16.映画が炎上?



 理事長室が見えてくると、ちょうど梨香さんがドアをノックしていた。


「あれ、根岸先輩も来たんですか?」


「応援にきました。肉壁役です」


「え、どういう意味ですか?」


 失礼しますと声をかけて、僕らは理事長室に入った。

 部屋には黒い絨毯が敷かれ、革張りのソファーや熊の彫物が飾られ硬派な雰囲気が漂っているが、その主である理事長は好みの女子生徒に熱い視線を送る、恥知らずな中年なのだった。

 梨香さんからラジオ局から連絡があったことを伝えると、理事長は机に肘をついたまま大きく頷いてる。出演については前向きな様子だった。


「ちなみに、番組でどんなことを話すのかはこれから決めるのですか?」


 理事長の質問に、鈴音が前に出た。


「ラジオ局が事前に取材内容を報せてくれるので、それに合わせて原稿を作ります」


「では原稿が完成したら見せにくるように。二人で、じっくりと打ち合わせしましょう」


「え、二人きりですか?」


 びくっと、肩を強張らせる鈴音。

 理事長は彼女を見据えたまま舌なめずりをすると、餌を前にした狼のように息を荒くしていた。


「理事長、打ち合わせまでは必要がないかと。原稿の添削さえいただければ――」


「――会長でもかまいませんが?」


 脂汗を浮かべる理事長の眼差しが、触手のように二人にからみつく。

 梨香の胸と、ニーソックスから剥き出る鈴音の太股を交互に見ているようで視線が上下していた。


「では、立花に原稿を作らせますので完成したら僕が持ってきます」


 僕はすかさず前衛に出て二人の前に立ちはだかった。


「おそらく月曜にはできると思いますが、理事長の都合のいい時間はありますか?」


「ふっ。それなら教頭にでも添削してもらえ」


「よろしいのですか?」


「私は忙しいんだ」


 理事長の口調が百八十度変わる。僕と女子生徒じゃ態度が雲泥の差だった。


「ところで九条会長、予算はどうでしたか? 各部からの同意は得られましたか?」


 僕を避けて梨香さんに視線を向けようとするがそうはさせない。

 概ね同意は得られたことと、軽音学部からも返事がある見込みだと報告すると「そうですか」とそっけなく返事をされた。


「他に確認事項はありますか?」


「もうけっこう」と、蠅を追い払うように手を振られ、僕はしてやった気分になる。

 権威を後ろ盾に女子生徒に肉薄するなんて横暴は許すことはできない。ちょっと羨ましいけど……。


 そもそも生徒会とはいえ、一生徒が理事長に報告や予算交渉なんてしないはずだ。

 これは本校のモットーである『自立』できる力、生徒一人一人が自分で物事を決定し、ときには選択肢を勝ち取る交渉力を養う為の取組みであるらしい。

 それで生徒会(ぼくら)は理事長と直接話す機会が多いのだ。


 退室して色欲中年の魔の手から逃れた途端、鈴音が涙声で僕らに抱きついてきた。


「お二人ともありがとうございます、こんなにネチネチ見られるなんて想像以上でしたぁ!」


「私はなにもしてないわ。盾になってくれた根岸くんに感謝しなくちゃ?」


「いえいえ。それにしても、いつも一人で会っていたなんて、会長も大変ですね」


「うん。正直、まだ慣れないわ。今度から根岸くんに同行をお願いしようかな」


「私も理事長に会うときは根岸先輩と一緒がいいです! 魔除けになりますから!」


 僕らは生徒会室に戻ってからラジオ局に返信し、原稿について皆で意見を出し合った。

 今日は凛の迎えがあるので早めに下校したが、その時点で大まかな内容は決められたし、後の作業は鈴音に一任できそうだ。彼女も週末中に完成させると意気込んでもいる。

 一足先に退室したとき、梨香さんが僕を追って昇降口までやって来た。


「今日もいろいろと助けてくれてありがとう。明日は、私がお礼をするからね?」


 と、別れ際に囁かれ、校門に出ても手を振って見送る姿に、僕は赤面していたのだった。



 □■□■□



 少し暑さを感じる土曜の朝。家の外には陽気な日差しが降りそそいでいるが、午後からは雨が降るらしく、僕はショルダーバックに折り畳み傘を入れておいた。

 準備を整え、いつでも出発できるようになるが、凛はまだリビングで受話器を握っていた。


「――わかってるってママ。お兄ぃの友だちの言うこともちゃんと聞けるもん。それじゃあね。お土産にパンフレット買ってきてあげるから」


 乱暴に受話器を置く凛を注意するも、頬を膨らませた。


「ママってば、そんなに心配なら一緒に来てくれればいいのに」


「お仕事だから仕方ないだろう。それに、映画に行くのを許してくれたんだから感謝しないと」


 最初は僕らだけの外出に難色を示していたが、僕の友人、それも生徒会長が付き添ってくれることを伝えて許可が下りたのだ。

 凛と手を繋いでバス停に行くと、そこには梨香さんが待っていた。


「初めまして凛ちゃん、今日はよろしくね?」


「こ、こんにちは……」


「凛、昨日のグッズの写真は梨香さんのものなんだぞ?」


「え、そうなの!」


 戸惑う凛だったが、それを知って梨香さんに跳び寄っていた。

 バスに乗っても二人はカルルピトークで盛り上がっている。

 モールに到着しても梨香さんのおかげではぐれることはなかったし、映画館でも座席の券をすんなりと買えて、無事に鑑賞することができたのだった。



「わっ、すごいことになってる!」


 ランチを終えての一服中、梨香さんが声を上げた。


「どうしたんですか?」


「ネットで映画の感想を見ているんだけど、炎上しているの……」


「嘘っ? 酷いところなんてなかったのに」


 僕も気になって検索してみると、感想に混じってダイエルが退場したことへの嘆きが多く上がっていた。

 敵でありながら美しい容姿とツンとした態度から一部の視聴者を虜にした人気キャラなので、別の姿になったことを惜しまれているようだ。

 そこまでならいいのだが、仲間(ダイヤ)として生まれ変われたことを祝福しようという意見と、宿敵(ダイエル)のままでいてほしかったという意見がぶつかり合って論争になっていたのだ。


「すごい、『ダイエル』がトレンド入してる!」


「もう! 『光墜ち』まで書いたらネタバレになるじゃない!」


「でも、梨香さんならダイエルが途中で味方になるのわかってたんじゃないですか?」


「凛も知っていたよ! 最初の歌で三人がポーズしているところ、変な隙間があったもん!」


「それはそうだけど、いつ、どこで、どうやって仲間になるのかを待つのが楽しいのよ。それを先に教えられたらドキドキがなくなっちゃうでしょ?」


 ぶーぶーっと、頭から湯気を出しながらツイートする梨香さん。

 もちろん本人名義ではなく、動画投稿とファン活動を兼用する裏アカでだ。


「あ、ダイヤで思い出した! 凛ちゃん、一緒にこれで遊びましょう?」


 梨香さんはカルルピのアプリゲームを始めた。

 ダンスに合わせて画面をタップするもので、入場特典のカードを読み取ればダイヤ専用の曲で遊ぶこともできるという。


「う~~ん、ダイヤの曲って難しいよ。お家のパッドで練習しているのに」


「それじゃ、私がお手本を見せてあげる」


「わ、梨香ちゃん、すごい上手! これなら壁紙が当たるかも!」


 梨香さんのタイミングは完璧だった。

 すべての音符を逃すことなく判定枠でタップしている。さすがガチ勢とあって素晴らしい腕前だ。

 以前、パールの曲を凛にやらされたことがあるが、連続で成功するにつれてタイミングがシビアになるという仕様があるので僕でもクリアは無理だったのだが。


「すごいですね、途中まで満点ですよ!」


「ちょっと、今は話しかけないでっ!」


「あ、すみません!」


 目が暴走モードのときみたいに鋭くなっているが、パーフェクを達成するとそのキャラクターの限定壁紙が貰えるので無理もない。


「でも梨香ちゃん、もうすぐ電池がなくなりそうだよ?」


「嘘っ! あっ、低電力モードになっている!」


「ゲームって消耗が激しいですからね。っていうか、残り一桁じゃないですか!」


 バッテリーの残量がみるみる減っていくが、中断すれば最初からやり直しになってしまう。


「曲は半分まできているよ!」


「止まる止まる、やばいわやばいわ! クリアが先か電池切れが先か!」



 二人揃って電動バイクみたいなことを言い始める。

 画面内では可愛らしい衣装のダイヤが曲に合わせてスカートを翻しているがこっちはそれどころでない。


「残り1%だよ!」


「どうしよう……! どなたか、どなたか充電させてもらえませんかぁ!」


「テレビ番組みたいなこと言うのやめて下さい!」


 しかしバッテリーとは奇妙なもので、残り1%からの粘りが強い。

 なんとか最後まで電力を維持し、梨香さんはパーフェクトクリアを達成できたのだった。


「やったぁ、おめでとう梨香ちゃん!」


「凛ちゃんのおかげよ! あ、画面がきえた……、充電したら壁紙を転送するね?」



 ハイタッチする二人を眺めていると、スマホにメッセージの通知がきた。


「もしかしてママからの連絡?」


「ああ。今日は夕方までに帰れるってさ。映画も見終わったって送るよ」


「え~~。凛、もっと遊んで行きたいのに~~」


「でも、ママと約束したんでしょう? もう帰らなくちゃ」


「むぅ。仕方ないなぁ」と、腕を組む凛だが内心では満足している様子だった。


「梨香さん、凛に付き添ってもらえますか?」


 僕は伝票を持つと、レストランの外にあるトイレを指差した。


「え、お会計は……」


「凛を一人で待たせるのは心配なので」


「……うん、わかったわ。行こう凛ちゃん」


 梨香さんたちが退店し、僕は一人でレジに向かう。

 いつもの癖で伝票を眺めて金額に気を取られていると、途中で他のお客さんにぶつかりそうになってしまった。


「あっ、すみません! あの、エクスキュズミュー!」


 一人の女性が僕の前に立っている。

 大きなマスクで顔は隠れているが、綺麗な碧眼と優美になびいた銀色の髪から外国人かと思ってしまい、つい英語で謝ってしまった。

 彼女はとくに反応することなく僕を横切ると、席についてスマホを取り出している。そこはちょうど僕らの使っていた席の真後ろだった。


「ふぅ、危ない危ない。気をつけなくちゃ……」


 会計を済ませて二人と合流すると、梨香さんが財布を取り出そうとしたので僕は首を振った。


「いいの?」


「はい。凛に付き添ってくれたお礼です」


「うん……。ご馳走様。根岸くんって、なんだか、思っていたよりもスマートだね?」


「いえ? 最近太りましたよ?」


「うん。ウィットはないね。もっと練習しなくちゃ」


 意地悪な笑みを浮かべる梨香さんに、僕は顔を引きつらせる。

 話術ってどこで覚えるのかと考えていると「あっ!」と、凛が声を上げて走り出してしまった。


「あそこにワンちゃんがいる、バロンとそっくり!」


「こら、走っちゃダメだぞ!」


「凛ちゃん、待って!」


 ペットショップの犬たちを見つけるなり、僕らの手を振り払って走り出してしまう。止めようとしても間に合わず、凛は前を横切ろうとしていた男の人に衝突して転んでしまったのだった。



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