桑原、やり過ぎでしょ!」
「知らねぇ、アイツが変な動きするからだ!」
「とにかく行こうよ、私ら関係ないし!」
「いや、逃げたらよけいマズいわ! もうすぐ智子が来るから待ちましょう!」
「あぁんもう、なんでこんなことになるのよぉ!」
よかった。
外は体育館の屋根だから人がいない。怪我人がでることはないだろう。
それにしても痛いな、ちくしょう。血が止まらないよ。
「根岸くん、大丈夫……?」
梨香さんが駆け寄って僕の怪我を見た瞬間、彼女は『あ』とも『お』ともつかない声とともに頭をふらつかせ、その場にぱたりと倒れてしまった。
「か、会長、しっかりして下さい!」
「梨香さん!」
僕は窓から腕を引っこ抜いて彼女を抱き起こす。意識を失っていた。
「ど、どうしよう少尉?」
「保健室へ運ぼう、支えていてくれ!」
美音の力をかりて梨香さんを背負うと、僕は生徒会室を飛び出した。
廊下に出るなり副会長と鈴音、そしてラジオ局の人たちとすれ違うことになった。
「Hey、どうした、なにがあった!」
「根岸先輩、どうしたんですか!」
「梨香さんが倒れたんです、保健室へ連れて行きます!」
「Crazy、お前の方が重傷じゃないのか!」
「根岸先輩、止血して止血っ!」
「大丈夫、血が出てるだけだから平気です!」
「そんな人間がいるわけないだろ!」
僕は階段を駆け下りて保健室に飛び込み、先生に事情を説明する。
梨香さんを病床に寝かせて鈴音に付き添わせると、僕は止血を適当に済ませて生徒会室に駆け戻る。
そこでは副会長と騒ぎを聞き付けた先生たちが軽音部に詰問していたところで、そのなかには教頭や理事長の姿もあった。
口論によるトラブルということで僕も叱られたが、美音の証言のおかげで発端は軽音部にあるということでまとまった。
部員たちは顧問と生徒指導から厳重な注意をうけ、桑原については三日間の自宅謹慎となったのだ。
しかし、部長の泉は引き下がらなかった。
遅れて生徒会室にやって来た彼女は、先生たちが去ると僕らに領収書を差し出したのだ。
「とりあえず渡しておくわ。迷惑はかけたけど、それと予算は別問題でしょう?」
どうやら他にも購入した機材があったらしく、桑原のものと合わせると本来用意しておいた予算でも足りない金額となってしまった。
「そんな、こんな金額無理ですよ!」
「そう。それなら毎日会長さんのところに行ってお願いしようかしら?」
「え? なんでそんなことを?」
「Hey、会長に嫌がらせをするつもり?」
「勘違いしないで下さい。あくまでお願いしているだけですから。建学祭の予算は無理でも、高校総体や文化祭の分で帳尻を合わせてくれてもいいので」
泉は他人事のように言うと、皮肉めいた笑みを浮かべて僕らのもとを去った。
「Fuck、あのガキ、調子にのりやがって!」
「あんなやつらの為に捻出する必要なんてありませんよ!」
「そうですね。理事長からの期日は過ぎていますし、検討したことにして本来の予算を伝えるしかなさそうです。でも、それだと梨香さんが危険な目にあうかもしれません……」
「お前、なぜ怒らない? そんな怪我をさせられたんだぞ?」
副会長がガーゼの巻かれた僕の右腕を見つめる。
左腕は無事で、この傷も浅かったが、もし動脈を切っていたらお陀仏だっただろう。
「副会長、少尉は悪くありません! アイツらから私たちを守ろうとしたんですよ!」
「I see、立派な働きぶりだな。だが、行事の前になると生徒会には理不尽なクレームもくるものだ。お前のようにいちいち大事にしていたら身がもたないが、かといってお前がいなければ梨香の心が折れていただろう。難しいところだな」
「すみません、今後は相手を刺激しないよう気をつけます」
「Good。素直に従えてよろしい。だが、今日はもう遅い。作戦会議は今度にしよう」
部屋の掃除をおえて僕らは下校する。
保健室にいる鈴音たちを迎えに行くと、室内からは梨香さんの啜り泣く声が聞こえた。彼女はご家族が車で迎えに来るとのことだった。
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