応援コメント

15.遙輝の決心」への応援コメント


  • 編集済

     企画主催者です。このたびは「私が読んで、サンプル1の感想を書いたり、反応をしたりするだけの企画(条件つき)」への参加、ありがとうございました。
     プラン②のみですので、良かったと感じられた点や、個人的な学びなどは述べずに、リムーブに繋がった部分のみ記述いたします。良かった点がなかったわけではないので、悪しからず (*´・人・*)ゴメンナサイ



    ②読書を断念する理由について
     まず、誤字脱字がいくつか見受けられます。
     私からすれば、誤字脱字を減らすという行為は、御作も行っているような字下げと、同程度に常識的な行為なのですが、あえて理由を列挙するのであれば、次のとおりです。


     一、文意が伝わらなくなる。
     字義どおりの「独り言」ではない限り、本書は、読者に対して何かを伝えようとしています。伝達しようとしているメッセージの中身は問いません。梨香の可愛さであったり、遙輝の勇ましさであったり、凛の優しさであったりと、表現したい事柄は、作者様自身が決めることです。しかしながら、そのメッセージを伝えるのは、あくまでも、限られた方法である「文字(文章)」です。メッセージが意味をなさなくなる危険を孕んでいる、誤字脱字を許すというのは、読者にものを伝えることと相反しています。


     二、理解するのに時間がかかる。
     上述のように暗号化したメッセージは、仮にその損傷度合いが、理解に支障がないほどに軽微なものであったとしても、受け手に推測を強います。読者側が、「本来の文章」を予想しなければならなくなるのです。物語を読み進めるためには、暗号の解読という別の作業が必要になるというのは、大変大きな負担です。
     これは後述の「三」とも関連しますが、世の中にある物語は、当然ながら御作だけではありません。膨大な数の作品が存在する中――つまり、誤字脱字の少ない作品が、世の中にあるにもかかわらず、あえて本書を手に取らなければならない要素を、読者が見出さなければならないことを意味します。
     なるほど、ウェブ小説に誤字脱字は付きものです。人気作品であっても、それは変わりません。
     しかしながら、それは人気作品だからこそ許されていること。書き殴った乱文をありがたがるのは、ひとえに作者が実力で黙らせているか、書けば読まれる人気のジャンルだからか、あるいは、第三の理由のいずれかです(この第三の理由については後述します)。
     りす吉さんを、「実力で黙らせる」タイプの作家であると、想定するのは不可能です。残念ですが、PV数も、フォロワーの数も、レビューの数も少なすぎます。もちろん、いずれも私よりは多いですが、正直、底辺の争いでしょう。どんぐりの背比べをしたところで意味がありません。同様に御作は、書けば読まれる異世界ファンタジーでもありません。
     私の経験では、自作の読み返しに、惜しむほどの膨大な時間がかかることはありません。自分で内容を把握しているからです。
     いくら更新が命の業界とはいえ、御作のジャンルをも加味すれば、この読み返しの時間を新規原稿に割いてまで――もっとも、惜しんでいる時間が意味を持つには、元々の更新頻度が低すぎるのですが――、量産する意義は決して高くないでしょう。


     三、期待が持てない。
     上述した一と二は、すべての作品に共通して言えることでした。言い換えれば、「プロだから/書籍化しているから/人気作品だから」という理由では、退けることのできない部分を含んでいます。
     御作から、りす吉さんに、十分な日本語能力が備わっていることは、伝わっていますので、わざわざ私が繰り返すまでもないのですが、許されていることと善良なことというのは、同じ事柄を指す概念ではありません。プロであろうと書籍化していようと人気作品だろうと、誤字脱字が少ないほうがいいに決まっています。でも、超人気だと(ほかに作品がないので仕方なく)読者は読んでいるというだけに過ぎません。

     翻って、これらに共通していることは、客観的に実力が保証されているということです。無論、世の中には「これで書籍化? 嘘やろ?」と驚愕する作品が数多くありますが、ここでは無視します。
     アマチュアのウェブ小説では、そのような保証がありません。実力は、当座の判断がすべてです。どれだけ作者が「この先にどんでん返しが待っています」と主張したところで、それを信じる根拠というのは、それまでに提示された内容の質しかありません。
     誤字脱字というのは、この質を致命的に低下させます。当然でしょう。作者が読み返していないのですから、作者が自作の内容を把握していると、そう思えるだけの信頼はありません。物語内で提示された事象の設定や人物の動機が、次のエピソードでは、丸ごとなかったことにされるかもしれません。読者は、描かれた物語と真剣に向きあえば向きあうほど、馬鹿を見る恐れが高いのです(ましてや、本書は読み専からの指摘があるにもかかわらず、直っていないという摩訶不思議な状態です)。
     現に、カルルピはSNSで定期的にトレンド入りを果たすほど、大人気の作品であるにもかかわらず、いまだに扱いは女児アニメです。SNSの主たるユーザーは女児ではありません。したがって、SNSでのトレンド入りは、女児アニメであるカルルピが、SNSユーザーである中高生以上にも、受け入れられていることを示唆するものですが、実際は他の女児アニメと同じような扱いにあります。映画で白い目で見られるといった事情や、PTAの苦情で差し替えられたにもかかわらず、差し替えられる前のものが使われるといった、主催者側の杜撰な対応が、これにあたります。どちらも、大人気作品を取り巻く環境とは、とても思えません。その他の部分は割愛します。

     動機という面では、梨香の行動が奇妙です。
     通常ではありえない女性像が描かれているのは、ラブコメの宿命――あるいは男性向け作品全般の常――でしょうから無視するにしても、主人公に対して、カルルピが好きであることを暴露する梨香の行動は、いくらなんでも早計でしょう。女児向け作品であるがゆえに、コンプレックスを抱いている人物の行動とは、思えません(物語の世界観に照らせば、カルルピは女児以外にもファンがいると予想できるので、そもそも、女子高生がカルルピを好きだと言ったところで、不自然ではありません。したがって、梨香には、その事実を受け入れられないほど、強いトラウマがあると捉えなければなりませんが、実際には、早期に主人公に対して、カルルピのファンであることを暴露しています)。

     こういった動機を置き去りにしたストーリーは、展開が雑という印象を抱きます。詳述しろとは申しませんが、思いつきで描いただけという評価を、読者にさせない程度には、一筆記したほうがいいのではないでしょうか。もっとも、これらの部分は、物語のスタートラインであるという擁護もできます。が、紙幅の関係で割愛した問題(梨香は2人きりで会おうとしていたにもかかわらず、後輩が居座っている生徒会に呼び出しているなど)は、これとは別です。



     閑話休題。
     芝居がかったキャラクターの登場や、いくらかのパロディ要素はあれども、本書の題材は、順調な恋愛模様や写実的な課題であるため、私には本書がコメディ・ギャグを描いた作品とは思えませんが、それでも先述した問題を、コメディ・ギャグゆえに些細な問題であると仮定しましょう。ギャグやコメディであれば、誤字も矛盾も致命的なミスにはなりません。そもそものジャンルが、オーバーに描かれる世界観だからです。
     しかしながら、御作最大の問題は、これらを見なかったことにしても、コンセプトが不明瞭だという点にあります。

     ここまでで概ね5万字。
     短めの文庫本であれば、半分ほど経過したところでしょうか。それなのに、作品を通して伝えたいことが見えて来ません。生徒会で頑張る主人公なのか、カルルピを取り巻く環境なのか、あるいは、途中で導入された主人公のトラウマに対する物語なのか。どれも一線級のテーマでありながら、その実、深掘りされることがほとんどありません。ちょっとテーマに沿ったと思ったら、すぐに脱線してしまうのです。
     これから先、目の覚める展開が待っているという反論は、上述したとおり意味をなしません。実力の保証がないアマチュアの世界であり、これまでの文章が実力の証明です。

     何を主たるテーマに掲げた作品なのか。
     これが分からないせいで、ストーリーが進んでいるのかどうかも、私には判然としません。カルルピという、女児向けアニメを巡る話と思って読み進めると、ストーリーに占める生徒会の比重が、非常に大きいことが分かります。
     梨香は生徒会長なので、作品内に生徒会が登場するのは、ある意味当然なのですが、それは梨香を中心とする関係性だからこそのものです。端的に言えば、生徒会とカルルピは、直接は何の関係もありません。生徒会のメンバーも、カルルピが好きということでもなければ、生徒会の活動に、カルルピが関わって来るわけでもありません。本書のコンセプトを生徒会長×女児アニメと捉えるのは、不可能なのです。
     これを学園×ラブコメとすれば、分かりやすいでしょう。
     学園パートにラブコメ要素が存在せず、ラブコメパートには学園要素が存在しない作品――それが本書です。本書におけるカルルピと生徒会は、独立した要素として存在しているため、何を中心に作者様が本書を描こうとしているのか、それが見えて来ないのです。
     学園とラブコメが分離した学園ラブコメというのは、学園ラブコメにあっては目新しいものかもしれませんが、その目新しさを求めたくなるほど、女児アニメ×生徒会長は、ポピュラーなジャンルではないでしょう。
    「生徒会のメンバーがカルルピ好きで、本当は生徒会長が誰よりもカルルピが好きなのだが、自分のクールなイメージを壊したくないため、人に伝えることができない」といった構成は、十分に考えられるものです。いくらでも融合させるやりようはあるはずなのに、作者様の作った世界観は、2つの要素を独立させるという、いささか理解に苦しむものでした。

     好意的に捉えるならば、本書は、九条梨香を中核とした物語という具合でしょうが、九条梨香は、ラブコメのヒロインとして描かれてしまっているため、すでにカリスマ性が消失しています。九条梨香を中核とするストーリーとして、読み進めることもまた困難です。特定のヒロインに、物語を牽引する力を求めるのは酷でしょう。



     さて、これまでの評価には、御作をちゃんと読めば――という前提がつきます。
     先述した第三の理由というのは、とりもなおさず、読者は真剣にウェブ小説を読まないだろう、というものでした。大多数の読者は真剣に読まないので、誤字だろうと些細なミスだろうと、気にしません。まともに読んでいないからです。
     したがって、私の感想というのは、所詮ノイジーマイノリティーの域を出ません。しかし、困ったことに、サイレントマジョリティーは「なぜ、脱落したか」を答えてはくれません。当然です。他人の作品にわざわざコメントを残すほど、その作品に関心がないからです。

     そのため、作者様には上述したコメントの中から、読み専にも妥当しそうな部分だけを、しっかりと抽出していただきたいのです。
     すべてに同意する必要はありません。マジョリティーは、全部を気にしているわけではないからです。
     もちろん、これらすべての感想を、単なるクレームと一蹴することは構いませんし、実際、御作には多くのフォロワーがいるため、大勢の読者はすべてを気にしてはいないのでしょう(その割には、最新話のPVが少ないのが気になりますが……)。

     しかしながら、私程度の読解力では、本書が伝えんとするテーマを掴めなかったという点だけは、重く見てもいいんじゃないかと思います。斜め読みしている大多数の読者からすれば、もっとなんの話か分からないでしょうから、今よりもコンセプトをはっきりさせることが、読者脱落を防ぐ一つの方法で間違いないでしょう。



     最後に、繰り返しになりますが、あえて書かなかっただけで、御作を読んで「良いな」と感じた部分が、なかったわけではないことは、ここに強調しておきます。キャラの描き方に関する個人的な学びは、思ってもない収穫でした ٩(ˊᗜˋ*)و



    〔追記〕
     私の少ない読解力では、読み間違いなどが大いにあるかと思います。その場合には、悪しからず ヾ(_ _。)