23.あの日と同じ場所
火曜日の昼休み。僕は梨香さんの教室を訪ね、彼女を廊下に呼び出していた。
今日は生徒会の仕事はないが、一緒に昼食をとらないか誘ったのだ。
「ごめん根岸くん、今日はこれから茶道部の準備があるの」
「そうでしたか。突然押しかけてごめんなさい」
僕につづいて、梨香さんを訪ねる生徒が現れる。
泉だった。
「梨香さん、あの人は僕が対応するから早く部室へ行って下さい」
「ううん。用件があるなら、私も一緒に聞かなきゃ。会長だもん」
そうは言うものの、彼女の足は震えている。
無理をすべきじゃない、ここは僕に任せてと意見するも彼女は頑なに拒んだ。
「頼りっぱなしだとまた根岸くんに怪我をさせるかもしれない。そんなの絶対にいや」
「梨香さんこそ体調を崩せば茶道部の人たちに迷惑をかけますよ? それに、あの人に暴力を振るわれるほどやわじゃありません」
「でも……」
迷う彼女にもう一押ししようとしたところで、見慣れない女子のグループが僕らの前に現れた。彼女たちも茶道部らしく、これから部室に向かうところだという。
「九条さんも今から部室に行きますよね?」
「ええっと……。うん、これから、行こうかなと……」
ちらりと横目で見られて、僕は微笑んだ。
「あとは僕が引き受けます。早くしないと昼休みが終わりますよ?」
「ごめんね……、ありがとう」
梨香さんは茶道部とともに泉を素通りして部室棟へと歩いていく。
それに目もくれず、微笑みすら浮かべて、泉は僕の前に立ちはだかった。
「まさか昨日の冗談を真に受けたの? そんな面倒くさいことしないから安心して。桑原だって‘今’はいないし」
泉を前に僕は拳を握りしめる。
自分は健全な間合いを保ちつつ他人を仕向けるとは卑怯な人だ。リスクを負うのが嫌なのだろう。
「そもそも私、あなたに用事があって来たの」
「奇遇ですね。僕も請求書の件でお願いしたいことがあったんです」
泉から今日の放課後に時間をとれるかと訊かれ、僕は頷いた。
早めに決着をつけようと思ってはいたが、まさか向こうからくるとは予想外だった。
「どこで話そうか? 部室だと外野がうるさいし、生徒会室だと風が吹き込んで寒そうね」
「あっはっはっは、痛いこと言いますねぇ……」
包帯の巻かれた手で頭を掻きつつ、僕は内心でガッツポーズする。
泉から部室を避けてくれたのは助かった。交渉は相手のテリトリーですべきじゃないし、桑原が謹慎中とはいえ他の部員から横槍が入るだろう。生徒会室も梨香たちがいるから得策ではない。僕の交渉方法はできるだけ秘密にしておきたいからだ。
お互いの縄張りを除いて、学校で二人きりでゆっくりと会話のできる場所といえば――
やはり、あそこしかないだろう。
「わかったわ。ホームルームが終わったら行くから待っていてね」
「はい。お手柔らかにお願いします」
互いに愛想笑いを浮かべるものの、目は笑っていない。
しかし、困ったな。
今日の放課後では間に合わないかもしれない。
僕は教室に戻ると、隅に密集する三人衆のもとに腰かけた。
「おうネギ。もう帰ったのか?」
「会長とのランチはよかったのか?」
「案ずるな。依頼は終わり、既に転送しておる」
こっそりスマホを起動してみると、彼らからURLが送られている。
泉に対抗するため、僕は三人にある『依頼』をしたのだ。
時間はかかると思っていたけど、職人(プロ)の仕事の早さには驚かされる。
「あくまで可能性が高いだけだ。無難な文章しかなかったから、完全な特定はできなかったよ」
「でも、どうやって調べたの?」
「ツイートしている時間帯とフォロワーを調べて候補を絞った。高校生(おれたち)が平日で使えるのは放課後から夜にかけてだからな。それと、フォロワーのなかにはプロフィールに住んでいる地域を記載する人もいるからそれも判断材料になる」
なるほどと、僕は唸らされる。
これで本アカと共有しているか、グーグルマップと照合できる画像を投稿しようものなら特定率は更に上がるという。
「こんな手段に頼るとは、かなり手強い連中みたいだな」
「っていうか、怪我させられたならさっさと救急車を呼べよ」
「医師に伝えた後のほうが訴訟しやすいと覚え聞くぞ」
「あ、ありがとうみんな……。えっ! なに、どうしたんだ!」
ずいっと、三人が顔を近づけ、報酬のことは本当なのかと訊かれ、僕は慌てて頷いた。
「それならばいい」
「建学祭の当日が楽しみだ」
「これで働いたかいがあったというもの」
なんだい。
僕が心配で協力したわけじゃないかと首を垂れるも、三人のおかげで武器が増えたことは事実だった。
放課後になると、僕は足早に屋上へと向かった。
扉を開けると夕日に照らされてたたずむ泉の姿があった。
「ここなら邪魔は入らないわ。できるのかできないのか、それとも払うつもりがないのか、前置きはいいから本音で話してくれないかしら?」
「そんなことより泉さん、今日はアルバイトのシフトはないんですか?」
「あら。いったい何の話?」
「このアカウント、あなたですよね?」
僕はURL先のプロフィール画面を見せた。
アカウント名……IZU
プロフィール……北陸住み。フォロパしません
最新のツイート……もうこのアルバイト無理。暑くて卒倒する。っていうか変な客ばっかり。いい歳して順番も守れないのかよ
泉はわずかに目を開いたが、慌てることはなかった。
「へぇ。そういうのを調べるのって犯罪じゃないの?」
「公開された情報を集めるのは違法じゃないし、そこから推測するのも自由だ。それが嫌なら鍵をかけておくんだね」
僕は三人衆にアカウントの特定を依頼していたのだ。
もしも本当に泉が『パパ活』を行っていればSNS上に裏アカがあり、それを特定できれば交渉を優位に持ち込めると思ったのだ。
結果としてその事実はなかったが、彼女らしきアカウントには愚痴がのっていた。
無許可のアルバイトは退学処分だ。それをちらつかせて気勢を削げればと考えたが、動揺してボロを出すような彼女ではなかった。
「そのアカウントが私のだとしても、内容が事実とは限らないわよね? 私生活の充実をアピールする為に嘘の投稿をすることもあるでしょ?」
アカウントを否定されないのは意外だったが、そう言われては手も足も出ない。
「ごもっともですね……」
僕は懐に手を伸ばした。
プランBに移行しようと財布に触れた瞬間、泉の背後に実母が現れて僕は舌打ちする。
お願いだから邪魔しないでくれ!
どうして僕の意思を否定するんだ!
アンタに縛られていたら大切な人を守れないじゃないか!
――遙輝、やめなさい! 私はそんなことの為にプレゼントを渡したわけじゃないの!
実母が狂ったように叫ぶが、僕は怯まず「うるさい……!」と、声さえ漏らしていた。
僕は生まれて初めて実母に反発し、そして感謝した。
どれだけ阻まれようと梨香さんを守る決意は変わらない。
そして、アンタに築き上げさせられたもので僕は立ち向かえるのだと。
「ちょっと、今うるさいって言ったでしょ? まだなにも私の要望を聞いてないくせに……!」
肩を揺らしながら泉が距離を詰めてくる。
鼻先にまで額が迫るも、言葉を探っているのか睨み上げてくるだけだ。
そのままどれほど時間が流れただろう。柵から差し込んだ夕日が、静寂の蟠る屋上に長い長い影を落としている。
ふと。
泉の横顔に影がはりつくのを見下ろしながら、僕は場違いなことを思い出していた。
『今日の放課後、生徒会室に来ていただけないでしょうか?』
『お願い根岸くん、アレを私に譲ってよぉぉ! なんでもするからぁぁ!』
廊下で会長に呼び止められ、そして屋上で梨香さんに出会ったことを。
それがなければ生徒会に入って軽音部と喧嘩することも、実母に反抗することもなかったろう。
そしてなにより、梨香さんのことを好きになることも。
こんなことになるなんて、誰が想像できただろう。
話はそう。
すべてあの日から始まったんだ。
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